気ままな歳時記

 気ままに日々の出来事を写真で綴っていきたいと思います。

『ブラザー軒』

2006年09月26日 21時11分38秒 | ある日の麺喰
 先日の秋の空が綺麗な日に、『ブラザー軒』にラーメンを食べに行きました。

 『ブラザー軒』と言えば、私にとっては、フォーク歌手の高田渡さんの歌う“ブラザー軒”を思い出しますね。
 高田渡さんは、1960年代より活動を続けてきた日本フォーク界の重鎮で、昨年、北海道ツアー中に倒れ、まだ若い56才で36年間のキャリアに幕を下ろしました。

 高田さんは、1969年に“五つの赤い風船”とのミニアルバムでデビューし、皮肉とユーモアが混在したひょうひょうとしたキャラクターや、牧歌的でありながら鋭い批評性に満ちた楽曲が人気を呼んで、岡林信康と共に日本のフォーク界を代表する存在となり、独特な雰囲気を醸し出していました。
 近年は、ライヴも盛んに行い、酒を片手にボヤキつつ演奏するスタイルは、往年のファンはもちろん、若い世代からの関心をもたれていましたし、NHKのフォーク番組でたまにお元気そうなお顔を拝見することもありました。

 自衛隊のイラク派遣に対し、彼の代表曲“自衛隊に入ろう”を、コザック前田と泉谷しげる等がカバーしたり、04年にはドキュメンタリー映画「タカダワタル的」が公開されたことが話題を呼び、中川五郎、なぎら健壱、山崎ハコ、中川イサトらが参加したトリビュート・アルバムも発売されました。
 個性派俳優の柄本明氏は、高田さんを国の認めない人間国宝だと称した事は有名であり、また、息子さんの高田漣さんは、スチールギター奏者として様々なバンドで活躍をしているようです。

 その高田渡さんが歌っていた“ブラザー軒”は、亘理町出身の菅原克己さんが1957年に作った詩に、高田さんが曲を付けたのですが、その詩は、“七夕の夜、『ブラザー軒』に行くと、亡くなった父親と妹が現われ、一所懸命にかき氷をほおばる妹と父を見守るのですが、二人には僕が見えない。”という悲しい内容なのですが、仙台七夕がお盆に近いということで、何となく納得してしまいます。
 詩の中に硝子暖簾(ガラスのれん)という、郷愁を誘う描写が出てきますが、今の『ブラザー軒』に硝子暖簾は掛っていません。

 『ブラザー軒』は、一番町の江陽写真館の横の通りにあり、明治36年創業で仙台ではかなり有名な洋食屋さんですが、ここはラーメンもいけます。
 特に好きなのは、野菜のうま煮そば(840円)で、写真では分かりにくいのですが、中には①なす②セロリ③白菜④ニンジン⑤サツマイモ⑥ぎんなん5個⑦マッシュルーム⑧ネギ⑨インゲン⑩オクラ等いっぱい入っていて、野菜だけでも満足できる感じですが、麺は細麺で、茹で上がりもよく、スープも野菜の味を引き立たせる上品で、ちょっとその辺のラーメン屋さんでは出せない味になっています。

 是非一度、『ブラザー軒』のラーメンをご賞味あれ。(チャーシューメン、豚バラのうま煮そばもお奨めです)

 『ブラザー軒』の入口(硝子暖簾は掛っていません)


 入口の看板                『ブラザー軒』の行灯


 野菜うま煮そば(840円)