母親が亡くなりました。
数え歳100歳で、大往生です。
多くの人に支えられたことに感謝です。
ありがとうございました。
昨日 稲刈り終了。
雨の合間の秋晴れの日はピンポイント。
気持ちのいい風の吹く秋の日の作業は、あたかも「リクリエーション」?
前日の雨でぬれた稲が風で乾くのを待って、稲刈り開始。
近隣の「農業のプロ」の運転するコンバインのエンジン音。
コンバインで刻まれた稲わらの上を、虫を追ってトンボが飛び交います。
県南から弟と妹が手伝いに。
でも 手伝えるのは、せいぜい田んぼの隅の手刈りと落穂拾い。
生まれ育った実家の田んぼを懐かしそうに歩く弟と妹。
久しぶりに兄妹の会話ができる貴重な時間です。
田んぼの横にアウトドア用のテーブルと椅子を並べ、途中休憩。
テーブルの上の「主役」は、秋の味覚のブドウと梨と芋羊羹。
「美味しい」と好評のブドウの「瀬戸ジャイアンツ」。
そしてかみさん手製のサツマイモの「芋羊羹」。老舗の「舟和」の羊羹風。
誰もが好きなブドウ農園から直送の採れたてのブドウ。
「瀬戸ジャイアンツ」を噛んだ時の破裂感と上品な甘みは、果物の「女王」かも。
今年も「瀬戸ジャイアンツ」、「シャインマスカット」、新種の「シードレス」を大量購入。
全国の友人・知人、東京の娘たち、近隣の知人に送ります。
毎年みんなが心待ちにしているブドウ、お礼の電話やメールが。
「青空の下で働けることが最高の幸せ」と九州の友人の言葉。
ガンを患いながら、奇跡的な復活を果たした人の言葉は、心に沁みます。
ブドウ到着の電話で弾む会話。夫婦での食事やドライブは、互いの共通行動。
稲刈りの後、籾摺り・乾燥後届く新米も秋の楽しみ。
精米後、東京の娘たちに送ると同時に県内の親戚や知人には車で配ります。
米は生鮮食料品、精米直後が一番おいしい時。
人生の残りをカウントする高齢になった今。
「旬」を味わってほしいと、多くの人に届けることに満足感を感じる年齢です。
画像 稲刈り コンバインを運転する近隣の農業のプロ
モミの移送 コンバインが満杯になると運搬車に移します
ブドウ 左瀬戸ジャイアンツ、中シードレス、右シャインマスカット
芋羊羹 芋をプロセッサーで粉砕、繊維を感じさせないように
二か月待ってようやく届いたレンタルのCD。
吉田拓郎の「ah-面白かった」。
ファンでなく、昔は大嫌いだった吉田拓郎。
クラシック以外聴いていなかった若いころの私の「音楽歴」。
結婚して、かみさんが持ってきたLPレコードの中に拓郎が数枚。
広島で生まれ育ったかみさんが、地元のヒーローとして聴いていたとか。
しかし 「やんちゃな」雰囲気と歌い方には、抵抗を感じていた私でした。
テレビの「Love Love あいしてる」を見たとき、印象が変わりました。
なんと 優しい「おじさん」に変身していたのです。
kinki kids の二人に接する拓郎の姿は、別人の様。
三度の結婚、肺ガンを患い死にそうだった体験。
まさに波乱万丈の人生だった拓郎。
多くのミュージシャンとの交流と刺激、新しいジャンルの確立は拓郎の功績です。
私が ふるさとにUターンして、ライブを企画して来てもらったのが小室等の「六文銭」。
古民家の小さな会場が、満員御礼に。遠くは広島や九州からも来客。
この「六文銭」のメンバーの一人が、拓郎の最初の結婚相手の四角桂子。
岡山のFM放送の社長だった従兄弟のコネでライブを実現。
引退を宣言し、7月に最後のテレビ出演の特番「Love Love あいしてる」。
歌う拓郎の眼に涙。沢山のゲストの拓郎に対する愛情と尊敬を感じました。
先立つ6月にラストアルバムの「ah- 面白かった」発売。
かつての「拓郎節」の面目躍如のメロディーライン。
しかし 声の張りを失い、高音の苦しい声量。
肺がんや高齢が故の歌い方です。でも私より2歳年上の拓郎の頑張りです。
タイトルの「面白かった」の言葉に拓郎の満足感が。
3曲目の「Contrast」にその心境が見て取れます。
「1本の道がありました。私は私だったんだから。
1本の道が見えました。そこを進みます。」
後悔のない音楽人生を送ってきたとの拓郎の自負と誇り。
私の50年のサリーマン人生に共通する気持ちです。
「良い仕事人生を送ってきた」と思う私へのエールでも・・。
画像 CD 拓郎ラストアルバム「ah- 面白かった」
六文銭 10年以上前 私の主宰の「六文銭」ライブ
リハーサル風景 新見市 太池邸