年度末になって、行政者は予算の進行状態あるいは消化具合が気になる季節となった。先日懇意にしている知人が「今年度内なら○○円使えそうだ」と、懸命に走り回っていた。
事業を抱えて、行政に世話になっている人たちにとって、使える金があることは大変魅力的なことである。彼がそそくさと走り回るのは理解できる。しかし、この体質が日本の官僚の本質である。日本が大赤字を抱える原因がここにある。
予算設定された事業が予算金額を下回る、あるいは消化しきれないようだと、次年度から予算が削られる。だから、役人は必死に何か使えるものがないかと、この時期動くのである。
通常の家庭や一般企業では予算内に住むようだと、次年度に黒字として繰り越すの実態である。評価も上々である。何しろ黒字にしたのだからと安どする。
ところが行政機関は少し違うのである。効果的に予算を使ったり何とか努力して安くあげても、お役人は評価されない。むしろ、予算を余したと評価される。これでは努力の甲斐がない。役人が堕落する所以である。黒字にしたのだから誉められてしかるべきである。黒字を出さないシステムがここにある。
逆に、赤字を出したり年度内に事業を完成しないようだと、次年度繰り越しを平然と行う。事業に食らいついている業者は有り難いものである。実質事業内容が増えることになる。赤字を補うために、国債や地方債が連発されて、どこもかしこも行政は上から下まで赤字になってしまうのである。
個別には異なる内容もあろうが、お役人がこの国を上から下まで真っ赤っかにしたのは、こうした無謬性にある。誰も間違っていないことが、前提でお役人、官僚は働いているのである。
多少とでも、行政と関わった者ならこうしたことは経験していると思われる。当然のこととして、日本の風土に定着し散るのだろうか。「お上」はいつでも正しい。逆らうとロクなことがない。ありがたく、黒字減らしにこの時期動く姿はどこかおかしいものがある。