




2021年も残り数日。
高齢になると、一日は永いのに、一年はあっという間。
ふり返ってみると、コロナに影響されながらも、何とか生活してきたとの想い。
何より、サラリーマン生活を50年も続けてきたこと。
民間のメーカー勤務から、ハローワークの相談員、今は市の相談員。
「こんなに永く勤務するとは・・」自分でも不思議。
健康と様々な経験が、今に繋がっていると実感。
来年も、継続意思があるかとの打診に、迷いながらも了承しました。
かみさんも民間から、この4月市の任用職員に転職。
共働きで「同伴出勤」と休日の共有が可能になりました。
夫婦ともに持病もなく、高齢の「共働き」は珍しいと周りが。
この夏 久しぶりに東京に住む娘や孫たちが帰省。集合は久しぶり。
タープやパラソルで雰囲気を作り、連日の「デーキャンプ」は楽しい思い出。
「田舎の満喫」の要望に応える「じじ・ばば」も「非日常」の演出にわくわく。
年末は「ウェルカム・イルミネーション」の設置の第2弾も。
その中、施設入所の98歳の母親も入退院を繰り返しながら、認知発症もなし。
入院の都度、悲観的な見通しをくつ返し、「奇跡の復活」連続の超高齢者。
治療と共に体力温存を医師に依頼。母親の免疫力にも期待。しかし 余談を許しません。
サラリーマンの傍ら、農業の継続も。
米作りも10年経過。不作はないものの、今年の米価暴落は衝撃。
もし 農業専従なら、経済的打撃は大きく、農業断念も視野に入れていたはず。
私にとっての農業は、季節体感と草刈りなど適度のリハビリ目的。
米作りに加えて、自家消費の野菜つくりも「猿軍団」との闘い。
注力の最たるものは、「花つくり」。この花を楽しみにしている近隣や通行人。
春のチューリップ、夏のヒマワリ、秋のコスモスは、「田舎暮らし」の醍醐味です。
年間を通じての楽しみは。季節感を味わえる「食べ物」。
広島・瀬戸田のネーブル、茨城のメロン、県内・七地のブドウを毎年大量購入。
この「美味しさ」を全国の知人・友人に直送し、喜ばれるのも私の喜び。
その返礼として全国から届く「グルメ」便。友人たちの心遣いです。
丹波の「黒さや」、福岡の「辛子明太」、大分の「ふぐ」・「干物」。
福島の「リンゴ」、新潟の「ル・レクチエ」。米子の「吾左衛門鮓」。
コロナの影響が大きかったのが、音楽との関係。
演奏会開催中止や延期、密集回避から生演奏を聴く機会がなかったこと。
母校の岡大オケの保科先生指揮の演奏会も行けなかった年でした。
家族の健康と相談員継続、美味しいものとの出会いに恵まれた幸せな年でした。
画像 ルレクチエ 岡山にない果物をと選んで送ってくれたもの
チョコレートケーキ かみさん手製のケーキ 喜ぶ孫娘
イルミネーション 飽きずに観る孫娘
前菜 隣町のレストランAQUA メニューにないもの
少量多種のわがままを聞いてもらいました
餃子 注文殺到の宮崎の店製 納期一か月は異常?では
「日残りて 昏るるに未だ遠し」。
作家 藤沢周平の書いた「残日録」の実感が強くなったここ数年。
「人生の残りにやるべきことに着手しなければ・・」と焦りも。
帰省していた次女と孫娘が、今日東京に。
桃太郎空港(岡山空港)まで車で送ります。
コロナ禍中 3週間の親娘孫の三代の生活は、久しぶりで楽しいけど少し疲れも・・。
有り余るエネルギーを発散する孫娘を看ることは、高齢者にはきついもの。
4歳の孫娘の思考や発言に、驚くほどの成長を感じます。
定年後、ふるさとの生活を選んで10年以上。
ずっと考えてきた、「家を守る、墓を守る」とは何か?
その手始めが、墓地の移転、「代々墓」の建立。
裏山の少し小高い場所にある墓地、石塔が40本弱。
山道がきつく感じる年齢になり、家の隣に移転を考えたことも。
しかし 私やかみさんの亡くなったあとを考えると・・。
四人の娘に恵まれ、全員が東京で勉強・就職、二人が結婚。
転勤族だったため、誰一人 私の実家での生活経験はなし。
実家は、父親のふるさとであり、自分たちのふるさとではないのです。
信心の薄い我々夫婦。「散骨でも良い」くらいの「軽い夫婦」でした。
しかし 菩提寺の東堂の「子孫がルーツを探し、手を合わせる対象は?」
とのアドバイスで、永代供養の寺を「終の棲家」にすることを決意。
石材店に「墓らしくない墓」のデザインと見積もりを依頼。
現在 その完成と移転スケジュールを調整中です。
石碑に刻む言葉を10以上の候補から選択中。今週決定予定。
費用の手当ても銀行と協議終了。行政への手続きは残っていますが。
「終活」を始めて、少し「肩の荷」が下りてきた感じ。
先祖が残してくれた田畑や山林の「行く末」は今からの懸案事項。
「日の残る時間」が少なくなってきたものの、「昏れる」のは少し先。
私の望みは
施設入所中の母親が一日でも長く生きてくれること。
四人の娘や孫たちが、健康でそれなりの生活を営んでくれること。
何よりかみさんが、元気でそばに居てくれること。
「終活」は来世のためでなく、「今を生きるため」に必要だと・・。
画像 若かりし頃の母親(左端) 80年前の母親、かつて国鉄勤務。現在97歳
かみさんと孫娘 市内中央の城山から市街地を望む
四人娘と私たち夫婦の絵 知人の画家に書き加えてもらった部分
知人の絵 左下の円の中に家族を書き加えてもらいました
この絵は玄関先に飾っています