半透明記録

もやもや日記

お知らせ

『ツルバミ』YUKIDOKE vol.2 始めました /【詳しくはこちらからどうぞ!】→→*『ツルバミ』参加者募集のお知らせ(9/13) / *業務連絡用 掲示板をつくりました(9/21)→→ yukidoke_BBS/

越境

2007年03月09日 | もやもや日記
ここ数日、なかなか起床できません。もしや「仕事へ行きたくない病」でしょうか……。いや、まさか、そんなはずは……。

ずっしりとした気持ちで、どうにか職場に辿り着くと(しかし、家からはおよそ30秒ほどの近さであります)、1時間ほどして、「おや」と思いました。

《春》です。

今年は例年にない早い春であると世間でもさかんに言っておりましたが、私は精神的にはまだ冬でした。ところが、今日の午前10時過ぎくらいに、突然《春》の実感が押し寄せました。

なぜそんなことになるのかと言いますと、その時不意に【3年程前、四国を旅行したとき、最後の昼食を松山城の近くでとった】という記憶がキッパリとよみがえったのです。今朝10時過ぎくらいの、私を取り巻く空気や光線の感じは、なぜだかその記憶とぴったり合わさったようです。あの時が、《春》でした。帰りの電車のなかで、高校生の男の子たちが「愛媛だからって、蛇口からポン・ジュースは出ないんだよな」というようなことを話し合っていたこと(「やはり出ないのか……」と軽い喪失感を覚えながら、私と同行者は聞き耳を立てていました)まで、思い出しました。《春》だったなあ。






こちらは、私に《春》が訪れて、およそ2時間後の空です。やや、もやっとしています。

さて、《春》が訪れて、心が軽く明るくなったかと言うと、それほどでもありません(そもそも、私には《春》はそんなに明るい季節でもないのです。最も良いのは、何と言っても《秋》!)。明日も仕事です。しかし、「仕事へ行きたくない病」ではなさそうです。今のところは「まだどうにか行けそう」なほどです。朝起きることができないのは、きっと体力が衰えているだけです。

でも、考えたいことが山積みなので、明日は早々に帰ってこようと思います。とりあえず、「私はなぜマンガが好きなのか」ということについて、深く考えたい。

また一冊

2007年03月07日 | 読書ー雑記
前から欲しかった本をまた一冊入手することができました。

アナトール・フランスの『ペンギンの島』です。なんだか非常に面白そうなんです(『幻想文学1500』の解説によれば)。ヤフオクで安く出品されていたので、ライバルと激しく競り合うことになるのでは…と心配しましたが、別にそれほど注目されていた品ではなかったようで、あっさり落札できました。しめしめ。

今日、ようやく届いたので、さっそく《いつか読む本の塔》の上に積んでおこうと思います。その塔は、際限なく高くなっていくようですが、気にしない、気にしない。

『ナンバーファイブ吾』

2007年03月06日 | 読書日記ー漫画
松本大洋 (小学館)

《あらすじ》
地球の7割が砂漠となってしまった時代。世界の平和を守る組織――虹組のメンバーである No.5 がひとりの女を連れて逃走した。残された8人のメンバーは、ふたりを追う。


《この一文》
”こんにちは、
 こんにちは、

 聞こえますか?  ”




ものすごく長くて、とても美しい詩を、絵付きで読んだような気になります。胸が痛んで、今はまだ落ち着いて物語を思い出すことができません。ただ、ひたすらに感動的であったということは、はっきりと言えます。悲しくて仕方がないけれど、最後には必ず希望が示されるので、私はこの人が好きです。


『ピンポン』『鉄コン筋クリート』に続き、『ナンバーファイブ吾』を読んでみました。どうやら、この3作品をこの順番で読んだのはよかったらしいと思います。これまでの2作品に共通していたテーマが、『ナンバーファイブ吾』ではさらに深く掘り下げられていました。

「すべてはひとつのものである」というようなことを、松本大洋のこれまでの作品を読んで感じてきたのですが、今回の『ナンバーファイブ吾』ではさらに「そのうえでどうあるべきか」というところにまで問題が進んでいるように感じます。どうして、このようなテーマを、このように表現することができるのでしょう。そして、どうしてこんなにも感激させられるのでしょうか。分かりません。とにかく半端ではありません。



主人公に与えられた名は No.吾(5)。虹組と呼ばれる組織の9人のうちのひとりです。No.吾(5)は仲間であった者たちから追われます。ちなみに他の8人は、No.王(1)、No仁(2)、No.惨(3)、No.死(4)、No.岩(6)、No.亡(7)、No.蜂(8)、No.苦(9)。相変らず名付けが上手です。No.吾(5)は、そのひとりひとりと戦うことになります。

物語については、これ以上どのように述べたらよいのやら、今のところさっぱり見当もつきません。とりあえず、以下に読んでみて思い付いたことを走り書きにしてみます。


* 目も開けられぬほどに強い光は、目を開けていても何も見えぬほどの暗闇と同じことである。

* 混じり気のない両極端なもの2つのいずれか一方を選ばなくてはならないということはない。同時にそのどちらでもあるということ(あるいは、どちらでもないということ)も可能ではないか。

* 食べ続ける女マトリョーシカを通って、死は生となる。

* そのマトリョーシカが選んだのは、No.王(1)でも元No.仁(2)でもpapaでもなく、No.吾(5)である。受け継がれるものは何か。

* 光はひとたび放たれたならば、どこかへ届くまでいつまでもずっと飛び続ける。


No.王(1)という人物は、平和で美しい世界というものをあまりに純粋に望むが故に、異なる意見や思想が存在する余地を与えません。彼の悲しいのは、それに尽きます。全ての人間が彼と同じ思想を持ったならば、いや、全く同じ思想を持たない限りは到底実現不可能な世界を望むのです。悲しい。悲しい。けれど、私はなんだか No.王(1)の気持ちが分かるのです。彼の望みは、その望み方があまりに純粋であるためにほとんど狂気とも言えるものですが、内容はとてもささやかで美しいものです。そのことを思うと、私は涙が止まりませんでした。悲しい。悲しいです。


ほんとうはもっと書きたいことがあるのですが、思い出し泣きをする上にうまくまとまらないので、また今度にします。刺激が強過ぎて、振り返ることはどうにも恐ろしいのだけれども、私はこのシリーズをちゃんと買って手もとに置いておこうと思います。もし読み返すことができたら、そのときにはもうちょっと書けるかもしれません。


引用したのは、最後のほうの一文です。
私は心から願います。
この人の語りかける言葉が、遠い星から何百年も昔に放たれた光が今我々の目にうつるように、ここからずっと遠い先にいる誰かにも届くことを。そう願わずにいられないほど、この人の言葉や世界は、あまりに美しいのです。

ただいま帰りました

2007年03月04日 | もやもや日記
土曜日は夕方5時半まで仕事(今週は50時間くらい働いてしまった…信じられない)をして、そのあと、漫画喫茶へ行きました。

徹夜です。

およそ10時間にわたって読みつづけ、明け方の5時過ぎくらいに帰宅しました。→寝→起床(朝9時)。ハードです、が、私は9時を過ぎるともう寝ていられない体質なのでございます。今夜ははやく寝よう…。
しかし、なんだかんだで元気な私。正直、金曜あたりから動悸がおかしな感じでしたが、私に足りなかったのは肉体の休息よりもまず精神への刺激だったのです。漫画喫茶でそれが得られたかと言いますと、得られましたとも!


松本大洋の『ナンバーファイブ吾』を読みました。大変なことになりました。読後1時間くらいは放心していたと思います。現地では肉体疲労のためか私の外側にはあらわれてこなかったのですが、今朝起きたら(厳密にはまだ「起き上がって」はいなくて目を開けただけですが)涙があとからあとから出てきてどうにも仕方がありません。さっき(11時くらい)まで泣いていました。制限時間に解けなかった数学の問題が、下校の時になってようやくササッと解ける感触に似ています。時間を置いたら、どういうお話だったのかをより深く理解できた気がします。確かに、これはとても悲しい。しかし、それだけにとても美しい。

ああ、なんということだ。『アンダーグラウンド』(映画)のときと同じ感じです。クストリッツァが陽気な調子をとるのに対し、松本大洋は哀しげな調子に終始するという違いはありますが、両者はどうやら同じようなことを違ったアプローチの仕方で表現している気がします。ああ、しばらく立ち直れないに違いない。
詳しくはまた別で書こうと思います。うまく書けるような気は少しもしませんが、とにかく激しく感動したことだけは確かです。なんてものをなんて風に描いてしまうんだ、この人は。しかし本当に実在するんだろうか。松本大洋という人が、「今」もどこかで何かを見たり考えたりしているということを私はなんだか信じることができません。そんなことがあるだなんて。それが「今」だなんて、そんなことが。

こんな風に圧倒されるのを、私はいつも怖れているのに、しかしやはりそうなってしまう。それは、本当のところでは私は何かに圧倒されることを望んでいるからかもしれません。ぶちのめしてほしいのです。たとえば喜びでも悲しみでもなく(と同時にどちらでもあり)、たとえば愛でも憎しみでもない(と同時にどちらでもある)ところにあるらしいもの、それはあまりに確かにあるがためにほとんどないようにしか思えないものを、私はその時に少し認識できるような気がするからです。

ところで、他には伊藤理佐の『おいピータン!!』を読みました。笑い死ぬところでした。それから幸村誠の『ヴィンランド・サガ』、荒木飛呂彦『スティール・ボール・ラン』の最新刊。懐かしいところでは一條裕子の『わさび』。その他手当りしだい。

あー、おかげですっかり蘇りました。ありがとう、私を生かしてくれている、素晴らしい人たち。

ネコ多発地帯

2007年03月02日 | もやもや日記
仕事帰りに図書館の本を返そうと公園を通りかかったら、公園内のネコ多発地帯に、黒いネコの3きょうだい(だと思う。そっくり)を見かけました。夜の闇に、いずれも同じ黄色っぽい眼がきらきらと光って、私のほうをじっと見ています。全体的にもっちゃりとした体型をしている、なかなか愛嬌のある若い御三方は、ネコ好きのしない私などが寄っていっても、そうそう懐いてはくれません。そうだとしても、私は好きだ。ふ。
ふたりは団子のように丸くなっていて、ひとりは活発に動きまわっていました。動いているネコは、なんだか「しゃあしゃあ」という妙な声でないていました。口を開けたときの顔が猛烈に可愛い。


このところ、うちの近所にはやたらと黒ネコがいます。ちょっと前の記事に写真付きで紹介したのは、また別の黒ネコです。あちらはもっとほっそりとしていました。このあたり一帯を制覇した強大な黒い親ネコがいるのかもしれません。


ネコのおかげでやや和みましたが、連続残業の日々に疲れは極限を超えかかっています。というかすでに超えてます。私の極限は限りなく低いところに設定されているせいでもありますが。エヘ。お前などより私のほうが働いておるわ!という方々、そんなに働いたのではいかんですよ。生活がむちゃくちゃなことになりますですよ。

昨夜などはあまりの疲れに錯乱し、普段は絶対に揚げ物なんてしないのですが、あえて唐揚げなどを揚げてしまいました。ハハハ、狭い賃貸住宅はすっかりまんべんなく油臭くなりましたとも! 肉の欲求に突き動かされて唐揚げを拵えてみたものの(疲れると、人は肉を食いたく…もとい食べたくなる、のだろうか。それなのに)、なぜか、思ったよりも箸は進まず……オォ徒労。

てな感じで、むやみに判断力が低下しておりまする~。今日はちょっと早く帰れたので助かったー。が、明日も働きます。銭ゲバと呼んでくれい。