「12月になると話題となるもの」と言ったら何を思いますか? ボーナス・お歳暮・大掃除・もうすぐ来る“クリスマス”など?
もうちょっと深く考えれば“赤穂浪士の討ち入り”(元禄15年12月14日)・・今の皆さんはあまり興味がないのかな~
音楽好きの皆さんなら“第九”(ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンの交響曲第9番ニ短調作品 最後の交響曲125)
私はご存じのとおり“へそ曲がり(偏屈者)”なものですから、この時期になると間違いなく【芝浜】です!
落語を“立川談志”を知らない人は、なんじゃそれは?となるでしょうが、暮れになると必ず聞いた人情噺がこれです。
左の写真は「立川流の定紋」です。(丸に左三蓋松) 昨年2011年から聴くことができなくなりました!残念でです
昨年(11月21日)から立川談志から『立川雲黒斉家元勝手居士』となっちゃったんで止むを得ませんがもったいない!
・
・
例年なら「12月中旬」にばれば、東京よみうりホール他で当たり前のように聞かせてもらった、談志師匠の【芝浜】
やむなく昨年からは「DVDorCD」で懐かしんで聴いています。それでも「生」で聴きなれたものにとっては不足です
師走によくやる“人情噺”で代表的なのは、この『芝浜』と「文七元結」ではないでしょうか・・。 そのくらいの噺です
各師匠も演じますが、人情噺は落語家の実力に加えて「人間性」も問われるような気がいたします。私・素人ですが
この噺・・魚屋の勝は酒におぼれ、仕事に身が入らぬ日々が続くような生活ぶり、ある朝早く、女房に叩き起される
嫌々ながら「芝の魚市場」に向かうが、時間が早過ぎたために市場が開いていないし、誰ァ~れもいない
芝浜の浜辺で顔を洗って一服していると、そこで偶然に財布を見つける。中を開けたら目を剥く程の大金が・・・
有頂天になった魚屋は自宅に飛び帰り、仲間を呼んで浮かれ気分で大酒を飲みどんちゃん騒ぎをする
翌日、二日酔いで起きた魚屋に女房・・こんなに飲んで酒代をどうするのか?と問い、おかんむり状態で詰め寄る
魚屋は拾った財布の件を躍起になって訴えるが、女房は“そんなものは知らない!”魚屋は探すが見つからない!
魚屋は愕然として、ついに財布の件を「夢と諦める」 以来、酒を断ち、心を入れ替えて真剣に働き出す。
懸命に働いた末、生活も安定し、身代も増え、やがていっぱしの定店を構えることができた・・3年後の大晦日の夜
魚屋はカミサンの対してその献身をねぎらい、頭を下げる。ここで女房は例の財布を見せ、事実を告白する・・・!
・
・
実はあの日、夫から拾った大金を見せられたカミサンは困惑した。横領すれば当時は死罪になる。江戸時代では10両(後期は7両2分)盗むと死罪の時代
長屋の大屋さんと相談した結果、大屋さんは財布を拾得物として役所に届け、カミサンは大酔いに乗じて『財布なんぞ最初から拾っていない!』と
時が経ってもついに落とし主が現れなかったため、役所から拾い主の魚屋に財布大金が下げ渡された
この真相を知った魚屋はカミサンを責めることはなく、道を踏み外しそうになった自分を助け、真人へと立ち直らせてくれたカミサンの機転に強く感謝
「カミサンが夫に本当は“夢じゃなくて本当だった”と告白するシーン・・談志師匠の“捨てないで~”というカミサンの生々しい言葉・・泣けてきます・・
カミサンは懸命に頑張ってきた夫の労をねぎらい、久しぶりに酒でも・・と勧める。 はじめは拒んだ魚屋だったが、やがておのずと盃を手にする。
「うん、そうだな~じゃ~呑むとするか」・・しかし思い立った魚屋・・次には盃を置いた・・『よそう。また夢になるといけねぇ』という下げ(落ち)
私が聴いた『芝浜』(2007年12月18日 よみうりホール)、後々・談志師匠が自ら言ってました「先日の「芝浜」は不思議なほどうまくできた」と
「あれは神様がやらせてくれた最後の噺だったのかも知れない・・・」と言わしめたほどの「真迫の芝浜」だったと・・いい時の噺思い出されます
夫婦の愛情を暖かく描き、古典落語の中でも屈指の人情噺と言われていますが、談志師匠の巧みな話術がよりプラスされて最高です
12月は“赤穂浪士”も“第九”もいいが、私は立川談志師匠が気迫で語った『芝浜』・・変人ながらいつまでも心に残る「人情噺」で好きです!
先般の一周忌にも特集が組まれましたが・・・やっぱり・談志師匠の生の『芝浜』一番・・そう言いつつ「DVDやCD」で我慢してま~す
もうちょっと深く考えれば“赤穂浪士の討ち入り”(元禄15年12月14日)・・今の皆さんはあまり興味がないのかな~
音楽好きの皆さんなら“第九”(ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンの交響曲第9番ニ短調作品 最後の交響曲125)
私はご存じのとおり“へそ曲がり(偏屈者)”なものですから、この時期になると間違いなく【芝浜】です!
落語を“立川談志”を知らない人は、なんじゃそれは?となるでしょうが、暮れになると必ず聞いた人情噺がこれです。
左の写真は「立川流の定紋」です。(丸に左三蓋松) 昨年2011年から聴くことができなくなりました!残念でです
昨年(11月21日)から立川談志から『立川雲黒斉家元勝手居士』となっちゃったんで止むを得ませんがもったいない!
・
・
例年なら「12月中旬」にばれば、東京よみうりホール他で当たり前のように聞かせてもらった、談志師匠の【芝浜】
やむなく昨年からは「DVDorCD」で懐かしんで聴いています。それでも「生」で聴きなれたものにとっては不足です
師走によくやる“人情噺”で代表的なのは、この『芝浜』と「文七元結」ではないでしょうか・・。 そのくらいの噺です
各師匠も演じますが、人情噺は落語家の実力に加えて「人間性」も問われるような気がいたします。私・素人ですが
この噺・・魚屋の勝は酒におぼれ、仕事に身が入らぬ日々が続くような生活ぶり、ある朝早く、女房に叩き起される
嫌々ながら「芝の魚市場」に向かうが、時間が早過ぎたために市場が開いていないし、誰ァ~れもいない
芝浜の浜辺で顔を洗って一服していると、そこで偶然に財布を見つける。中を開けたら目を剥く程の大金が・・・
有頂天になった魚屋は自宅に飛び帰り、仲間を呼んで浮かれ気分で大酒を飲みどんちゃん騒ぎをする
翌日、二日酔いで起きた魚屋に女房・・こんなに飲んで酒代をどうするのか?と問い、おかんむり状態で詰め寄る
魚屋は拾った財布の件を躍起になって訴えるが、女房は“そんなものは知らない!”魚屋は探すが見つからない!
魚屋は愕然として、ついに財布の件を「夢と諦める」 以来、酒を断ち、心を入れ替えて真剣に働き出す。
懸命に働いた末、生活も安定し、身代も増え、やがていっぱしの定店を構えることができた・・3年後の大晦日の夜
魚屋はカミサンの対してその献身をねぎらい、頭を下げる。ここで女房は例の財布を見せ、事実を告白する・・・!
・
・
実はあの日、夫から拾った大金を見せられたカミサンは困惑した。横領すれば当時は死罪になる。江戸時代では10両(後期は7両2分)盗むと死罪の時代
長屋の大屋さんと相談した結果、大屋さんは財布を拾得物として役所に届け、カミサンは大酔いに乗じて『財布なんぞ最初から拾っていない!』と
時が経ってもついに落とし主が現れなかったため、役所から拾い主の魚屋に財布大金が下げ渡された
この真相を知った魚屋はカミサンを責めることはなく、道を踏み外しそうになった自分を助け、真人へと立ち直らせてくれたカミサンの機転に強く感謝
「カミサンが夫に本当は“夢じゃなくて本当だった”と告白するシーン・・談志師匠の“捨てないで~”というカミサンの生々しい言葉・・泣けてきます・・
カミサンは懸命に頑張ってきた夫の労をねぎらい、久しぶりに酒でも・・と勧める。 はじめは拒んだ魚屋だったが、やがておのずと盃を手にする。
「うん、そうだな~じゃ~呑むとするか」・・しかし思い立った魚屋・・次には盃を置いた・・『よそう。また夢になるといけねぇ』という下げ(落ち)
私が聴いた『芝浜』(2007年12月18日 よみうりホール)、後々・談志師匠が自ら言ってました「先日の「芝浜」は不思議なほどうまくできた」と
「あれは神様がやらせてくれた最後の噺だったのかも知れない・・・」と言わしめたほどの「真迫の芝浜」だったと・・いい時の噺思い出されます
夫婦の愛情を暖かく描き、古典落語の中でも屈指の人情噺と言われていますが、談志師匠の巧みな話術がよりプラスされて最高です
12月は“赤穂浪士”も“第九”もいいが、私は立川談志師匠が気迫で語った『芝浜』・・変人ながらいつまでも心に残る「人情噺」で好きです!
先般の一周忌にも特集が組まれましたが・・・やっぱり・談志師匠の生の『芝浜』一番・・そう言いつつ「DVDやCD」で我慢してま~す