半透明記録

もやもや日記

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ちょっとひといき

2010年09月08日 | 学習




今日は台風の影響か、ものすごく久しぶりに涼しさを味わっています。湿っぽいけど、風が涼しい! 雨も少し降りました。しばらく続いてほしいところですが、きっと明日からはまた暑いのでしょうねー。



というわけで、今のうちにすこし休憩しておこうと思います。少し涼しい、というただそれだけで、私の頭はいくらか回転するようになった気がします。小説を読むこともできます。

今読み始めたのはアドルフォ・ビオイ=カサレスの『脱獄計画』。この人はボルヘスのお友達としても有名ですが、なるほどそうだろうなという感じで、どうも私にはその世界をすんなりとは理解できません。これまでにこの人のいくつかの短篇を読んでいつもピンと来なかったのですが、今回もよく分かりません。しかしそれは面白くないという意味ではなくて、ただ分からない、というだけのことです。けっこう面白いですよ、全然分からないけど……。いつも分からなすぎて、読んだことを忘れてしまう。読み返しても、読み返しても、いつも初めてのような味わい。そういう楽しみ方もあると思いたい。


そんな私はガルシア=マルケス派。この人のはすごくよく分かる。分かるような気持ちになれる。実際の思い出のように覚えていられるのです。

で、ガルシア=マルケスとの出会いのことを少し思い出してみたりもします。私を物語の世界へ走らせた最初の人がこのガルシア=マルケスと内田百だった(まったく同時期に両者は私の前に現われた)わけですが、どうしてそうだったのかということを出会って以来私はずっと考えつづけてきて、今日も少し考えを進めてみたところです。いや、別に進みませんでしたけど、再確認したというか。

私が本当の意味で物語を愛するようになってからもう15年以上が経過しましたが、最初の一歩を踏み出そうという気になった、そのきっかけというものはこの先も私にとってものすごく重い意味を持ち続けるだろうと思います。

行き当たりばったりでさまざまな物語と出会い、その都度それらを愛し、ドイツ・フランス小説に夢中になって、ロシア文学に圧倒されて、さらに他のどこか、他の誰かの物語にも節操なく熱狂するだろう予感はあります。しかし、最初のふたりの存在感が色褪せることは、この先もけっしてないでしょう。たぶん多くのことを中途半端に残したまま、私がこの遍歴を終えなければならない日がいずれ来るでしょう。そのとき、最後に読んでいた物語が何であったか、ということは恐らく私にとってはそれほどの問題にはならないでしょう。それよりも最初のふたり、最初の2冊こそが、最後の瞬間まで私を捉えつづけているだろうな、と確信するのでした。(もっとも、「宿命」を信じる私は、おそらく最後の瞬間に手にした一冊にも必ずや最初の因縁が固く結びつけられているだろうことを期待しているのですが、最後の時にそれを自覚できるといい。そしてそれに気がついてニヤニヤしながら終わりたい)


私に最初の一歩を踏み出させた、あのエネルギー。あのものすごく強い力のことを思うたび、私は胸の奥にぐるぐると激しく渦巻く感情を発見するのです。私は闇雲に転げ回っているようで、中心はいつも同じ点にあるのです。夢みたいにあやふやで曇っていて不安定であるようでいて、そこにあるとしか思えないほどに確固たるあの世界、ふたりの物語は完全な形で私を飲み込みます。最初からそうでしたし、今でもそうで、これからもそのようであるでしょう。人生をまるで夢のようにしか捉えられない私がなぜ彼らの物語を神聖視するのか、その理由があと少しで分かりそうな気もします。あと少しではないかも。でも、いつかは。




ちょっと涼しいから頭が冴えてきたと思ったのに、全然冴えてなかった。読み返しても、読み返しても分からないような文章を書いているのは私の方だった。私の頭の方がそんな感じだったんだ。ビオイ=カサレスは悪くなかった。私がもっと明晰ならば、きっとすんなり理解できるんだろうなぁ。まあ、これもまたいつかは。