金曜日に運営委員会がありました。終わりかけに出席された委員から痛烈な批判が飛び出しました。その方はいつも私に向かって言われるので今思えば、その時すでに心に鍵をかけていました。そして私はその方の言動で傷もついているのですが、Aさん心の平安を祈りながら今日教会に行きました。
そして思ったことは教会に行っていなければまだまだ怒りで心が占領されていただろうAさんの平安なんて祈ることもなかったということです。神様の守りやイエス様の助け聖霊様の導きで今このように心が平和であること感謝しました。ところが今日のメッセージは「他人を救う」というので語られました。そして思ったのはなんて傲慢な私だったこと。Aさんはいつも何か言葉を投げつけ帰って行かれる感じで、本人は私がそんなに傷ついているなんて思ってもおられないのでしょう。傷ついた私は神様にAさんのことも祈っている私がいると内心心のゆとりと思っていました。しかしイエス様は自分を救うこともできたのに私たちの救いのために死んでくださいました。私はというと傷つけるAさんの言葉に心を固く閉じながら平安を祈ったのです。これってAさんの何もというより心の叫びを聞かずにいい恰好をして神様に祈っているだけと気づかされたのです。もっともっと心が砕かれないとだめだと思い知らされた日になりました。