半透明記録

もやもや日記

壁にかかっていたのはあの絵

2007年06月07日 | もやもや日記
このところは、なにかにつけてこれをとりあげてしまいますが、エレンブルグ著『フリオ・フレニトの遍歴』。あまりに衝撃的なお話。

そのなかで、主人公のエレンブルグ(作者と同一)とフレニトとがロシアの共産党員の女の子の部屋を訪ねたとき、彼女の部屋の壁にはベックリンの「死の島」がかかっていて、エレンブルグとフレニトはそれを眺めたという記述があります。

「死の島」は、いつだったか、私がたまたまテレビをつけたら、バーゼル美術館所蔵のその絵(ほかに世界中のあちこちの美術館に同じモチーフの絵が4つ存在するらしいです)をうつしていて、私はその晩は眠れませんでした。あまりに衝撃的で。
(去年の秋にこれについて書いた記事 →「芸術の秋を堪能する1」)


衝撃的なものと衝撃的なものの取り合わせ。

呼ばれるままにあっちへ行きこっちへ行きと走っていったら、その先であれもこれもつながっていた。というのが、今さらながら不思議です。だけど、【どうしてもそうならなければならなかったに違いない】という感触もあります。行き着く先は、だいたい決まっているというか。形態は違っても、みんなおなじものを掴もうとしているらしいと思うというか。受け手である私を含めて。


何を言いたいのかさっぱり分かりませんが。
とにかく、不思議だなあと思って。
私の知識は偏っていくようで、そうでもないのかもしれません。



これはベルリン美術館蔵のもの。
フレニト先生が見たのはどのバージョンだろ。



ベックリンについてはこちら → 「アルノルト・ベックリン」: Wiki

エレンブルグについてはこちら → 「イリヤ・エレンブルグ」 : Wiki

最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (mumble)
2007-06-11 17:19:16
書架にあった美術書をたまたまめくっていて、日本画家工藤甲人がベックリンの死の島について書いているのを発見しました。ある種の空間共鳴でもなかったらけして目にとまらないことです。(宿命?)。もしかしたらご存じかも知れませんが、ここに引用させてください。「……しかし生まれのスイスやドイツなどではホドラーと共に近世の巨匠として慕われ、大ていの家庭にその複製が掲げられているという。【中略】私は時々妙な事を考えるのだが、例えばわれわれ人間の生まれて来る時のいわゆる呱々の声を上げる、あれは一体何なのだろうか。人間がこの世に生まれて一番先に経験するのはあの泣くと言うことであろう。生まれたばかりの赤ん坊が両手を握りしめて激しく泣く、あれは何ものかにおびえている様にも見える。もしおびえているとすれば一体それはなににであろうか。【中略、赤ん坊には人生経験などないから】経験とはいえないもっと根源的な経験以前の人間本来うけついで来た闇に対する恐怖ではないかと考えられる。【中略、フランス印象派が外光へと飛び出したのに】ベックリンは闇の中からその闇が許容するだけの光を求めたに過ぎなかった。【中略】こうした心に闇と光をもった画家の絵というものは、ベックリンに限らず何か不思議に深沈とした憂愁の情をたたえて、見る人の魂に呼びかけてくる。芸術においては往々にして美神は悪魔にその美をゆだねる事が多いものである。(世界の美術、朝日新聞社)。引用終わり。「聖なる森」にしても中央で礼拝している三人の司祭の白装束は印象的です。
返信する
なんですって!? (ntmym)
2007-06-11 21:10:04
mumbleさん、こんにちは!

それは宿命ですね!!
なんでも言ってみるものですね、私は全然知らなかったですよ。とってもためになりました。ありがとうございます!

私は基本的に勉強不足なので、もうちょっと意識的に励まねばないませんねー。むやみに感激するのは得意なんですけどねー。そろそろ知性を身に付けたいところです。

それにしても、ベックリンがそんなに巨匠だったとは。へー、どの家庭にもベックリンがねえ。渋いなあ。私もやろう。
返信する

コメントを投稿