元ベース弾きの田舎暮らしは

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「老衰」

2021年03月28日 | ふるさとの母親

ガラス越しの面会の母親に変化が。

私たち兄妹の呼びかけに反応が鈍くなってきたのです。

視線が宙を彷徨い、発語が減少。

コロナで入所の特養の部屋訪問ができなくなって1年経ちました。

 

施設入所の母親を見舞うため週二回通ってきた私たち兄妹3人。

車いすに乗り、介護の人にアテンドされながら、ガラスの向こうに座る母親。

2月くらいから、「お母さん、又来たよ!」との妹の声にも反応が減りました。

以前の嬉しそうだった顔と「お早う」の声が・・。

 

元気な姿が当たり前だった母親も、年相応の反応に。

3月に98歳の誕生日を迎えた超高齢者。

どこが悪いのでもなく、痛がることもなく、寝起きのような感じです。

 

おもいあたるのは、「老衰」の進行。

「認知症」でなく、話しかけると反応すると介護の人たちの言葉。

ベッドから車いすに移り、面会スペースに来るのも母親には負担かも?

 

そこで、見舞い回数を週1回に減らすことを、弟・妹と決めました。

頻繁に「見舞いに行く」というのは、ひょっとしたら「私たちの都合?」

姿勢の楽なベッドで、眠りたいときに寝る生活が一番のいいのかも。

会える回数が減ることは、「寂しい」私たちですが。

 

母方の祖父は99歳、祖母は94歳で亡くなりました。

そのDNAが母親を長命にしてきたのでしょう。

おかげで私たち兄妹も、大病を患うこともなく、そこそこ健康。

 

母親が元気で居てくれることが、何よりの「張り合い」です。

 

画像  左が母親   10代後半の母親 およそ80年前の写真

           着物姿で潮干狩りを楽しむ母親、お転婆だったらしい

 

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「墓終い」から1年経って

2021年03月21日 | 住まい、場所

昨年3月 「墓終い」をし、墓地の移転を。

そして 菩提寺の一角に新たに石碑を建立。

住職に「永代供養」を依頼しました。

 

元は代々の先祖の墓が40基ほど並ぶ墓地でした。

裏山の小高い場所にあり、歩いて5分ほどの距離。

急な坂と未舗装の道は、雨が降ると歩きにくいもの。

そのうえ 周囲から迫る竹や雑草の処理に追われる彼岸・お盆時期。

かみさんや東京に住む4人の娘たちにはできない「力仕事」。

 

数年悩んだ末に、墓の移転を決意。

体力急降下や「認知症」発症の前の大きな「宿題」。

信仰心の薄い私たち夫婦を決意させた菩提寺の住職の一言。

「子孫がルーツを訪ね、手を合わせる対象が必要なのでは?」

 

「昔と変わって、今の時代は墓はオープンなもの!」とも。

結婚後 姓が変わった娘や孫や親戚であれば、入れる時代らしい。

直系の家族以外は受け入れられなかった時代も、変化を。

 

        

 

新しい石碑の形は、自分自らデザイン。

墓らしくない石碑をイメージし、簡単なパースを描きました。

絵心のない私の意図を汲み、専門業者が図面を起こしたもの。

「〇〇家の墓」でなく、「安寧」の言葉を刻んでもらいました。

 

この「墓終い」から「開眼供養」後に起きた心の変化は・・。

数年前、旧い家を解体し、新築した時とは異なる感覚が生まれたのです。

家の新築は、「光」や「解放感」による生活の変化。

新しい石碑建立は、なぜか「安心感」「安堵感」を生んだのです。

与えられた「墓地」ではなく、自らの「安住の地」を作った感覚。

 

     

 

「永代供養」をお願いした菩提寺の「護持会長」を拝命したのも同時期。

檀家の長老や若手の地区総代から「みんなで支えるから受けて欲しい」と。

躊躇したものの、結局 受諾。

 

先代の護持会長は地区の名士。いきなり二世代飛んでの「若手?」の私。

護持会運営方法の初歩も知らない私が、20人の地区総代のまとめ役です。

職場では最高齢の私が、護持会では長老の末席に。

 

春になり、田んぼの準備や生えだした雑草の草刈りも始まります。

一日の時間経過は遅く感じるものの、1年はあっという間の高齢者です。

 

画像   桜   母親が次女の生まれた年に植えたもの  樹齢35歳

     石碑  菩提寺に建立したもの

     江湖  数年前の菩提寺の跡目相続式 お坊さんが50人集合

 

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「買い物難民」

2021年03月12日 | ふるさと

夫婦そろって大好きなピザ。

その熱々のピザを、年に数回「移動販売車」で味わうわが町。

「ピザーラ」の出張販売です。

 

スーパーの駐車場の一角で、数日間営業する赤い車。

夕方にはひっきりなしにお客が・・。

ホテルや道の駅にもピザの販売はあるものの専門店のないわが町。

価格は少し高めでも、「本物?」を求める客はいるものです。

 

         

 

先日 訪れた民生委員さんが、開口一番「今地域で困っているのは買い物」と。

高齢者のアテンドをする民生委員として、「買い物難民」対策が急務らしい。

市内には、食料品の「移動販売の店」がJAをはじめ数店舗しかありません。

 

かつては各地にあった食料品店は、スーパーの進出に押され壊滅状態。

かろうじて残った店も、販売数量の激減で赤字状態。

後継者のいない店は、店舗改装などの投資もできず、冷蔵庫の電気代も悩み。

賞味期限を気にしながら、ケース単位の発注をせざるを得ないのだとか。

小売店もさることながら問屋も減り、日配品から手を引かざるを得ないらしい。

 

         

 

3万人を切ったわが町。高齢者比率が急増。

高齢者夫婦や配偶者を失って独り暮らしの「買い物ができない」家庭。

高齢化による免許返納が拍車をかける田舎。

交通事故率が社会問題化しても、便利な都市部とは比較できない状況。

ネット通販とは縁遠い高齢者。スマホ・パソコンの使える高齢者は少ないのです。

 

「買い物をするときの年寄りは、楽しそうなのです。」と民生委員。

そのため地区で、月に1~2回買い物支援ツアーを開催。

しかし 運転手役が確保できない状況。

運転ボランティアも70歳以上はいるものの、「人を乗せて、万一・・」と躊躇。

若い人への休日返上での運転の「お願い」も限界があるのだとか。

 

田舎だから米や野菜を育てることは当たり前だった昔。

今は、市街地でも猿やイノシシなど獣害が発生。人と動物の活動範囲が激変。

野菜つくりをあきらめざるをえず、荒れ果てた田んぼや畑。

人に脅威を感じなくなった猿は、堂々と人前で畑を荒らします。

 

         

 

わが町だけでなく、全国で起きている過疎化問題。

私もあと数年で運転ができなくなると予測。

健康で運転できる時間は、限られている実感。

 

今は、コロナ対策が一番。ワクチンの早期接種が望まれています。

同時に、崩れていっている高齢化社会、過疎化問題も喫緊の課題です。

 

画像   ピザの移動販売   ピザ好きには嬉しい店。

     ピザ        クオーターでいろいろな味を

     パンの移動販売   地元の米工房のパン屋

     複合スーパー    市南部のスーパー  

 

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春 「桜餅&摩利支天」

2021年03月06日 | ふるさと

昨日 職場に持っていたかみさん手作りの桜餅。

 

我が家は、関西風でもち米の「粒々感」のある道明寺粉を使用。

関東の滑らかな桜餅とは一味違う食感。

塩漬けの桜の葉は少し硬いものの、香りは最高でした。

 

岡山県北も寒さが峠を越し、ようやく春。

今朝は、雨上がりの霧の中、庭の紅白の梅が満開。

庭一面に漂う梅の匂いに春を感じます。

石垣の枝垂れ風の黄色い「山吹?」も今が盛りです。

 

         

 

週半ば、地元の守り神の八幡宮の宮司が「摩利支天」の祈祷のため我が家に。

地区の中でも「摩利支天」を崇める家は少ないもの。

山本勘助などで知られているように、武士の守護神。

先祖代々続いてきた、「神」と「我が家」の関係は強固?です。

 

春は、進学・就職の季節ながら、今年は過去にないパターン。

恒例のイベントが次々中止に。リモートでは情が通いません。

当事者たちの、区切り・節目が失われていきます。

 

         

 

昨日、失業の人の職場見学に同行。

彼が関心のある会社の経営者にお願いをし、仕事の内容をヒアリング。

併せて、工場内の見学も。丁寧な説明と情報公開とオープンな会社。

 

説明後、応募の意思表明をすると、即「採用」と告げられ驚きました。

人柄はもちろん、経験と前職の勤務年数の長さが奏功。週明けから早速勤務開始。

数多くの会社の不採用告知に自信を無くしていた彼も大喜び。

 

親御さんから依頼を受け、相談に乗ったのが週初め。

ヒアリングするうちに、彼の言葉の中に「言ってはいけない」言葉が。

前職の退職の理由の一つに「人間関係」と言ったのです。

 

たとえ人間関係の悪化が事実でも、口にしてはならない言葉です。

どこの会社も、この言葉には敏感。本人にも原因があると考えるから。

そのことを指摘すると、「え、なぜ?そんなこと知らなかった!」

 

         

 

厳しい就職戦線にも、春が・・。

自然界の春と同じように、多くの人に「春」が来て欲しいものです。

 

         

 

画像   桜餅   大量の桜餅。「売れるよ」と娘たち。

          プロっぽい包装をして届けます。

     床の間  この前で宮司が祝詞を

     庭の紅梅

     離れの前の梅  匂いはこちらのほうが強い

     石垣の山吹   我が家では、昔から何故か「ちい、ちい」と呼びます

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