今日はメーデーである。幼いころ母に手を引かれ、「労働者」の隊列に加わった、かなり薄くなった記憶がある。
その記憶の中で「聞け!万国の労働者」というフレーズが、今でも消えることはない。
今日の新聞には、メーデーの文字がほとんどない。2日ほど前に、こともあろうか野田首相が演説している。来賓である。連合主催であるから、筋は通っているのかもしれないが、どうもしっくりこない。
そこで野田は、「消費税増税」を訴えている。出席した、「ロードーシャ」から、帰れとも反対ともブイーイングも何の反応もなかったようである。
4月に行われた、メーデーも労働者の訴えは見られない。連合の建前の、政治的文言が並べられているだけである。
考えてみると、メーデーで最も集結しなければならない「労働者」にすらなれない、そうした人たちは集まることすらできないのである。
先日、大型店舗で韓国製の、1リットルのミネラルウォーターがなんと”26”円で売られているのを見た。海を渡ってきた水が、26円である。労働者の手取りはどこにあるのかと、ため息交じりに眺めていた。
万国の労働者、あるいは底辺で働く人たち、あるいは働きたくても働けない人たちは、団結する必要があるのは、今も昔も変わらない。
団結できないのは、労働者に団結されては困る連中にとっては、まことにありがたい現象である。
労働組合の加入率も20%以下である。もちろん労働組合にも責任があろう。組合の存続が優先され、政治的に利用されてきた結果でもあろう。
歴史のかなたに押しやられてしまったメーデーの、「聞け!万国の労働者」のかつての熱い思いは、風前の灯である。いやもうない。
資本家や資産家権力者の団結権は謳っていない。
その憲法も揺らいでいる。
社会主義を装い、選挙によって選ばれたヒトラー。
今の日本に似たものを感じる。