早いもので天安門事件から、今日で24年になる。今日に中国の方針を決定づけた事件である。民主化運動としての側面より、24年経って俯瞰してみるとこれが、中国が経済大国へと進む大きな転機になっていることが判る。
ヨーロッパでは、次々と社会主義国体制が崩壊していた時である。中国にも大きな火の手が上がった。中国はこの事件を、一旦は理解あるような態度の収集を図ったかに見えたが、圧倒的な武力で制圧した。
その後の中国は、体制保持のためならあらゆる暴力的手段と、報道規制で圧倒してきた。事実を隠ぺいし、人権擁護や民族運動の制圧をやってのけた。その原点になった天安門事件を、学生の暴力暴動として評価するに留めている。それ以上の評価がなく、あらゆる報道規制を行っている。ネット検索も出来なければ、教育の場でも封印したままである。
この4年後、鄧小平の「南巡講和」に豊かなものから豊かになるとする”先富論”によって、一気に経済最優先政策へと加速するのである。社会主義体制と自称しながら、未熟な資本主義体制を民主化を抑え込むことで、経済発展を成し遂げてきた。ここにきて、格差や環境悪化や共産党内部の腐敗などの矛盾が目立ってきている。
天安門事件関係者やその遺族たちは、事件の真相解明と謝罪と補償を要求しているが、政府は抑え込むこと以外の動きは見られない。河北省で事件関係者を悼む追悼行事があったようであるが、即座に撤収させている。学生の暴動と公式の見解を譲らないが、政府・共産党の対応はよほど神経質であると言える。それほど、現体制にとって、天安門事件は大きな意味を持っていることなのである。
今でも事件関係者には、常時監視体制を組んでいて、相互の連絡や情報の交換も活動もできない状況である。中国の民主化は、天安門事件の真相究明をしなければ成し遂げられないことである。