ボリス・ストルガツキーが11月19日に亡くなったそうです。兄のアルカージイ・ストルガツキーが没したのは1991年。先日ボリスが亡くなって、とうとうふたりともいなくなってしまったのか。悲しい。
私が初めて読んだストルガツキー兄弟の作品は『滅びの都』でした。当時はまだロシア・ソヴィエト文学(とくにSF)には全然馴染みがなくて、ザミャーチンの『われら』とブルガーコフの『巨匠とマルガリータ』を読んだだけのところだったように記憶しています。『滅びの都』は、そのあらすじがあまりに面白そうだったので、まず図書館で借りてみたのです。
*『滅びの都』あらすじ
全人民の幸福を実現する実験のため〈都市〉では国家を捨てた人間たちが世界中から集まり働いている。人工太陽が明滅する〈都市〉の内部では、労働する人間に進化するはずのサルの群れが暴れ、赤い館に入った住民の連続失踪事件が起こり、急進改革派はクーデタで起死回生をはかる――。ごみ収集員から大統領補佐官にのぼりつめたロシア人アンドレイと過去の文書を読みふけるユダヤ人カツマンの都市=地獄めぐりを軸に、全体主義のイメージを脳裏にきざみこむストルガツキイ兄弟最期の長編。
最期の長編から読んでしまったあたりがいかにも私らしいところでしたが、この借りて読んだ『滅びの都』が面白かったので、その後続けてストルガツキー作品を借り、さらに借りるだけでは飽き足らず作品は手に入るだけ買い求めることになりました。
『滅びの都』が日本で出版されるにあたり、巻頭にボリスが日本の読者に宛てたまえがきを書いてくれています。
“しかし、この小説は切実な問題性を失っていないと私には思われる。現代の読者は(少なくともロシアでは)今ちょうどわれわれの主人公の立場に置かれているのではなかろうか。これまでの理想はことごとくかき消え、足元を支えるイデオロギーは消滅した、だがこれから先も何とか生きていかなければならない――ただ飲んで、食べて、気晴らしをするだけでなく、何か大切な目的を追求し、生きることのなかに何か気高いものを求め、食べるために働くのでなく、働くために食べるのでなければならない。だが何のために? われわれの世界はどこへ行くのか? それはどうなるべきか? またわれわれはどうなるべきか? ”
ストルガツキー兄弟の世界は実に刺激的で魅力にあふれています。『ストーカー』『収容所惑星』『月曜日は土曜日に始まる』『みにくい白鳥』などなど、大好きな作品がいくつもあります。私はここでたくさんのものを得ることができたと思っていますし、読み返せばこれからも多くを得ることができるでしょう。
どうもありがとう、どうか安らかに!