

「私は誰かに守られている?」
あるいは、人生の「リスクヘッジ」がうまくいっている?
ここ最近 常に感じている「感覚」です。
サラリーマンを50年以上、いまだに働ける職場環境と健康。
私は「仕事をする」後期高齢者。時には憐みの眼と言葉をもらうこともあるが。
かつては、能力のなさを自覚し、上司から指摘され、コンプレックスも。
でもいつの間にか、私の「天職」の就職相談に自信と満足が生まれました。
また Uターン直後、地元の神社の責任役員を経験。
現在は菩提寺の護持会長を引き受け、4年任期最後の年です。
最終任期に「山門建設」事業を計画し、進行中。
本来 この会長職は、お金も時間もある「旦那衆」が受諾?
毎年の人間ドックで、高血圧や高脂血症、肝臓の「フォアグラ化」の指摘。
しかし 精密検査の要請や、かかりつけ医の「病気指摘」もなし。
体の「重だる」感は、睡眠でいつの間にか消滅します。
米作りや花つくりは、半ば義務感はあるものの、何とか継続中。
逆に 草刈りや耕運に達成感や充実感を感じるようになりました。
「草刈り後の青々とした」風景に、しばし目を奪われます。
経済的には、厚生年金と企業年金と毎月の夫婦の給与。
預金はないが、大きな借金もなく、多少美味しいものも食べられる高齢者です。
タバコを止め、職場弁当以外に出費のない高齢者には財布がなくてもいいかも。
仕事人生に終止符を打ち、ハッピーでリッチな退職後を想像していた若いころ。
しかし 想像と全く異なる田舎生活にも、「不満・不安感」「退屈感」はなし。
カッコよく言うと、誰かのために「出来ることがある」という満足感。
「日の昏れるまで もう少し」頑張る「残日録」の主人公が目標です。
霊感もなく信心の心も薄い私ながら、支え守ってくれる「守護天使」が居るのかも?
祖父母や両親から受け継いだ「健康のDNA」も支えてくれている?
かつて 神や仏の存在をほとんど信じていなかった私も少し変化してきたようです。
しかし 見えない「神や仏」以上に私を気遣ってくれるのは、やはり「家族」「友人知人」。
時には、イラっとしたり、鬱陶しく感じることもある夫婦関係。でも夫婦は夫婦。
最近会ってない娘たちのSNSによる近況報告に、安堵します。
東京に出かけ不在のかみさんの留守に、独り自分を振り返っている私です。
先日 車の車検を受けました。
前回 お世話になった整備工場、半年前から案内が数回。
各種割引があるので「是非 当社で車検を!」
全国チェーンの車検の加盟店は凄い。
曜日の指定はあるものの、短時間・ローコストが売り物。
わずか1時間で、自賠責・税金を除き、1万円の価格設定。
応対のマニュアルがあるのだろうが、接遇スタイルも確立。
指定された時間に訪問。
小雨の中、傘を持ち、私の降車から入店までアテンドしてくれました。
それも男性です。ホストクラブの応対風?(経験はありませんが)
壁に貼られたスケジュールには、予約の有無が、一目瞭然。
お客に見せるものでなく、店の営業の叱咤激励?かも。
華やかな店内のレイアウトに比べ、店内は静か。
むしろ 「暗い雰囲気」を感じたのは、私の偏見?
「空き」を埋める「ノルマ」があるかも?と思ったから。
エンジンオイルやエレメントの交換を依頼。
ブレーキオイルの交換も進められ了承。
聞けば56項目に亘る車検チェック項目があるとか。
整備開始と同時に、不具合とかかる料金提示は親切で安心です。
ただし 支払は現金のみで、カードはお断りのシステム。
車に貼る「車検済シール」は、後日郵送とのこと。
全国で全車が受ける「車検制度」。
安全・安心を満たしてくれる制度ながら、本当に数年ごとに必要なのかの疑問も。
(車検・点検・修理・買い替えにより成り立つ整備業界。政治力もあるかも?)
2万7000人の我が町には40社以上ある車の整備・販売会社。
これらの会社から「整備資格者の求人」を常時募集中。
車に頼らざるを得ない田舎の我が町。
高齢運転手問題に加え、整備問題と過当競争の問題も・・。
画像 同伴出勤 前の白い車を追う私の車から写す
集落 唯一の信号で停車
魚料理店 車でないと出かけられない境港の大橋の先の人気店
お菓子のアウトレット 岡山南のお菓子の安売り店 カップル・子連れが多い
人生の「残り時間」を初めて意識した出向時代。
その時出会った「実践心理学」がきっかけでした。
「時間管理」感覚を初めて意識。40歳前のことです。
出向し大きく変わった環境。
それまでの「自信」や「プライド」が崩れたころ、出会った「心理学」。
自分を客観的に観る習慣と時間管理を教わりました。
「使える時間」は有限であり、やりたいことの「優先順位」を決める習慣も。
田舎にUターンしたのは、母親と過ごす残りの「時間」があとわずかだと感じたため。
また 自宅新築時に、使う部屋や機能の頻度から、無駄と思えるものを排除。
(お金がなかった言い訳もあるのだが)
建築材料はローコストに、高齢化した私たち夫婦の動線を優先し、平屋の小さな家に。
悩んだ末の「墓終い」。40本の墓石を整理し、菩提寺に石碑建立。
娘たちの墓掃除や草刈りが想像できないために、墓参の楽なフラットな位置に。
使わない建物の解体と整地。
母屋以外に、使わない建物が二棟。そのうちの一棟を解体整地。
残りの一棟も、内部の荷物を整理後、判断予定。
山林や田畑の扱いは、まだ未着手。名義変更も高額な手数料。
処分も含め最大の課題です。
子供やかみさんに残せるお金はないため、トラブルはないでしょう。
一番大切な心の準備。大きく揺れる弱い意思。
護持会長を引き受けたとき、「悟り」が開けるかもと期待。
しかし あとわずかな任期になっても、「煩悩」だらけです。
後期高齢者にかかわらず、勤務を勧めてくれる職場。
毎日出会う初対面の人々、使う名刺枚数は職場で一番。
この歳になっても、刺激を受け、人生の指針を教わっています。
画像 自宅 解体前の庭(左の建物を解体、正面は新築の自宅)
解体 庭に重機が
菩提寺駐車場 イベント時には寺の駐車場も満杯に
かみさんと孫娘 雪を観る二人
先週 警察に「110番」連絡。
駐車中の車に衝突され、事故処理依頼の電話です。
ここ5年で2回目の「被害者」に。
二回とも、ぶつけられた相手は、70代の高齢者。私と同世代。
いずれもバック中の事故。
「車は居ない」と思い込み、確認せずにバックし、ぶつけられたもの。
バックのため、スピードは出てなくて、大破には至らず。
もう40年以上、違反も事故もない「ゴールド免許」の優良運転手の私です。
通勤以外も仕事のために運転し、走行距離が延びる私のような高齢者は少ないでしょう。
事故や違反がないのは、「ラッキー」で「奇跡的」。
しかし スピードを抑え、違反や事故を回避するようになったのは、30代の結婚後。
20代の頃は、「スピードマニア?」だったかも。
就職後、初めてのマイカーは、ロータリーエンジンの「サバンナ」。
二代目もロータリーの「ルーチェ」。いずれもマツダの「名車?」でした。
「スカG」や「ベレットGT」とスピードダッシュを競った時代。
自慢できることではないが、スピード違反の常習者で免停も長期を経験。
営業担当ながら、営業車が運転できず、電車やバスを利用しての得意先訪問。
多分 上司の評価は厳しかったはず。
大事故も経験しました。
大型車と大型車に挟まれ、乗っていた営業車が廃車になるくらいの事故も体験。
「奇跡的」にケガもせず、ムチ打ち症で済み、警察・救急車もびっくり状態。
今でも、ついついスピードが上がるのを自覚。スピードメーターをしばしば確認。
視力が衰え、知らない土地での「案内版」を瞬時に読み取れない高齢化。
あれほど「うまかった」バックでの駐車も、蛇行するようになり、技術降下も実感。
田舎では、車は必需品。公共交通が充足していないため、やむを得ない高齢での運転。
「買い物難民」予備軍が多数存在の我が町です。
私も 元気で車を運転できるのもあと5年位でしょう。
画像 マツダ ルーチェ 社会人になりマイカー2台目のロータリーエンジン車
最初のサバンナは、父親の援助で
ホンダ ベンリー 高校・大学と乗ったオートバイ125cc
庭にタープを張り、パラソルをセット。
屋外用いすとテーブルを並べ、アウトドア感覚。
新緑がまぶしい周囲の山と庭です。
ゴールデンウィークにタープを張るのは初めて。
日差し遮断でなく、初夏の風を受けるため。
アウトドアの雰囲気が、なぜか心を掻き立てます。
娘や孫が帰省するわけではないのに、「非日常」の実現です。
老夫婦だけの、黄金週間を楽しもうと。
自然にはないオレンジのタープとイエローのパラソルがアクセント。
連休初日 菩提寺の護持会の役員会。
思いがけず推薦を受け、固辞したが、菩提寺の護持会長を引き受けて2年。
40年ぶりに故郷に帰り、「浦島太郎」の私に大役。
護持会の整備事業の一つに、墓地の増設。
檀家の高齢化や都市部への移住がすすみ、「永代供養」を希望する人が増加。
増設した墓地の半分が予約で即埋まりました。
護持会の兄弟組織に「墓地組合」も。
檀家の中で、菩提寺内に墓地を持つ人が構成員。その構成比およそ60%。
ただ この組合の役員が高齢化、草刈りや清掃が困難に。
運営の年間組合費のひっ迫や次期役員の選任などの課題も。
私がこの菩提寺に墓を移転したのは、2年前。
娘たち4人が東京在住、裏山にあった墓地への道も急峻。
そのために、思い切って菩提寺に墓を移したのです。
新しい石碑(墓石)が完成し、生まれた「安心感」。
かみさんや娘たちも「マイ 墓地」の感覚が芽生えたらしい。
足が衰えても、横移動できる平坦な墓地。墓地は高台で車が必要ですが。
黄金週間が楽しいのは、休みが多いだけではないかも?
仕事や日常の忙しさをオフにして、休息のスイッチがオンになるから?
新しい生活感覚を持てるきっけに、黄金週間がある?
なれば、目に見える「明確な」変化、「非日常」を造ることでしょう。
新しい石碑(墓石)を設置したことで生まれた感覚。
先祖を敬うためだけでなく、実は「今生きている人の活性化」が副次効果かも?
休日のタープやパラソルは、オン・オフの切り替えスイッチ?
視覚効果が、人間の気持ちの切り替えに大きな影響があることを実感。
旅行・外出で気分転換も重要、美味しいものを食べられる機会も。
でも我が家に帰った時に、その感覚を維持する視覚的「モニュメント」が要るかも?
家具の配置換え、カーテン交換、玄関の置物・眠っている食器に交換etc。
黄金週間は、一年の中でも一番素晴らしい季節。
昨日は、山陰に鮨を求めてプチ旅行。出雲そばがお土産。
今日は、庭の池の掃除、夏野菜の苗の植え付け と忙しいスケジュール。
その作業の合間に、庭のパイプ椅子に腰かけ、飲むコーヒーの美味しさ。
タープ越しの空の青さに癒されます。
画像 タープとパラソル 夏休みの娘や孫の帰省時のデイキャンプ予行演習
菩提寺 慈眼寺(曹洞宗)寺は山の中腹
寿司 米子市の寿司屋「北海道」、昨日は予約客で満杯
池 この池を今日掃除予定
ここ数日の毎朝の出勤と帰宅時の「幸福感」。
それは、家の前の畑のチューリップの開花風景。
6~7分咲きながら、鮮やかな色彩に癒されます。
数年前から、植えはじめたチューリップ。
今年はおよそ600本。年々増える本数。
前年の球根と買い足した球根をエリア分けして植えます。
前年の球根は色が混じるが、新しい球根は色別に開花。
色も様々なうえに、花の高さが異なる前年度の球根からの開花。
インターネット購入の球根は、色の種類が写真付きで仕分け可能です。
Uターン後10年が過ぎ、「花咲爺さん」になった私。
春のチューリップ、夏のヒマワリ、秋のコスモスと花いっぱいの田舎暮らし。
庭にはパンジーなどの寄せ植えの20以上の大鉢。そして雪柳。
同時に開花する 深紅の「花桃」や真っ白な「プラム」がチューリップを囲む「色の競演」。
原色のチューリップと紅白の色合いは、「絵にかいた」様な風景。
居ながらにして、「桃源郷」を体感できる田舎暮らしです。
米や野菜つくりにあまり関心のないかみさん。
しかし 花つくりには熱心です。家の周りや空き地の除草剤散布も積極的。
電動式除草剤散布機を自ら購入、満タン時15キロ以上を背負い嬉々として散布。
この時ばかりは「田舎の嫁」を演じます。
夫婦二人の必要とする野菜の量はわずかなもの。
「ならば・・」と植えはじめた花が、この時期色とりどりに我が家を囲みます。
近隣の高齢者やウォーキングの人が、足を止める花畑。
先祖の遺してくれた畑や庭の有効活用です。
そして、夫婦の「花つくり」の共同作業は、「熟年離婚」を防ぐ方法かも?(笑)
このチューリップの開花風景を東京に住む娘たちにLINEで配信。
「綺麗!」「今日チューリップを買いに行こう!」とコメントあり。
田舎暮らしの私たち夫婦の穏やかな生活をみせることで、娘たちに安心感を・・。
経済的に厳しい娘たちにも、「団子より花」の世界の存在も知らせたいとの想いも。
昨日午後 驚きの体験を。
突然我が家を訪問、私の車のヘッドライトの「黄ばみ」を除去してくれた人が。
80歳を超す隣の集落に住む重鎮。午前中 菩提寺の責任者会議で打合せした人。
菩提寺の駐車場での立ち話の時、車のライトの黄ばみが気になったのだとか。
汚れ落としのクリームとコンパウンドとウェス持参で、磨いてくれたのです。
手慣れた感じで汚れを落とし、立ち去った人。恐縮する私を残して。
田舎に住み、善意の人とふれあい、花に囲まれる生活は「宝物」です。
画像 チューリップ 1 後の白いプラムとカラフルなチューリップの対比が絶妙
プラムを昔は「さざんきょう」と呼んでいた記憶が
チューリップ 2 何故か 赤が先に咲きます
チューリップ 3 チューリップ畑の上に我が家が
はなもも 今年はすこし早い開花
ロシアの「ウクライナ」侵攻に衝撃を。
まさか 本当に他国に攻め込むとは。
そして その決断をしたロシア最高権力者の存在と防げなかった西側諸国。
現実とは思えない「戦争」が今起きている世界です。
今から50年以上前、大学の「ロックアウト」を経験。
勉強するために入った大学のあちこちで築かれたバリケード。
拡声器で呼びかけるヘルメットとアジテーションのビラ。
自分の「立ち位置」を問われる初めての体験でした。
学生会館の食費値上げ反対に始まったデモに初めて参加。
しかし 「大学解体」にまでエスカレートした学生運動からは脱落。
いわゆる「ノンポリ」だった私。
イラク戦争当時のテレビでの中継は、「ゲーム」を見るような気持ち。
ミサイルの発射や、衛星から見る「着弾」の様子は、リアリティのないもの。
唯一 油田のあちこちから上がる煙が、戦争の「風景」。
しかし 今回の「ウクライナ」は、人間が映っています。
肉親の死を嘆く人々、大混雑の列車と群がる人々、大渋滞の車列。
まるで 「昭和の戦争」でみたモノクロの記録映画そのもの。
「70~80%の支持率」を持つロシアの大統領の「野心」。
自身は、ベルリンの壁崩壊をまじかに見て、強い「ロシア」復活が目的とか。
政敵やジャーナリストを葬る「怖さ」と「力」への過信の「愚かさ」そのもの。
このブログのテーマに敢えて避けてきた「政治」と「宗教」。
「終活」をしながら、娘や孫たちの穏やかな「日常生活」を望む高齢者の私。
自分にできること、しなければならないことを考えさせられる「ウクライナ」問題です。