半透明記録

もやもや日記

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7月17日(月) 富田林 寺内町

2006年07月19日 | 旅の記録
大阪の富田林というところには、国の「重要伝統的建造物群保存地区」に選定されている寺内町という古い町並みが保存されているらしい。私が以前から一度は訪れてみたいと思っていると言ったら、友人のKさんが案内してくださることになった。

この日はあいにくの雨となったが、涼しいので歩いてまわるにはちょうど良い。それに雨のためなのか、観光客らしき人どころかそこに住んでいるだろう人々の姿さえまるで見かけない町のなかをうろうろするのも、なかなか不思議な感じがして楽しかった。

寺内町というのは、十六世紀に京都興正寺の証秀上人という人物が中心となって築いた宗教都市で、江戸時代には一大商業都市に発展したらしい。戦国時代に築かれたこの町は、戦乱を避けるべく、周囲に竹やぶを植えたり、町筋を途中でちょっと曲げて見通しを妨げたり、各所にさまざまな工夫が施されているそうだ。実際に歩いて見ると、よくわかる。

雨が降るなかをKさんと二人っきりでぐるぐると見てまわる。恐ろしく静かだ。北側の富田林駅の方から町へ入った我々は、南の端まで下って「旧杉山家住宅(重文)」を見学した。ここは女流天才歌人・石上露子の生家だそうだ。恥ずかしながら私はこの石上露子という人をよく知らなかった。与謝野晶子と同時代に活躍した歌人らしい。そう言われると名前だけは見たことがあるような、ないような……。不勉強ぶりをこの日もまた露にする。私の経歴のことはもう絶対に秘密にしておかなければならないと思う。

旧杉山家の内部は、とても立派なお屋敷という感じである(写真は入口から入ってすぐの土間から撮影したもの)。座敷がいくつも並んでいて、急な階段を上ると二階からも庭が見える。庭にはもちろん蔵もある。蔵には露子さんのゆかりの品々が展示してあった。
もともとこの家は造り酒屋であったらしい。土間には大きな竃もあった。かつてのここでの暮らしはどういうものだったのだろう。井戸には今では蓋がしてあって、いつかはこの家にも生活があったというのはちょっと想像しがたい。

ここでようやく、我々とは別の観光客らしき人に遭遇した。それでも依然として静かで、私とKさんとは家のなかをあちこち見てまわりながらも、しばらく窓の外を眺めたりぼんやりして過ごした。


寺内町の南の端まで進むと、急な下り坂(本当に急傾斜)になっていて、小さな畑があり、道の脇には白いオシロイバナが茂っていた。その向うは見えなかったが川が流れているようだ。寺内町が高台に建設されていたことが分かる。用水路に沿った細い路地などを通ったりする。空き地のようなところに一面に小さな黄色い花が咲いていた。どこもやはり静かだった。

時々狭い道を走り抜けていく自動車を除けば、ほとんど人を見かけなかったが、帰りにおじさんが一人歩いていて、駅までの道を教えてくれた。






このあとの我々は、色々あったのち、最終的には心斎橋のソゴウ上階の丸善まで辿り着いた。私は「丸善は別にいいんですけどね…」などと言っておきながら、かなり興奮してその周辺を物色した。丸善というのは、書籍の品揃えは割と普通なのだが、不思議な雑貨をあれこれと置いてあるところは非常な魅力である。美術館や博物館の土産物のような不思議な品々が売られている。アンモナイトの灰皿とか。光ファイバーのキューブとか。NASAの何とか、とか。また近いうちに来ようと思った。とりあえずこの日は、マラカイトという濃い緑色の丸い石が連なったブレスレットを購入。一粒一粒がまるで惑星のように美しい。素敵だ。

こうして、雨の日の涼しさで甦った私は、とても楽しい一日を過ごすことができた。Kさん、長い時間にわたってどうもありがとうございました。