バルベー・ドールヴィイ 中条省平訳(ちくま文庫)
《あらすじ》
若い陸軍士官と高貴玲瓏たる美女アルベルトの秘密の逢瀬をまつ戦慄の結末、パリの〈植物園〉の檻の前で、獰猛な豹の鼻面をぴしりと黒手袋で打つ黒衣の女剣士オートクレールの凄絶な半生、みずから娼婦となってスペインの大貴族の夫に復讐を図る麗しき貴婦人シエラ=レオネ侯爵夫人……。華麗なバロック的文体で描かれた六篇の数奇な物語を、魅力あふれる新訳でおくる。
《この一文》
”でも、無垢な者は、その無垢ゆえに、しばしば堕落するものでしょう……。
―――「ドン・ジュアンの最も美しい恋」より ”
”死が人生の終わりなのではない。しばしば魂の死は人生の終わりよりずっと前にやって来るのである。
―――「無神論者の饗宴にて」より ”
ときどき、読みながら髪がざわざわと逆立つ感じのするような本に出くわします。これも、そのような本の一冊でした。
ちょっと前に読んだ『怪奇小説傑作集4・フランス編』に収められていたこの人の「罪のなかの幸福」という作品が猛烈に面白かったので、こちらも読んでみることにしました。「罪のなかの幸福」は、この『悪魔のような女たち』にも収められています。全部で6つの物語を読みましたが、ただならぬ面白さです。とにかく勢いが半端でありません。頁をめくると、見開き2頁分でおよそ5、6個は「!マーク」が見つかります。凄いんです。燃えているんです。そして、いちいち名言が多し! とても全てを引用することはできません。凄いなあ。
「貴族主義」ということが、この人の作品から感じ取れる特徴のひとつであると思いますが、登場人物やかれらの服装、小道具などの描写は豪華絢爛、美しくって堪りません。また、この時代の貴族たちはすでに滅び行く種族であったため、悲壮感が漂うのも事実です。いや、読めば分かりますが、美しいとか悲しいとか激しいとか、一言で説明することはできません。とても一言では片付きません。それほどに、物語の振幅が大きいのでした。6篇を通して読めば、ある程度のパターンがあることにはすぐに気が付きますが、それでも、読んでいる間は、物語がどのように展開するのかはさっぱり見当も付かない密度の高さでした。確実に言えることと言えば、とにかく面白いということでしょうか。
登場人物たちは、いずれもほとんど悪徳浸けの生活を送る神を恐れぬ者たちばかりなのですが、かれらのような無神論者たちにも、ときどきはある種の信仰心のようなものが見えたり、やはり見えなかったりします。揺らいでいます。無垢と滅亡が緊密に接していたり、愛と悪行はほとんど同一のようだったりしています。面白いのです。興味深いのです。それが、華麗で怒濤の勢いをもって描かるので、私はもうすっかりやられてしまいました。
私がとくに興奮したのは、最初の「深紅のカーテン」と、5番目の「無神論者の饗宴」でしょうか。それと「罪のなかの幸福」ももちろん。「深紅のカーテン」と「罪のなかの幸福」には、いずれも女のように美しい男と男のように逞しくやはり美しい女の恋愛が描かれているのですが、それがなんだか無闇に魅力的です。もうだめです。こんなに興奮したのは久しぶりです。なんだこれは。「無神論者の饗宴」のほうは、無垢と悪徳が完全に同居した精神を持つ女の怒濤の物語です。これは相当に過激です。真夜中に読んだら、怖いかもしれません。
本当は12篇で構成されるはずだったのが6篇にとどまったのは、6篇を出した段階で発禁処分になったからなのだそうです。たしかに、現代の私が読んでもやや過激な内容でした。あと6人の女たちの話がどんなものだったのかを知ることができないのはまことに残念至極であります。
私はフランス小説に関してはいつも気楽に読めるつもりでいるのですが、ときどきその期待をかなり激しく裏切られてしまいます。もちろん、その裏切りは、私の喜びを激増させることは言うまでもありません。
《あらすじ》
若い陸軍士官と高貴玲瓏たる美女アルベルトの秘密の逢瀬をまつ戦慄の結末、パリの〈植物園〉の檻の前で、獰猛な豹の鼻面をぴしりと黒手袋で打つ黒衣の女剣士オートクレールの凄絶な半生、みずから娼婦となってスペインの大貴族の夫に復讐を図る麗しき貴婦人シエラ=レオネ侯爵夫人……。華麗なバロック的文体で描かれた六篇の数奇な物語を、魅力あふれる新訳でおくる。
《この一文》
”でも、無垢な者は、その無垢ゆえに、しばしば堕落するものでしょう……。
―――「ドン・ジュアンの最も美しい恋」より ”
”死が人生の終わりなのではない。しばしば魂の死は人生の終わりよりずっと前にやって来るのである。
―――「無神論者の饗宴にて」より ”
ときどき、読みながら髪がざわざわと逆立つ感じのするような本に出くわします。これも、そのような本の一冊でした。
ちょっと前に読んだ『怪奇小説傑作集4・フランス編』に収められていたこの人の「罪のなかの幸福」という作品が猛烈に面白かったので、こちらも読んでみることにしました。「罪のなかの幸福」は、この『悪魔のような女たち』にも収められています。全部で6つの物語を読みましたが、ただならぬ面白さです。とにかく勢いが半端でありません。頁をめくると、見開き2頁分でおよそ5、6個は「!マーク」が見つかります。凄いんです。燃えているんです。そして、いちいち名言が多し! とても全てを引用することはできません。凄いなあ。
「貴族主義」ということが、この人の作品から感じ取れる特徴のひとつであると思いますが、登場人物やかれらの服装、小道具などの描写は豪華絢爛、美しくって堪りません。また、この時代の貴族たちはすでに滅び行く種族であったため、悲壮感が漂うのも事実です。いや、読めば分かりますが、美しいとか悲しいとか激しいとか、一言で説明することはできません。とても一言では片付きません。それほどに、物語の振幅が大きいのでした。6篇を通して読めば、ある程度のパターンがあることにはすぐに気が付きますが、それでも、読んでいる間は、物語がどのように展開するのかはさっぱり見当も付かない密度の高さでした。確実に言えることと言えば、とにかく面白いということでしょうか。
登場人物たちは、いずれもほとんど悪徳浸けの生活を送る神を恐れぬ者たちばかりなのですが、かれらのような無神論者たちにも、ときどきはある種の信仰心のようなものが見えたり、やはり見えなかったりします。揺らいでいます。無垢と滅亡が緊密に接していたり、愛と悪行はほとんど同一のようだったりしています。面白いのです。興味深いのです。それが、華麗で怒濤の勢いをもって描かるので、私はもうすっかりやられてしまいました。
私がとくに興奮したのは、最初の「深紅のカーテン」と、5番目の「無神論者の饗宴」でしょうか。それと「罪のなかの幸福」ももちろん。「深紅のカーテン」と「罪のなかの幸福」には、いずれも女のように美しい男と男のように逞しくやはり美しい女の恋愛が描かれているのですが、それがなんだか無闇に魅力的です。もうだめです。こんなに興奮したのは久しぶりです。なんだこれは。「無神論者の饗宴」のほうは、無垢と悪徳が完全に同居した精神を持つ女の怒濤の物語です。これは相当に過激です。真夜中に読んだら、怖いかもしれません。
本当は12篇で構成されるはずだったのが6篇にとどまったのは、6篇を出した段階で発禁処分になったからなのだそうです。たしかに、現代の私が読んでもやや過激な内容でした。あと6人の女たちの話がどんなものだったのかを知ることができないのはまことに残念至極であります。
私はフランス小説に関してはいつも気楽に読めるつもりでいるのですが、ときどきその期待をかなり激しく裏切られてしまいます。もちろん、その裏切りは、私の喜びを激増させることは言うまでもありません。
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