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『脱獄計画』

2010年09月09日 | 読書日記ーラテンアメリカ

アドルフォ・ビオイ=カサレス
鼓直/三好孝訳(現代企画室)

ラテンアメリカ文学選集




《あらすじ》
アンリ・ヌヴェール海軍大尉はある疑惑を受けて一族の長から追放され、フランス領ギアナの流刑地での任務に就く。不吉な予感に苛まれながら、彼の任地での生活が始まるが、自分の着任を熱烈に待っていたという総督にはいつまでも会えず、しかも総督の行動や態度、島の様子に異常なものを感じ――。


《この一文》
“ 何よりもまず、ヌヴェールは小心ではなかった。お喋りにかけては小心ではなかった。話すべきことを話すという点では勇気に欠けていなかった。欠けているのは、口にしたことの結果にまともに立ち向かう勇気だった。自分は現実には無関心である、といってはばからなかった。 ”







終盤にいたるまで、ほとんど何が何やら分からず、己の読解力のなさを呪いに呪いまくっていたのですが、どうにかこらえて読み進めた結果として、最後の最後でこれはやはりものすごく面白い物語であったことが分かりました。やった! がんばってよかった!!


物語はいささか複雑な形式で語られてゆきます。「解説」の鼓直氏による説明が分かりやすかったので以下に引用してみますが、こういう感じで物語られるのです。


 フランスではむしろイル・デュ・サリューとして知られているサルヴ
 ァシオン群島の流刑地に派遣されたアンリ・ヌヴェールの奇怪な物語
 を形づくっているのは、彼のおじアントワーヌ・ブリサックのやはり
 日録であるが、そこには、しばしば矛盾をはらんだ甥からの手紙の断
 片が差しはさまれている。また、べつの甥グザヴィエ・ブリサックに
 よって書き送られた手紙の一部や、アンリ自身が送付したメモと書類、
 「人倫にたいする、いや、ある種の人間の生命にたいする、無関心さ
 を要求する実験」を行なった総督の手紙や指示書、二つの刊行者注な
 どが付け加えられている。(中略)その断片化した、多様なレヴェル
 からなるテクストを喩えていうならば、ピースがさんざんに掻き混ぜ
 られたジグソーパズルである。破片が床に散乱した鏡である。

   ――「解説」より


そう、まさにジグソーパズルといった趣でした。飛び散った欠片をどのように繋ぎ合わせたらよいのか分からないまま、結末まで連れて行かれた感じ。おまけに、この結末というのが非常に印象的なものであるのですが、印象的ではあるものの、事件が決着した様子はうかがい知ることはできても、その真相がいったいどこにあったのかは分からずじまいで終わるのです。参った。参りました。登場人物はめいめい好き勝手に断片的な言葉を残しているだけであり、またそのように感じられるのはそれらの断片を好き勝手に抽出して語るアントワーヌ自身にも何か思惑があるのがありありと感じられるからで、公平な語り手とは言いがたい彼による語りの内容がどこまで本当のことなのかが、読者には(少なくとも私には)最後まではっきりとは分からない。

しかし断片的ながらもいくらか読者に分かることには、《地獄島》と総督をめぐる疑惑だけでなく、ヌヴェールといとこのグザヴィエとのイレーヌをめぐる関係、またアントワーヌとアンリの一族との対立などなど、いくつもの薄暗い要素が絡み合っている様子です。探偵が不在のミステリ。事件が起こり、事件が決着する。しかし謎は依然謎のままで置かれている物語。これは面白い。非常に面白かったです。

いったん読み終えて、これがとても面白いお話であると理解した私は、ジグソーパズルのようにあらかじめテクストがバラバラにちりばめられているのだということを念頭に置いて、もう一度最初から読み返してみることにしました。すると、なるほどヒントとなりうる言葉の数々が念入りにあちらこちらに配置されているということに気がついたのでした。うーむ、そうだったのか!(と言って、スッキリするかというと、否!)

もしも私がもっと注意深い読者であったなら、最初からひとつひとつの言葉に気をつけていたら、1度目の衝撃をさらに大きいものとすることができただろうになぁと思わないこともありません。まあ、しかし結末を知ってから読むという行為も十分に意味があったと思います。そのような楽しみ方を可能にする、むしろそのように読むことを前提とした物語だったのかもしれません。初読で理解できなかったのは、私の理解力が足りていないせいだけではなかったんだ! そうさ! 2度読むことで、おぼろげながらでもどのあたりが分からないままで放置されているのかを掴めただけでも収穫であった、と納得したいと思います。

というわけで、とても魅力的な幻想怪奇SF小説でした。面白かったなあ! 普通にミステリやサスペンスとして読んでも十分に面白いこの小説ですが、「解説」にもあったこのような眼差しをもって読むとさらに興味深い物語となりそうです。この不安感や孤独感はどこからやってくるのか。人は、自分に向って語りかけてくる誰かの言葉を、その言葉だけでどれくらい信じることができるのか。あるいは信じるべきなのか。そのようなことにまでも考えを及ばせたくなるような奥深い作品でありました。



 ボルヘスにとっての〈迷宮〉に比べることのできるビオイの〈島〉は、
 (中略)、究極のコミュニケーションの道を閉ざされた人間の絶対的な
 孤独を象徴している。われわれ人間存在は、永久に相接することなく、
 世界という海をただようことを宿命づけられた〈島〉でしかない、とい
 うわけである。

   ――「解説」より


(私はそこで久生十蘭の傑作短篇『湖畔』や、太宰治の『駈込み訴え』などを思い出したりもします。いずれも一人称による語りによって進行する物語であり、読者はいったんは盛大にお話に対して感激するものの、あとで一歩ひいてみるとそのあまりに一方的で一面的に語られる物語の真相への疑念が募るという構造になっていると私は考えます。同じ種類の面白さがこの『脱獄計画』にもあったような気がしますね)



さて、『脱獄計画』に先立つビオイ=カサレスの代表作『モレルの発明』を読みたいと以前から思っているところなのですが、「解説」によると『モレル』の方はこの『脱獄計画』とほぼ同じようなテーマを扱っており、さらにこれよりもいくらかシンプルな構造を持つ物語であるそうなので、いよいよ読んでみようかという気になりました。また私は他にもこの人の小説を何冊か積んだままにしているので、それを読むための弾みがつきました。ビオイ=カサレスを私は理解しきれないのではないかという強い恐怖に悩まされていたのですが(ビオイ=カサレスやボルヘスを読みこなすには、一定以上のインテリジェンスを要求されるのではないだろうかという強迫観念があるのです)、でも、なんかちょっといけそうな気がしてきたぜ。へへへ。