元ベース弾きの田舎暮らしは

60歳で田舎にUターン、素人の「米と野菜」作り
音楽が縦軸の人生
就職相談・紹介が「天職」

本当に「浮いている」 音楽ホール

2007年01月31日 | 音楽
浜松アクトシティの音響ディレクターにホールの音響と設計について教えてもらいました。

 一番びっくりしたのは、JRがすぐそばを通るホールはホール自身が、振動を防ぐ為に浮いているのだと言われたことです。建築のことはよくわかりませんが、振動を遮断する工法です。

外側の躯体とホールは2重構造になっているのです。
又ホールと線路の間には、地中深く厚いコンクリート壁を作るのです。

残響については、予め設定された残響時間があるそうですが、楽器や入場者数に応じてコントロールします。
天井に取り付けたマイクロフォンから拾った音を電気的に最適な長さにするのです。
アコースティックな楽器の直接音・反射音に電気的な残響が加わっていたなんて知りませんでした。

又ステージの大きさとそれに伴う両サイドの壁の角度にも意味があるのだそうです。
広すぎるステージは、声や楽器の掛け合いが微妙に遅れて、音楽の流れがよくないのです。

両サイドは平行な壁でなく、角度を持たせて重なる反射音(鳴き龍現象=フラッターエコー)を防ぎます。

 聴衆にとって、ピアノの最適ポジションが2つあるのだそうです。よく見える位置と良く聴こえる位置が違うのです。反響版の立て方にもよるそうですが。

 音響工学的なホールの大きさの決め方に加え、そこには動員規模等の経済性や箱物行政の政治の力が加わるのでは思いましたが、当然そんな話は出ませんでした。

 演奏者が気持ちよく演奏できれば、それを聴く人はもっと気持ちよくなれます。

 このディレクターの担当した、ホール主催のコンサートにトランペットで応募した娘が立ち並ぶマイクロフォンにビビリながら、吹いたことがあるといっていました。金管一本づつにマイクがあったそうです。記念コンサートのためDVDの録音をしたのです。

 このDVDを聴きますが、クリアでいい音がしています。臨時編成のオーケストラですが。指揮は昨年亡くなった「宇宙戦艦ヤマト」などの作曲・編曲の面白い宮川泰・彬良親子でした。
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幸せ  ネーブルを食べること

2007年01月30日 | 食べ物、飲み物


今 寒さに弱い私が嫌いな冬です。しかしこの季節でも嬉しいことがあるのです。

柑橘類のネーブルが食べれるからです。
果物のなかで一番好きなものです。

 先週末、広島県の瀬戸田という島でできるネーブルが届きました。
毎年この島のネーブルを運送屋さん経由で依頼しています。
この島のネーブルは最高です。大きくて艶があり、甘いのです。

 しかし 今年は最悪です。まず生産量が極端に少なく値段の高さにびっくりしました。贈答用は、例年に比べ3割高いのです。見た目も良くなくてここ数年来で最悪です。

 毎年このネーブルを親しい人や特約店経営者や娘達にも送っているため、今年だけ不作を理由に 送らないわけにはいきません。
いつもより、受注期間が短く今年はすぐなくなりました。
柑橘類が不作の裏年みたいです。夏前の雨の多さと秋の水不足が影響したようです。

 皮をむくとネーブル特有の甘い香りがします。それを「赤道」に沿ってスライスしていきます。一度に2~3個食べて家族に、呆れられています。
糖分も多い為食べた後べたべたですが、この満足感は最高です。リッチな気分です。

画像は愛媛みかん HPより
http://www.ehime-kankitu.net/html/nebul1.html
いつも食べるものとは違いますが、完熟もあることを知りました。
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快感  低音のうなり(オーディオ)

2007年01月28日 | オーディオ
最近のテレビ番組やCMの中に、音のすばらしいもの、凝ったものがあります。

たとえば、昨日のNHKの9時からのドラマ「スロースタート(前編)」などです。

 自宅では5チャンネルのホームシアターではありません。しかしテレビの音をアンプに通してスピーカーで聴いています。ただ低音だけは別スピーカーでブーストしています。昔の3Dです。

突然CMの中で、ソースを換えたくらい音が変わることがあります。
BSでの音楽再生は当たり前ですが、地上波のチャンネルで低い音まで,延びていると思わず聞き耳を立てます。通常の番組では、アンプを入れてないのですが、音楽番組や映画の時にスイッチオンです。

音楽番組でも低音が切れていることが多いのです。
突然CMでいい音が流れるときがあります。その企業やプロデューサーのこだわりを感じます。ステレオ感があり、奥行きがあると最高です。

CDのなかに低音がもやつくものがありますが。こんなときは低音はカットします。
そのほうがすっきりします。高音が生きてきます。

昔 弾いていたコントラバスの音は特に気になります。

コントラバスの音は、もたついた低音ではなく、風を起こすかろやかな低音です。
しかも軽いけど厚みがあるのです。
いいマイクロフォンでないとちゃんと拾えない音だと思います。

四女がジュニアオケに入るとき、チェロを勧めたのは、その音域のように安定感ありながら幅広い人生を娘に望んだのかも知れません。
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気になる娘達のアルバイト

2007年01月26日 | 娘達・家族
東京に娘が3人住んでいます。

次女は2月に国家試験、三女はトランペットの実技試験と今はアルバイトどころではなさそうです。

娘達は奨学金はありがたいけど、がんじがらめだと嘆いています。
「借金背負って嫁に行くの?」と。自分達で返せと言っていますので。

娘達にアルバイトの状況を聞くと東京は時給が結構高いのです。
この春東京で就職した長女の話によると、飲食店のアルバイトは、「賄い(まかない)」があるかないかが決め手らしいです。常連さんにはあだ名をつけ、仲間内で話題にするそうです。外見やしぐさから決めるそうです。

酔って会社や上司の悪口を言ってる「おじさん」が、就職活動の会社訪問時には、学生にてきぱき応対し、質問に答え「サラリーマンのおやじ」を見直したそうです。
中には飲んだ生ビールの数をごまかし、アルバイトに難癖をつけるグループも居たそうですが。

昔 私の学生時代に、割の良いバイトがありました。

岡山市の各町内会長さんに広報誌(岡山市政便り?)を届けるのです。
町内会の戸数分丸めて束ねてあり、当時 みかん箱に入れバイクで運びました。

このバイトは、月1~2回ありました。増刊号があると3回です。

学生時代はホンダのバイクのベンリー号に乗っていました。
125ccの真っ黒なバイク。カラフルなものはもう少し後の時代です。
これで市内へ配達です。考えると危ないバイトですが稼ぎの効率が良かったのです。

大学の授業料が月1000円時代(とりわけ安かったのですが)この授業料の数倍を一日の配達でもらっていました。

学校の定食が70円、学外の定食屋のおかず一品30円。畳1畳が1000円くらいの下宿代でした(6畳で5~6千円)。

このアルバイトは好条件の為、オーケストラの先輩から後輩へと引き継がれていました。バイクを持っていないとできないバイトです。そういえばあのバイクどうしたのかな?記憶にありません。

大学は北大に次ぐ広さで、バスが校内を横切り停留所が3つもあり、又教室間の移動のため自転車の大群がいました。

今は教育費で悩んでいますが、四人娘の結婚となると破産しそうです。

 画像 渋谷駅前 長女の勤務する街です
 「駅は世界」さんの好意により 転載
 http://blog.goo.ne.jp/naka_premium/e/8c95dc2b8d74bdbbda1125fadb34943f
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この開放感! 映画「ショーシャンクの空に」

2007年01月25日 | 映画/テレビ
勇気を必要とするとき観る映画(ビデオ)があります。

この映画をはじめてみたとき、その展開にときめいたのです。
最初映画館ではなく、ケーブルテレビでしたが、画面がなぜか大きな記憶です。

味わったことのない開放感を感じました。
観終わって、「人ってこんなに頑張れるんだ」と驚きました。
刑務所に永く繋がれ、看守や囚人同士の暴力に屈しなかったのです。
最後には自力で自分を開放するのです。

会う人毎にこの映画を薦めています。
多くの人が共感してくれました。もう既に高い評価をしている人も多いのです。

中でも看守の税務相談にのる場面は面白いのです。お礼のビールを囚人仲間と飲むシーンでは、ビールのうまさを思い出しました。一挙に仲間の信頼を勝ち取りました。併せて看守達の信用もです。

 モーガンフリーマン(囚人仲間)との友情は、もっと 熱いものです。
先に抜け出して待っているロビンス(主人公)に近づく、彼の嬉しさが伝わりました。
こんなに心が通じ合えて、信頼できる友をもてる彼がうらやましいと思います。

少し勧善懲悪的なところはあります。しかし非人間的な看守達への追求には溜飲が下がります。

映画の魅力と精神性において、トップクラスです。

何回観ても感動します。勇気付けられます。嫌なことが小さく感じられます。

(ショーシャンクの空にhttp://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=10909)
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私は「落ち武者」か?

2007年01月23日 | NPO
今日地方銀行に電話をかけました。2人の銀行マンにです。
同じ銀行の本店・支店でしたが、「ムッ」とくる応対でした。

こちらが定年前の団塊世代とわかると、私の想像外の発言になりました。

自己紹介で、来年Uターンで岡山に帰るとまず伝えました。
定年後の生活設計のための銀行との付き合いをお願いしたい旨話しました。
家や事業のため、退職金や年金を担保の融資のことに話が及ぶと
「最近多いんですよね、そういうのが」と突然口調が変わりました。
驚きました。まさかそんな風に言われるとは思っていませんでした。

世の中では、「団塊世代」の2007年問題とか少しは注目を集めていると思っていました。
好意をもっていてくれるとは思っていませんでしたがこんなに否定的とは。
完全な思い違いをしていました。

退職金や年金による消費活動、音楽村や地域通貨発行で地元の活性化を図ろう思っていたのですが。

威張った言い方をしたのか考えましたが、思い当たりません。
この銀行にとって、団塊世代は「お荷物」だったのです。

まして定年退職のUターン組、は「落ち武者」だったのです。
ご当地の銀行にとって、私は素性のわからない人間になっていたのです。
「銀行から遠くお住まいの為、ご足労いただくのが申し訳ない」との一流の断り文句とともに。

今日はっきり、わかりました。団塊世代は城(会社)にいる間に手を打つ必要があります。
「人や法人へのお願い事は在職中にやるべし」と。

人間としての志や誇りを見てくれるのではなく、実利が優先するのです。
今日思い出して良かったと思いました。銀行の本質を。退職までまだ1年8ヶ月あります。

日曜日に観た「華麗なる一族」の一部をスケールの差はあれ、まさか自分が体験しようとは思いませんでした。

久しく感じたことのない怒りがふつふつ涌いてきて抑えるのに、時間がかかりました。
こんな手合いに負けません。
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「ありがとう これは気持ちですが どうぞ」

2007年01月21日 | NPO
好きな言葉は「ありがとう」です。

毎日交わされています。期待以上の好意・親切・サービスを受けたときは嬉しいものです。

この言葉を、「地域通貨」に置き換えます。
(地域にのみ通用するお金=サービスを定量化して換算、単位100円=100アシン阿新)

 ふるさとの母親の電話で毎日の過ごし方がわかります。
いなかのシニアの困っていることもわかります。
庭の手入れ、家具の移動、ちょっとした営繕仕事、買い物や銀行などの「足」です。

 元気な私にわからないニーズがあるのでしょう。
この調査を、地元にある短大・高校生に頼みます。
「困っていること」「してほしいこと」。
それ以外に「自分ができること」「自慢の腕・技術」を教えてもらいます。

 今まで生きてきた知恵や技術を提供してもらうのです。
課題は、個人情報保護法との折り合いですが、専門家に相談します。

 核家族化が進み、おじいさん・おばあさんを知らない世代もいます。
市外から大学で勉強のため、家族と離れ独り住まいの学生もいます。
この人たちにシニアに接触してもらうのです。調査だけが目的ではありません。
もちろん学校・行政の許可や協力が必要です。

 この調査に基づき、地域通貨の発行総量を量ります。
現在の行政や福祉サービス会社との棲み分けが重要です。

 資金は、地元企業のメセナ、行政の予算化、一番大きいのは個人出資の会員です。
またそのやり方にも方式があり、一長一短があります。
立ち上げ後、失敗例が多いのです。参考にします。

 10年間 実施の後発展的解消をします。
これが定着すれば、行政や民間に移管します。
通常通貨による運営こそが本来の姿だからです。

「音楽村」立ち上げ以上のエネルギーが必要ですが、「わたしの理想郷」です。

画像は ふるさと岡山 新見駅前から高梁川を望む  
「駅は世界」さんの了承を頂き掲載しております。。
http://blog.goo.ne.jp/naka_premium/e/24381af4fff00de222102856687b4732
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いい奴だった「吉田拓郎」

2007年01月20日 | 音楽
 かみさんは広島生まれです。
友達としゃべる電話はいつの間にか広島弁です。

 嫁に来たとき拓郎のレコードをいっぱい持ってきました。

 しかし がなりたてるように歌う、チンピラ風の拓郎はきらいでした。
そのためドライブのBGMはもちろん、会話にもかみさんは拓郎のことをしゃべりません
私が嫌いなことがわかっているからです。

 当時チャイコフスキーの弦楽セレナーデをはじめ、クラッシクが最高と思っている
偏屈な奴は、実は自分の方でした。

 小田急線の新百合ヶ丘に引越ししたころ、子どもたちの好きなキンキキッズの番組に
中年のおっさんが出ていました。キンキとのやり取りや照れたような表情にあれっ」と気付きました。「角の取れた」拓郎がいました。

 「皆抱きしめて」を歌う拓郎に「いい奴じゃないか」と思ったのです。曲もいいし、何よりもその歌い方が自然で力が抜けていました。

 昨年 長野出張の夜、ふらっと立ち寄った音楽喫茶のマスターが拓郎への想いを
私に熱くしゃべるのです。クラッシクを聴かせたあと、初めて会った私にです。

 そしてつま恋のコンサート。

 涙を流して観ているおじさん・おばさんがいっぱいです。
 語りかける拓郎の言葉に熱いものがこみあげました。

 「今日までそして明日から」を何回も繰り返し歌う拓郎から、今までの30年間と今からのことを考えさせられました。
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「魔女」が送る宅急便 「焼米」

2007年01月19日 | 食べ物、飲み物
私にとって、もう「絶滅寸前」の食べ物があります。
(冷蔵庫の片隅に残りを食べずに保存しています。手のひらにのる程度ですが、最後の一杯です。)

「焼米」です。

作っているエリアによって、多少その作り方や呼び名が異なります。
関東の南房総では「やんごめ」、中国地方の広島北部・岡山では「やっこめ」、その他では
何と呼ぶか情報が少ない為定かではありません。「やきごめ」がなまったのでしょう。
熊本でも室町から続くとありました。もち米を使う地方もあるそうです。

その作り方が、異常に手間がかかるのです。

青刈りの籾(もみ)を水につけ、ふやかし、釜で炒って、精米です。
平べったい、米のフレーク状にします。
(ところによっては、たね籾の残りを使うところもあるらしく、その土地では貴重なものらしいです。)

通常の食べ方は、熱いお湯を注ぎしばらく置いて、膨らませ柔らかくします。味付けは塩です。
厳しい肉体労働の間のぜいたくな「間食」だったのでしょう。(塩分の補給も兼ねていたのかも知れません。)

最近の食べ方は、炒めたり、油であげたり、バターで炒めて熱い牛乳をかける調理方法もあるそうです。

「干し飯(ほしいい)」は、炊いたご飯を乾燥させ、携行した戦国以来の足軽の食べ物です。これと比較し、「焼米」はなま米の加工ですから米が本来もっているうまみがあります。

母親が多くの人の協力で、これを作り、わずかづつですが、お世話になった人に贈っています。体力のないシニアが個人でこれを作るのは大変です。大釜が必要で汗だくです。
母親がコーディネイト役で力仕事は若い人、精米は専門家に頼みます。
何十年ぶりに食べたという人もいるらしく、多くの年配者の人に喜んでもらっているそうです。


NHKの支局から取材依頼があったそうですが、各行程を取材するには日数がかかるため
諦めたそうです。
広島では中国新聞の取材記事が載っています。(広島県北の焼米紹介)

保存食とは言いながら、鮮度が落ちると味も悪くなります。

母親が送ってくれる「魔女の宅急便」のなかの貴重な一品です。
何時まで作れるか「魔女の気力」次第です。
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「まぼろし」 映画 息子

2007年01月18日 | 映画/テレビ
 生まれ故郷と親を思い出す映画があります。

 三国連太郎主演の「息子」です。

 雪の中、三国ふんする父親が人気(ひとけ)のない家に帰り、瞬間 幻を見るのです。
その男の昔の家族の思い出でした。
囲炉裏の周りに祖父母、自分達夫婦、子供達がいて暖かな火の揺らぎの中で、貧しいけれど幸せな場面が浮かぶのです。会話がなくてもそこにいるだけで安らぐ時間があったのです。一瞬の幻です。あたたかい色でした。

 この映画のこの場面が全てです。

 その映画では、親に一番心配をさせただめな末息子とその婚約者(聾唖者)が
一番親思いだったという話でした。

 1991年山田洋次監督・脚本です。岩手の雪の中の話です。

 私も最近、昔の同じような場面を思い出します。

 幼い頃は家族3世代が、一緒に住むのは当たり前でした。
祖父と両親と私達兄弟が一緒に食事をしているのです。
祖父も父も寡黙なほうでした。黙って食事をしていました。
昔の我が家はひとりひとりに箱膳があり、食器を入れていたのです。
静かな穏やかな家族の食事風景でした。50年前です。

 しかし 昔は良かったという懐古主義だけでは、現在は生きてゆけません。
今どう生きるかを考えたいのです。
若い人が減りシニアが増えています。元気なシニアが年配者をケアーする時代です。

 昔老人だった60才は、今壮年です。ぴんぴんしています。
長生きするようになり、お金がないことは怖く惨めなことになりました。
もっと怖いのは、孤独になることです。

 家族や近所や友人のありがたみを今感じ初めています。

画像  癒し・憩い画像データベース  江崎 幹秀  樹氷 より
http://iyashi.midb.jp/search/detail.php?id=23193
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同窓会 幹事84歳、90歳の出席者

2007年01月17日 | ふるさとの母親
 母親が同窓会の幹事をすることはもはや趣味です。

 年に数回は開催します。
未だに国鉄(今のJR)勤務時代の友達が多いのです。当時から60年以上経っています。
昔の仲間からの依頼で毎年同窓会です。その幹事を引き受けているのです。

 私が、80歳を過ぎての幹事は珍しいというと、嬉しそうに言います。
「今回は15人も集まるし、会費も男の人が持ってくれるためご馳走が食べられる」と。
出席者を確認する為に電話をかけまくります。

 12月の出席者は78歳から90歳までだったそうです。
俗に「国鉄一家」と言われていたそうですが(もう死語に近いものですが)その結束力には、脱帽です。


 他の姉妹と異なり勉強嫌いのため、女学校へ行かず昭和21年まで7~8年間努めたそうです。仕事として電話の交換手から戦時中は車両の編成作業までしたそうです。(男が戦争に取られ、いないため)
 
 多くの子供を育てた母方の祖父は、母の性格を見抜き勉強よりは社会へと国鉄勤務を許したのです。その国鉄時代を謳歌したのが、今に繋がっています。

 そのネットワークはびっくりするくらい広く、選挙が大好きです。(陣営から頼られています)一言余分なことをしゃべり、紛糾の種を作ることもあります。

 未だにボケずに昔のことをよく覚えていますが、直近の記憶になると
怪しいこともありますが、息子の私もそれと似たようなものですからあまり言えません。

 又勉強が嫌いだったという割に、小学校の同窓会を未だにやっています。
これこそ70年以上前のつながりですが、こちらの幹事も欠かしません。

 この同窓会開催が、母親の元気さの秘密のような気がします。

 母親の勤務していた駅は、岡山県北の新見駅です。
田舎の駅ですが、伯備線・姫新線・芸備線の交わる拠点でした。

 好奇心が旺盛で、口が達者で、涙もろいのです。未だに「丼飯」をたべます。
このまま何時までも幹事をして欲しいと思っている団塊世代の息子です。

画像は 現在の岡山県北の新見駅(昔の母親の勤務先)
「駅は世界」さんの了承を頂き掲載しました。
http://blog.goo.ne.jp/naka_premium/e/24381af4fff00de222102856687b4732

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「音楽村」を作る (NPO立ち上げ?)

2007年01月14日 | NPO
 30数年前、学生時代に三重県の合歓の郷に行ったことが、私のサラリーマン人生のきっかけになりました。大学のオーケストラの先輩の誘いで遊びに行ったのです。

 合歓の郷は、まだできたてでしたが、カルチャーショックをうけました。
当時のレジャー施設の概念を覆されたのです。そこには野外のコンサート会場やレッスン棟があったのです。

 大学のオーケストラ時代の記憶に合宿があります。
夏休みに大学を離れて、練習のための合宿をしていました。山の中のお寺や民宿で、数日間朝から夜まで練習をしていました。その印象と企業の経営する施設の落差に愕然とした記憶があります。

 そのインパクトが、音楽好きの自分の将来を決定付けたのです。
そしてそのグループの親会社に入社しました。結果的には音楽事業は担当しませんでした。

 中学生の四女がジュニアオーケストラに参加しています。小学校の高学年からチェロを弾いています。このオーケストラが、春にアメリカに演奏旅行するそうです。今はリッチな時代ですが、寝食をともにしたあの合宿と仲間は忘れられません。

 ふるさと岡山の新見に「音楽村」を作りたいのです。

 廃校になった学校を利用し、合奏・分奏・パート練習をするのです。
市とタイアップし、二重サッシで音漏れを防ぎます。食事の準備に煩わされないように、近所の女性のシニア層に協力を依頼します。そして合宿費用を格安に上げるのです。
そのお返しに、オーケストラ・ブラスバンドは演奏会を開催するのです。生の音楽に接する機会の少ない子供たちやシニアに聴いてもらいます。

 子供たちには「感動」を、シニアには「生きがい」と「ふれ合い」を、音楽団体には「発表の場の提供」と「経済性」を、地域には「音楽村」運営による活性化が生まれるのではと「初夢」を描きました。

 課題もあります、行政の理解と助成や企業メセナ、お手伝いいただく「村人」です。
昨年新見市の企画部を訪問し構想はお話しました。まだ了承は頂いていません。
 又常備すべきピアノ、ティンパニーやコントラバスの購入費用の手当て、何よりも交通の便です。インターから近い施設が必要です。この「村」の存在のPRです。季節は春休みや5月の連休、夏休み、秋の連休とシーズンは限られます。

しかし この夢を実現するために一歩を踏み出します。
たった一つ決まったことがあります。

 「音楽村」の村長に、私の音楽の師である保科洋先生が就任予定です。11月にお話して承諾を得ました。忙しい先生に無理をお願いしました。感謝しています。

 開村は2~3年後です。広報担当の「村外の村人」も募集中です。口コミです。

  保科洋 http://www.hoshina-music.com/
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井上陽水に孫がいるなんて

2007年01月13日 | 音楽
テレビのトーク番組で井上陽水を見ました。

真実は定かではありませんが、九州のブログによると孫を可愛がる陽水の記事がありました。陽水ももう57~8歳、別に孫がいてもおかしくないのですが。
でも孫を抱く陽水なんて、想像できません。お孫さんは3歳だそうです。
それと最近ふるさと筑豊によく足を向けているとか。陽水も年をとったのでしょうか?

最初「心もよう」を聴いたとき. 懐かしく感じました。何故か不思議です。昔は独特の声の「色気」は好きではなく、むしろ生理的には抵抗がありました。

 いま一番気に入っている曲は、「5月の別れ」です。随分昔の曲ですが。メロディの素晴らしさと、陽水の歌い方、残響のある録音がマッチして、素晴らしい仕上げです。
 
 私の良く聴くCDのベストアルバムの、「5月の別れ」の録音が他の収録曲と異なり、広めのホールのような残響があり、それがあたかも空間の広がりとして響くのです。まさに開放感のある晴れた5月を思わせます。長野の空を感じます。

 カバー曲集の西郷輝彦の「星のフラメンコ」や加山雄三の「旅人」を聴くと、他人の歌を自分流にする陽水の感性の素晴らしさを感じます。録音も素晴らしいのです。いいマイクを使っているのか、声にエネルギーを感じます。アンプのワット数が上がったようで密度が濃いのです。「花の首飾り」の声の録音は最高です。ボリュームが大きいのではなく、声だけが強く伸びるのです。声に芯を感じます。

 年取った父母のことを歌った「人生が二度あれば」を私の母親に聴かせた事があります。母親は黙ってしばらく何も言いませんでした。もう10年以上前です。陽水が泣いていると思えるような感じでフェイドアウトしていくのが印象的です。

最近の曲は、あまり聴いていません。

 気に入っているのは、様々な楽器のプロとの共演のBS放送でした。NHKの空想ハイウェイです。もう1年ほど前の放送ですが、オリジナルとは違った、個性的な楽器プレーヤーとの共演でした。懐かしい曲が又変身するのです。ギタリストの押尾コータローやサックスの菊池成孔と日銀本店で共演した場面は必見です。

 最近の若い歌手は覚えにくく、歌手か歌か良く分からないことが多いのは年を取ったからでしょう。

(井上陽水 http://www.y-inoue.com/)
(画像は、陽水の昔のレコード・CDです。結構あります。)
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映画 ラスト30分の衝撃「砂の器」

2007年01月12日 | 映画/テレビ
 音楽と映像の融合した ラスト30分は、日本最高の「映画」です。

 私が好きな邦画の最高傑作というより、生きていることの社会的な痛みを感じたNO.1があります。30年以上前の映画ですが、見るたびに「心臓を掴まれる」のです。

 過去から決別する為、作曲家が殺人を犯します。逮捕状請求のための刑事の説明の中で、使われるラスト30分間の映像と音楽は、今でも私の中ではNO1なのです。
 出だしは少し冗長に感じますが、描きかたが丁寧です。

 それは野村芳太郎監督、山田洋次脚本の「砂の器」です。TVドラマでも数年前製作されましたが、この映画の素晴らしさは別次元です。私の生まれた岡山県の新見から近い島根県の亀嵩(かめだけ)が発端でした。

 親子の情愛と、当時は不治の病とされたハンセン氏病に対する偏見が、この犯罪の原点です。犯人を追いながら、その生い立ちに同情し、犯行動機に声を詰まらせる刑事役が最近なくなった丹波哲郎です。

 ふるさとを病気で追われた親子の吹雪の海岸線の描写と重なる音楽は涙が出ます。
散るさくらの花の下の巡礼姿の親子連れは、きれいな画面の為によけいに悲しいのです。
村を出て行く親子に頭を下げる村人は被害者であり、同時に加害者でもあるのです。どんな想いで、この親子を追い出したのかをも、考えさせる深いものでした。

 松本清張の社会派作家としての優れた作品が10年以上も監督の構想下にあり映画化されたのです。
 今でもわたしはこの映画を音楽ファンに薦めています。映像・音楽どちらもが素晴らしく、心を打つからです。

 この曲は「宿命」といい、楽譜が出版されています。芥川也寸志の曲です。
ピアノバージョンを手に入れて、四女に弾いてもらっています。
 娘はこの映画を見ていないため、淡々と弾きます。
でもこの曲に対する親父のこだわりには、感づいているらしいのです。

追伸

この曲の作曲者は、芥川ではなく、管野光亮です。
詳しくご存知の方にご指摘いただきました。
訂正をいたします。
 
   画像は亀嵩駅
(グルナビhttp://hiroba.gnavi.co.jp/usr/dancin/trip/detailTrip/2570より)
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少年時代 「いじめと待ち伏せと謹慎処分」

2007年01月11日 | 思い出
50年前の小学校時代を良く覚えています。

 団塊世代を含みながら全学年でも150人くらいの小さな田舎の学校でした。1学年1クラスで私のクラスは28人でした。その小学校の5~6年生時代に、いじめられた記憶があります。何人かに押さえつけられ、つばを吐きかけられ、くやし涙でよく見えない教室の雑巾がけをしました。

 そのシーンは、記憶の中では「モノクロ」ですが鮮明によみがえります。

 中学校時代は、高校生の待ち伏せです。

 自宅へ帰る道は、山道含め3本でした。その分岐点の手前に待っていました。
高校生数人が相手でしたから、勝てるわけがありません。

 数日後 高校生が校長先生と謝りに来て、親の知るところとなりました。
不思議と殴られたシーンの記憶がないのです。その前後は良く覚えているのに。

 高校3年の時、謹慎処分を受けました。

 授業直前に派手なけんかをして、相手が鼻血を出しました。
周囲は大騒ぎでした。教室の前の廊下でしたから。
大学の受験の年ですから、内申書への記載があるかどうか気になりました。
何日間か保健室で反省文を書いた記憶があります。数日の謹慎だったと思います。

 SNSのmixiでこのとき喧嘩した相手の息子さんから、「親父がよろしく言ってます、会いたいそうです」とメッセージがあったのには驚きました。mixi登録は本名ですから連絡してくれたのでしょう。

昔は徒党を組むのが嫌いでした。
冷静にみればカッコをつけていたのです。
大学時代は、音楽三昧で短気がわざわいしませんでしたが、社会人になってこの短気さで失敗をするのです。

 (社会人編は後日)

(画像の校舎は  ながのフィルムコミッションより
  http://www.nagano-fc.org/locationlib.php?cat=school)
コメント (2)
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