元ベース弾きの田舎暮らしは

60歳で田舎にUターン、素人の「米と野菜」作り
音楽が縦軸の人生
就職相談・紹介が「天職」

「レジで2時間も・・」東京コロナ禍事情

2020年03月28日 | 娘達・家族

一昨日 長女から東京のコロナの影響による困窮生活報告が。

外出自粛の東京都のアナウンスを受けた状況連絡がありました。

「巣ごもり」の都民の混乱ぶりが伝わってきます。

 

外出を控えた人たちが、食料品の購入に慌てふためいているらしい。

スーパーでは、通常買い求める以上の食べ物を購入のためレジは大混雑。

列に並んだ長女は、逃げることもできず、レジの精算待ちで2時間缶詰。

棚からは、冷凍食品やカップ麺、パスタやソースが消えたとか。

 

全員東京に住む四人姉妹の他の娘に聞くと、駅前などの利便性の高いスーパーはどこも混雑。

駅から少し離れた店は、何とか希望の食品が買えるらしい。

2人の感染者は出たものの、切迫感はさほどではない岡山県の田舎の我が町。

 

     

 

面会謝絶が続く施設入所の母親。

昨日 定期健診のため受診に一時外出の母親と、病院で久しぶりの対面。

お互いを心配していた母親と私たち兄妹は少し涙目。

 

毎日施設訪問していたのに、突然の面会不可で母親の心配は増すばかり。

「家に帰りたい」と言っていなかった母親もついにホームシック。

「伝染病の状況」を説明し、面会許可の日まで頑張るように激励しました。

私たちの届ける生花を部屋に飾ってもらうことも、ケアマネのOKに。

 

     

 

アメリカのカリフォルニアに住む知人からも厳しいメール。

ここ2週間外出禁止で外に出てないのだとか。

まるで戦時下のようだと嘆いていました。

 

いつも母親に押絵や季節の飾り物を届けてくれる倉敷真備の知人。

今回も「松ぼっくりポンポン」や押絵を送ってくれました。

しかし 面会禁止の施設の母親には届けられず、わが家に置いたまま。

ただ たくさんの見舞いの品々が届いたことを伝えるのが精一杯。

 

何時 この状況が落ち着くのかわからない現状。

勤務先の市役所も緊急対策室設置を含め人事の異動発表。

加えて年度末のため、確認や申請の窓口訪問の市民たち。

 

     

 

4月には墓地の改葬に伴う、閉眼供養や開眼供養を控えている私です。

菩提寺や石材店とのスケジュール調整、行政への改葬申請などなど。

仕事では、3月閉鎖の温泉で働く人たちの就職相談面接と希望事業所見学アテンド。

 

今年は、桜見物の余裕も状況でもない春。

本当の「春」はいつ来るのか、落ち着かない毎日です。

 

画像   東京都庁裏    中野坂上に住んでいたころ西新宿に毎日通った道

     尾頭付きの鯖鮨  母親が元気なころの家庭の味

              初めて見た人は、頭があるのにびっくりしていました

     けんちんそば   豆腐を炒めて野菜たっぷり、平打ち麺の食感は最高

              田舎のごちそう、栄養たっぷりです

     自家製焼き芋   昔 年末娘が帰省し、大掃除手伝いのご褒美でした

             

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「終活」のきっかけは、「どろどろ」の血液

2020年03月21日 | 日常

クリニックの診察を終え、帰ろうとした時、

小走りの看護師さんが、「先生がもう一度診察室に来て欲しいとのことです!」

検査用の血液を抜いた直後です。 検査結果は次回にお知らせとの言葉だったはず。

 

内科医の知人の言葉は衝撃でした。

「血液がドロドロで、このままでは血栓の可能性があるよ!」

検査結果の速報値を診た医師が、早く伝えなくてはと思ったらしい。

 

それから ひと月、詳しい検査結果を知りました。

赤血球も白血球も多い 濃い血液が問題らしいのです。

血圧も少し高め、下の数値が80台後半、上が130後半。体重が4㌔増加。

 

「濃い血だけが問題ではなく、肥満による高血圧、動脈硬化が。」

「血栓が起きる可能性が高く、脳内で詰まると大変だよ!」

「対策は水分を取ること、水でなくお茶が一番いいよ。体重を晴らす運動も必要。」

 

かかりつけの内科医は、学生時代からの付き合い。

学生オーケストラ仲間で、彼はバイオリン、私はコントラバス。

アドバイスやこまめな検査指導をしてくれるありがたい友達です。

 

     

 

何時 脳内出血で人生が終わるかもしれない「危機感」と「恐怖感」。

家族に伝えるべきことは何か、死ぬまでにすべきことは?と考え始めました。

預金・借金はなし。娘たちが遺産で争うことはない貧乏所帯。

 

ただ かみさんには、家の登記簿を渡し、先祖からの不動産の処理の話も。

財産がないので、遺言状は必要ないでしょう。

娘たちには、父親が何を考え、何を話していたかだけは覚えておいて欲しいもの。

「突然の別れ」で娘たちや孫たちとの会話がないままでは、少し寂しい気持ちです。

 

一番悲惨な病状は、意識がありながら、体が動かない場合。

要介護4~5の場合、特養の施設入所の優先順位は高いのです。

その前に「世帯分離」により、かみさんと私の世帯を分けること。

住民税を払わない私だけの所帯だと施設への入所費用を抑えることができるから。

同じ住所に住みながら、世帯を分けることが可能。申請は簡単です。

 

私の入所希望の施設名もかみさんには伝えています。

仕事柄 市内の特養の状況は、現地で確認済。

施設の規模、介護人数、部屋の大きさ、築年数。

 

自宅から施設への距離は大事、かみさんが入所後の見舞いにかかる時間も。

ただ 緊急入院中に複数の施設に申し込みだけはしておくこと。

必ずしも 希望の施設の入所が出来ないことも。待ち人数の多寡もあるから。

 

       

 

小学校から高校まで皆勤だったことが私の自慢。大学での「さぼり」は除いて。

結婚後 夫婦とも入院経験なし。国の医療費の削減に貢献しているかも。(笑)

そのためか、「終活」を口にしながら、自分だけは・・と思っているのが本音。

年齢からするとかみさんより私が先のはずだが、思いがけず逆も・・。

 

何時 その日が来るかわかりませんが、毎日を真摯に生きていきたいものです。

 

画像   かかりつけのクリニック   車で5分 内科医と産科医が学生時代のオケ仲間

     昔住んだ浜松の家の玄関   四人の娘たちと住んだ最後の家

     昔のディズニーのパレード  新百合ヶ丘に住んだころよく行ったランド 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「終活」の始まり

2020年03月15日 | 思い出

「日残りて 昏るるに未だ遠し」。

作家 藤沢周平の書いた「残日録」の実感が強くなったここ数年。

「人生の残りにやるべきことに着手しなければ・・」と焦りも。

 

帰省していた次女と孫娘が、今日東京に。

桃太郎空港(岡山空港)まで車で送ります。

 

コロナ禍中 3週間の親娘孫の三代の生活は、久しぶりで楽しいけど少し疲れも・・。

有り余るエネルギーを発散する孫娘を看ることは、高齢者にはきついもの。

4歳の孫娘の思考や発言に、驚くほどの成長を感じます。

 

     

 

定年後、ふるさとの生活を選んで10年以上。

ずっと考えてきた、「家を守る、墓を守る」とは何か?

その手始めが、墓地の移転、「代々墓」の建立。

 

裏山の少し小高い場所にある墓地、石塔が40本弱。

山道がきつく感じる年齢になり、家の隣に移転を考えたことも。

しかし 私やかみさんの亡くなったあとを考えると・・。

 

四人の娘に恵まれ、全員が東京で勉強・就職、二人が結婚。

転勤族だったため、誰一人 私の実家での生活経験はなし。

実家は、父親のふるさとであり、自分たちのふるさとではないのです。

 

信心の薄い我々夫婦。「散骨でも良い」くらいの「軽い夫婦」でした。

しかし 菩提寺の東堂の「子孫がルーツを探し、手を合わせる対象は?」

とのアドバイスで、永代供養の寺を「終の棲家」にすることを決意。

 

石材店に「墓らしくない墓」のデザインと見積もりを依頼。

現在 その完成と移転スケジュールを調整中です。

石碑に刻む言葉を10以上の候補から選択中。今週決定予定。

費用の手当ても銀行と協議終了。行政への手続きは残っていますが。

 

「終活」を始めて、少し「肩の荷」が下りてきた感じ。

先祖が残してくれた田畑や山林の「行く末」は今からの懸案事項。

「日の残る時間」が少なくなってきたものの、「昏れる」のは少し先。

 

     

 

          

 

私の望みは

 施設入所中の母親が一日でも長く生きてくれること。

 四人の娘や孫たちが、健康でそれなりの生活を営んでくれること。

 何よりかみさんが、元気でそばに居てくれること。

 

「終活」は来世のためでなく、「今を生きるため」に必要だと・・。

 

画像   若かりし頃の母親(左端)   80年前の母親、かつて国鉄勤務。現在97歳

     かみさんと孫娘        市内中央の城山から市街地を望む

     四人娘と私たち夫婦の絵    知人の画家に書き加えてもらった部分

     知人の絵           左下の円の中に家族を書き加えてもらいました

                    この絵は玄関先に飾っています

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

面会謝絶連絡(コロナ禍)

2020年03月08日 | ふるさとの母親

昨日 母親が入所している施設のケアーマネージャーから電話。

一瞬 母親の容態に何か変化が?と不安がよぎります。

「今日から、家族と言えども見舞い訪問ができなくなりました。」

 

岡山県でもコロナ発症者が出たための緊急措置をとる旨の連絡。

「ついに来たか!」

毎日 仕事帰りに母親の見舞いに、この施設に通っています。

 

       

 

生花とサッカー中継観戦が楽しみな母親。

個室に飾った複数の花瓶の生花。その水替えのために毎日見舞っていました。

母親の好きなカサブランカの花の「雄しべ」を取り除き、長く咲かせる作業も。

お陰で指先がいつも黄色に。花粉は水洗いでは落ちません。

 

「母親の部屋に飾った生花の管理をお願いします。」と言うのが精いっぱい。

面会再開がいつから可能か?も現状では不明です。

「容体が変わったら連絡します。」と施設側。

97歳の高齢では、何が起きるか心配ながら、やむをえません。

 

     

 

施設から電話の直後、また携帯が鳴ります。

なんと今度はアメリカ在住の知人から。中学・高校の同級生の女性です。

母校の高校の存続のための、支援・協力依頼。

 

話は母親の近況に移り、この女性と母親の誕生日が奇しくも同じ日と判明。

6月にアメリカから帰省するので、施設に見舞いに行きたいとの申し出が。

学生時代、9歳年下の妹にピアノを教えに来てもらっていた記憶も。

当時 我が家にはピアノがなく、電気のオルガンしかありませんでしたが。

 

世界に蔓延するコロナウィルス。

ついに岡山県北の過疎の町にもその脅威が迫ります。

 

          

 

東京から「疎開?」の次女と孫娘は滞在延長中。

同じく東京の別の娘から、ティッシュやカップ麺不足のSOS。

平常の落ち着いた生活を早く取り戻したいものです。

 

画像   千屋温泉の送迎バス   元気なころ母親は毎週温泉でした

     カサブランカ      施設の部屋に欠かさず活ける花

     庭の水仙

     公園の孫娘       4歳児は活発、4月から幼稚園

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

年齢40歳差の友情の証「胡蝶蘭」

2020年03月01日 | 友人たち

一昨日 帰宅直後、宅配便で届いた大きな梱包。

中身は豪華な「胡蝶蘭」。「花の中の花」、一般家庭には縁のない花です。

知人の医師が贈ってくれました。

 

宛先は私ではなく、施設入所中の母親。

「誕生日」おめでとうの札。3月1日が誕生日の97歳の母親へのプレゼントです。

厳重な梱包の中には、冷気に耐えられるようにカイロも。

 

7年前、母親は脳内出血で県南へ緊急入院。

搬送先で奇跡的に救命されたものの、マヒが残り市内の施設に入所。

幸いなことに、認知にもならず、会話も可能です。

 

早速 この医師にお礼の電話。

97歳の母親への、誕生日プレゼントとしては、高価な花。

「先生、なぜこんなに母親によくしてもらえるのですか?」と質問。

 

先生の言葉にびっくり。

「お母さんとは友達だから」。膝の痛みの治療でお世話になったのは母親の方。

医師は50歳代後半の年齢。年齢差はおよそ40歳です。

医師と患者の関係を超えての「友情」の存在を教えてもらいました。

 

この花を手配していただいたのは、先生の奥様。

馴染みの花屋さんに「いい花」が入ったら送って欲しいと頼んでいたとのこと。

医師夫妻の配慮にあらためて感謝です。

 

     

 

昨日 早速 母親の入所の施設に胡蝶蘭を運びます。

「花姿」が大きいため、車の中でかみさんが支えながらの運搬。

母親に花を見せ、医師の好意を伝えます。

 

「お母さんの誕生日のお祝いに、こんな立派な胡蝶蘭が届いたよ。」

「贈ってくれた先生が、お母さんは友達だから贈ったと言っていたよ!」

母親は涙を流しました。「友達だ」との言葉が響いたらしい。

胡蝶蘭の華やかさに、隣に活けたバラやカサブランカが地味に感じます。

 

    

 

年末 学生時代からの友人の開業医が、わが家に来た際、医療業界の話を。

開業医の苦労は、院内の労務管理、自己の健康管理だとか。

所得は、拘束時間の長さ、税負担を考えると頭抜けた高さではないとのこと。

一定収入が見込まれるなら、勤務医のほうがプレッシャーは少ないと。

 

     

 

胡蝶蘭を送ってくれた医師は、隣町の北房で、さとう医院を主宰する佐藤医院長。

大きな声で高齢者とのコミュニケーションをはかる「赤ひげ先生」スタイル。

障がい者施設への支援や異業種交流などで、地域振興にも注力。

自身は、フルマラソンで自己鍛錬をする「スーパーマン」。

 

この「スーパーマン」に高齢相談員の私が勝っているのは、娘の数。

先生には3人の娘、私には4人娘。ともに男の子がいません。

私とイーブンなのは「関白度指数」? 互いに「愛妻度」を誇示していますが・・。

 

たまたま帰省中の次女と孫娘が「胡蝶蘭」のすばらしさにびっくり。

胡蝶蘭が、母親や家族に「あたたかさ」を与えてくれました。

 

          

 

画像   胡蝶蘭          3本立、保温のカイロが梱包内に

     梱包           段ボール箱の大きさに驚く孫娘

     母親入所の施設      資本金10億弱、職員170名、全室個室

     先生とその仲間たち    右端が佐藤先生、数年前の二次会で

                  (本人たちに無断掲載 叱られるかも)

     施設に活けた花      胡蝶蘭、母親の好きなカサブランカ・バラなど

                         

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする