「経済効果」と言う言葉がよく解らない。例えば、北海道日本ハムファイターズが優勝すると、経済効果20億円などと言うことをよくいわれる。みんなでお祝いをしたり、セールスや関連グッズが売れて、それで経済効果が20億円になるそうである。
では優勝しなかったときには、その20億円は何処に行くのだろう。単純に考えて、20億円は一般人の懐に収まったままなのであろうか?
否、その20億円の相当量の金額が、どこかで必ず使われることになるだろう。一時的に預貯金に回るとしても、必ずどこかで使われる。早いか遅いかだけだろう。
そうだとすると、経済効果とは、単に一時的に特定されたものが使われるだけのことではないか。経済とは、一時に沢山使われる方が効果が高いのかも知れない。
今問題になっている、ガソリンの暫定税率をなくすと経済効果が上がると民主党などは言うが、これも信じがたい。ガソリンの使用量が増えたり、諸物価が安くなり売れ行きが伸びると試算されお金が沢山使われるとのことである。
この場合も、使われないお金も消えてなくなるわけではないだろう。あるいは、必要なものなら、高くなった分の量は減らしても消費される。金額は結局同じでないか。
先日(1月4日)、ガソリンは安くないと書いて、何人かの友人に好意的な反応をもらった。私は、牛乳が200円なら経済を支えるガソリンは150円くらいなら、安いと見るべきと思っている。ただし、暫定税率に賛成するのではなく、土建屋に儲けさせるのではなく、環境税などに変えるべきとの主張である。
世の中、経済効果ばかりではない。どんな商品でも、それに見合った対価があって当然である。安ければいいものではない。
これがなければ、あるいはこれが起きると、経済効果が××億円と説明されても、それは一時のものでしかない。今の時代、持続的のものが最も重要なことでないか。そのための、当然の対価があってしかるべきである。
酪農家が草を作り、乳牛にこれを与え、分娩させ、衛生管理し搾った牛乳が栄養満点であるにも関わらず、どこかの山から集めたただの水より安いことは真っ当な対価を酪農家に与えているとは思えない。
持続的であるためには、相当の対価を酪農家に払うべきである。こうしたことが本当の経済効果なのでないか。でないと、酪農家がこの国からいなくなる。イタリアのような防疫に杜撰な国や、アメリカのようにと場管理がメチャメチャな国から乳製品を輸入するようなことになってしまう。
それで良いのか?この国はやっていけるのか?