二畳庵庵主の戯れ言

一輪の桜に従い野に。ついに2015年、人生の第三ステージの場・高知に立つ。仁淀川に魅せられたオヤジの戯れ言日記。

「いる幸せ」「いない幸せ」

2016-05-18 22:45:28 | 徒然に想う

朝の連ドラ「ごちそうさん」あたりから、それとそれに続く「あさイチ」の有働アナとイノッチたちの感想を見ないと、その日が始まらない様になってる。掛け合い漫才みたいなところがあって、ついつい見なきゃとなる。それが、もちろん悪意あっての発言ではないが、「だんだん畑に行くのが遅くなっちゅう」と周囲のオンチャンたちの噂話を生む。言い訳しないの? 連ドラとあさイチを見たいがためにって言える? だいたい、本人だって、野菜たちが待ってると焦ってる。どちらに重点を置くのかって、聞かれたら・・・。まぁまぁ、答えぬが華、か。で、あるところであるが、この「あさイチ」、朝にしては重いテーマ、があるときある。例えば、今朝のテーマもそう。「女性リアル どう思う?“子どもがいない”生き方」。数か月前に、女優・山口智子さんが雑誌のインタビューに答えた言葉。NHKのサイトから拾うとこんな文句:

「子どもを産んで育てる人生ではない、別の人生を望んでいました。今でも、一片の後悔もないです」、 女優、山口智子さんが雑誌のインタビューに答えた言葉が、今、多くの女性の支持を得ています。夫婦の生活を大事にしたい、経済的に子育ては無理・・・。 さまざまな理由で子どもがいない人生を選択する女性たち。 しかし、「女は子どもを産んで一人前」という価値観が生み出す“子なしハラスメント”に、日々直面します。 さらに、不妊治療が身近になったことで、「妊娠するための努力」を求められることも・・・。 “子どもがいる幸せ”があれば、“子どもがいない幸せ”もあっていいのでは?  “オンナの幸せ”について、トコトン考えます(スペースや改行は庵主が入れた)!

早く山に上がりたかった。ところが、いつものように見ていたら、こんなテーマで「連ドラ」の話しのあと、ふるさと納税に関する有働アナのコメント(結構、これはこれでかなりイケてた)に続き始まった。「“子どもがいる幸せ”があれば、“子どもがいない幸せ”もあっていいのでは」、あれ? どうしてそれが“オンナの幸せ”の議論になるん? つまり、なぜ“オンナの”になる? 子供がいる・いないの問題は、“オンナ”だけが背負うことじゃない、抱え込むものじゃない。“オトコ”だってかかわってる。「いない幸せ」をどのように選んだのか、「いる幸せ」をどのように選んだのか。その選択の時に、どうだったのか。今朝は気が急いていたせいか、聞き逃したろう。が、結局「自分(女性)のキャリアとの兼ね合い」「(女性視視点での)夫婦の生活を大切」ばかりが耳に残る。

とっても個人的なことになるが、怒られること・批判されることを承知で言おう。「いない幸せ」はオンナ”にしか選べない。“オトコ”には「いない幸せ」の選択はできない。もちろん、パートナーだったら話に話を重ね理解しあう。で、「いない」ことに同意はできる。だが、だが、だがなんだ、そこにやがてギャップがあると気付くこともある。タイミングがあわなかったと言われたら? 子を「産める」のはオンナ”しか持てないこと、“オトコ”には何ともしがたい。人類は「未来」を捨て始めたんだろか。だいいち、「子供」という「将来を担う資産」が「いる幸せ」「いない幸せ」と議論される自体、社会が狂ってきてないだろか。「いる幸せ」「いない幸せ」を、‟オンナ目線“だけじゃなく‟オトコ目線”も入れ、一つの番組にして議論せねばならなくなったじゃないだろか。



今日の一枚:麦を収穫した、稲架を立てた。16時ころ、圃場にて。

今日のもう一枚:ロメインレタスが、残り8株になってしまった。薬は使わぬ、昔はどうしてた?ネットで調べると糠に卵の殻。試すしかない。ロメインレタスの株下に卵の殻を蒔く。

お次はパクチーの根元に卵の殻。

で、トマトやキュウリには米糠を。

 



熟睡のわけ

2016-05-18 07:20:48 | 徒然に想う

ジャガイモの土寄せを鋤簾でエッチラオッチラ。そんな日の夜はあっという間に落ちる。ほとんど山からとってきた野菜のサラダに、野菜炒め。肉と調味料、イモ焼酎は街から。お腹いっぱいになって、ふと気がついたら、深夜零時。二階に上がり布団を敷いて、電気を消したら。月明かりが差し込んでる。

青白く冷たい・・・。青白くはあるが、冷たいんじゃない。暖かいんじゃないが、優しい。いつもなら常夜灯を付けておくが、それも消してしまい。窓越しに月光浴。そうじゃない? 焼酎でポワンとした頭には、光を受けている、というニュアンスじゃない。ルーナ=ローマ神話の月の女神の視線だ、それを感じる。その優しさに、そしたら、やっぱりいつの間にか寝入ってた。今朝起きたときのスッキリ感と来たら!

ネキリ様、ヨトウ様で、山の食事処は繁盛、繁盛。土寄せを始める前に巡回すれば、バッタバッタとレタスの苗が倒れてる。う~ん、ロメインレタスは60植えて、今や12前後。パクチーも風前の灯になりそう。ひたすら「テデトール」を使うも、どうもあの感覚が慣れない。タマゴの殻作戦、カプサイシン作戦を試してみるか・・・。コメヌカ作戦もあり、か。

土寄せをしていて気が付いた。いつ花取ったろう。4種類植え付けているが、まだ1種類しかしていない、それも先月のこと。今月になってまだどれも、蕾が見れない。「インカのめざめ」に至っては、先月低温にあたって葉先が黒くなってしまったのもあるが、全体が枯れ始めたようにすら見える。もう収穫? まさかねと、試し掘り。茹でて半分かじると、指で摘んでるめちゃ小さな満月。ホコホコとした食感、美味いなぁ、まっこと優しい。そうか、昨夜はデメター“豊穣の女神”とルーナ“月の女神”がそばにいたのか、どおりでしっかりと寝れたわけだ。




今日の一枚:なんどか、青っぽい鳥が行く手を過ぎるのを見ていた。カワセミの飛び方じゃないし、水辺じゃない。もしかしたらと思っていたら、昨日確認できた、ルリビタキ。写真の薮中にいるんだけど、ね。18時ころ、山からの帰り道。


雨だれを見入る

2016-05-16 14:18:41 | 徒然に想う

窓の向こうフェンスがあって、その一番下に雨の飛沫がゆっくり集まり水滴となる。ポタリとやがて落ちる。その間隔が遅いのか早いのか、どれほどなのか時計とにらめっこをしていたが、面倒臭くなってやめてしまった。ただその感覚が、見ている自分の時間のゆっくりさが気にいって、ずっと眺め続ける。はじめカエルの声がしていて、ときおり強く降り、かき消される。ウグイスが一頻り歌うとまたアマガエル。ヒヨドリ、ツツドリも交じることがあって。屋根、コンクリ、壁、フェンスなどをたたく音、音、音。こんなにゆっくり雨を楽しんだのは久しぶり。

昨日の桐見川でのBBQのあと、山にあるハットに連れていっていただいた。オンチャンが手をかけ作り上げた。現役時分、建築関係だったとのことだが、それはそれは立派、居心地がいい。テーブル、椅子が解体した家から出た梁などを利用している。手で作れるというのは、実に素敵なこと。「窓の向こう」の窓はその山小屋の窓の一つ。フェンスの向こうには、そこには緑と谷とが広がっている。

BBQ、実に多くの人に会え、多くの人と繋がり、いい時間。50センチは優に超すよな大きな鯛、グレなどをその場で刺身に。シシ肉があって、炭は参加者の一人が焼いたもののよう。子供たち、若い子ら用にソーセージもあったが、他は手作り。ワイワイ、ガヤガヤ30数名で囲んでた。終わるころからポツポツきだす。予報より早く降り出した。

スパイスが効いて、夕飯、朝ごはん、むちゃくちゃ美味かった。大家族、というのではないが、食べるときは大勢がいい。子供のころ、7人で食卓を囲む。それが普通だった。今じゃ、夢だし憧憬。それが10人近くになり、それぞれのお皿が玄人レベルですごいところに加わったのだから、それ以上のスパイスがあろうか。雨の降り方から、山がどうなっているか気になるも、こんな日、そうそうあるわけじゃないから楽しまない手はないと・・・。

 



今日の一枚:鎌井田の猫、バス停に向かう途中。昨日10時半ころ。




ん、食事処、やってるんです?

2016-05-14 06:39:21 | 徒然に想う

失敗! レタスの鉢ずらし(育苗鉢に移植した苗が大きくなってきて、葉っぱが重なるようになってきた。そこで、重ならないように空間を作ってあげる)をしてたら、招かざるお客が沢山。食害にあっているのがポツポツ目にするようになってて、葉の裏を見たりしたのだが見つけられなかった。土に潜られてては仕方ないが、どうしたものかと思い悩んでいた。トマト、キューリ、ゴーヤを定植するので、鉢ごと水に浸す(ドブ付け)。それらを置いていた台があいたので、レタスをコンクリートの地面から持ち上げ、合わせて、ずらしたわけ。いるいる、もう嫌というぐらいいる。

鉢上げしてから産み付けられたのか、どこをどう伝わって移動してくるのか・・・。しかも、不思議なことに、陽がよくあたるところに置いてあったのにはあまりない、日中影になるところに圧倒的に多い。が、食害はまんべんなくちらほらある。夜になって移動を開始し気に入ったところで食事とするのだろうか。でも、一センチくらいのこれらのお客の体から想像するに、相当な距離。それを乗り越えるのだから、何と言おう、すごい。

定植をしていると、幸せでたまらない。特に長ネギ(シロネギ)の時が一番だと思うが、もちろんそれ以外のものでも同じこと。一昨日のレタス、数は少ないが昨日のトマト、キュウリでも同じ。大地に抱かれている、土と同化しているなんて感じる。そもそもそれだけでも十分なのに、目を移せば、仁淀川でしょ。山があって、鳥たちがいて。寂しさ、つらさ、あらゆることから解放してくれる。輪をかけて幸せな気分。豊穣の女神のハグ? 無心? そういやぁ、四国を歩てた時に感じた気分にも近い、かも。

圃場の主、アオダイショウ。この主、の移動距離ときたら・・・。例えば、車止めから一番高い段の端まで、高低差30メートル、水平で50メートルはあろう、60メートルほどの移動距離になる。毎日じゃないがいたるところで出会う。体長1.8メートル、太さ3、もっとか5センチの太さの生き物がズリズリと這って動き回る。その労力はどれほどのものか。ああ。でも・・・。主にしても、招かざるお客たちにしても、食べるものを探してる。同時に、道中いたるところに敵が潜んでる、わが身に何が起こるかわかったもんじゃない。死すらもやってくる。「移動する=歩く」のを楽しむ、楽しめるのはヒトだけ、なんか。彼らは生き続け子孫を繋いでいくため、「労」なんて、なんてヒト目線。さてさて、今日は何株やられたか、いやいやお食べになられたか。

(午前中で25℃を超えていた。でも、午後は雲がでてちょうどいい体感に。午前中の空)

 



今日の一枚:定植する場所が日陰になるのを待った。胡瓜、トマト合わせて50株ほど。終われば17時を過ぎていた。今日の成果は? と振り返った。

 


目指せ!

2016-05-12 06:51:25 | 徒然に想う

うれしいこと。嬉しいこと。昼飯後用事があって街に出た。帰り道、川辺の道でのオンチャンと会った。「なにしゅがー。車でうろうろしゆう時間じゃないがー」。語尾、こうなるかな? なんにせよ、こうやって茶々入れる(?)ような一言をかけてくれること。  

うれしいこと。嬉しいこと。山からの帰り道、に入るとオバチャンに呼び止められた。「あの木、つこうてもええよ」。どの木かわからなくてちょっとキョトンとしてると、「よっしゃ」と、その木のところまで連れていってくれた。脇にキンカンの木。「キンカンを蜂蜜に漬けとくと、風邪の時、えいよ」と教えていただけただけたこと。

うれしいこと。嬉しいこと。電話が鳴って出ると「花はどうだ(文旦の花に小夏の花粉付け始めたか)?」。苗の世話してると「がんばりんさい。でも無理はあかんよ」(土佐弁じゃないですね。すみません)。今は使わないけれど使える機材、「つこうていいきぃ。もってけ」。いろいろ声かけてくれること。

毎日毎日、あるわけじゃない。でも、一言がこんなに嬉しいとは。以前とギャップを感じるから、だろか。ギャップか、人、自然、生活、すべてに対してなんだ、実は。ウインウイン、ウインウインにしなきゃ、な。



今日の一枚:山からの帰り道。「緑」の色サンプルのような世界。何種類数えられる? 無理だと思った瞬間。18時ちょっと前。

もう一枚:これだよ、これ。黄昏の浅尾沈下橋。


水も滴るいいオトコ

2016-05-11 07:02:51 | 徒然に想う

天気予報から雨が降るだろうことは予想してた。日曜、月曜、山に行かないとさすがに気になる。じゃ、降るまで仕事と山に上がる。時折ポチポチ、パラパラ。何とか保ってくれてて。ほんと、すごい。この二日間で、インゲンは2,30センチ近く伸びたようだし、草も勢いよくなってる。エンドウもだいぶ枯れ始めた。今日は「花の日」。バジルを定植するか、いや、これ早くしないと食べる前にはぜてしまう。

あと少しだから、ちょっと待ってよぉ~。視界に入る限りからあと十数分で終わる。慌てて着込んだ雨具、上着しか持ってこなかった。タイミングが遅れ、Tシャツまで染みてきた。パチパチ、バチバチ音を立てる。最悪! 首を伝って、沁み込んできやがった。ズボン、ダダ濡れ。寒い、このままじゃ確実に風邪ひく。 

12時過ぎ、暖かくなってお腹いっぱいになって、幸せ、ちょっと昼寝。午後になって気になってた「闇の彩り」、高橋宜之さん、「仁淀ブルー」に魅せられている写真家、の写真展を見に行く。町立の博物館で6月までやってる。キャッチコピーがいい。「漆黒の闇に恐怖はない。闇の向こうに光を求めるからだ」。それにツカマリ、早く見に行きたくなってた。いい、これ、いい。まっこといい。小さな町の小さな博物館。GW後の雨の平日、独り占め。自分のペースで好きなように見る。展示もシンプル過ぎるくらい、もっといろいろな作品を見たかった。が、神秘的な世界に引き込まれ。森に「女神」がいる、それを撮ったような一枚、魅せられ、しばらく佇む。「恐怖はない、確かに」と頷きながら後に。

来年のタネ用に一番おいしそうな実を付けているものを残して、全収穫。チンゲンサイの間引き、ハツカ大根とコカブを夜用に収穫して、軽トラに駆け込んだ。こういう時、どうして肝心なものを忘れる? 雨具のズボン、帽子、タオル、もじゃないか。厄日なんだか。エンジンかけ、暖房を最強。家に飛んで帰り、すぐさま服を脱いで、タオルで頭拭いた。エンドウも、乾かさなきゃ。午後は、仕事するか!するもんか‼ そうだ、博物館にいこう。



 

 

今日の一枚:オオミズアオの姿、色っぽくも見えるが、神秘的。月の光を全身で受けてる豊穣の女神デメターを想う。帰り際、発見。壁に「越知八十八ヶ所概略位置図」。何回か来てるが初めて見た。町内にある大日如来など石仏、それらと四国八十八ヶ所の本尊とを結び付け、一つのコースになってる。詳細は文殊さんに行けばあるらしい。ああ、これ、もしかして、この町の資産なんじゃない? 博物館の方に配ってないかと聞くと、わざわざコピーを取ってくれた。しかも、本物自体が小さくて読み取りずらい。メガネを上げて聞けば、メガネを上げて一緒に地図を読んで説明してくれた。これも、この町の資産だね、とデメターに感謝。

もう一枚:先日、ナスとピーマンにも胚軸切断法を試した。できるもんである。実成りはどうなるか。


やってみなきゃわからない。だから面白い。

2016-05-10 06:44:12 | 徒然に想う

やってみたかった豆腐作り。いやぁ、これ、止めておけばよかった。仕込みを前日から始めんきゃならないし、手間がかかる。250gのダイズで、1リットルの豆乳が出来て、それが400g(おそらく二丁に相当)の豆腐と350gのオカラ。豆腐なんて、できたら、たった230分のうちに胃袋に消えちまった。それだけのことに、待ちを入れて3、4時間近く。手間暇かけ、それで終わりかい! 

もちろん初めてのトライだから、要領を得てなかった。失敗や工夫の余地多数あり、だった。なんといっても、苦汁の量。Webや苦汁の裏ラベルを参考にし、計って豆乳に入れた。が、湯葉が出来たから「やった」と思たが、30分経っても固まらなかった。少し温め再投入すれば問題なくなるというので、思い切って入れ、やっと固まり(よせ豆腐?)だした。手に入る苦汁の質・濃度などが違うから、自分の目で見て調整するしかない、らしい。食べ始め残りわずかとなって、唇になんとなく残る違和感が気になってきた。渋みというか、箸を進めるようなものじゃない。苦汁が多すぎたか? 水に曝せと、参考にしたWebは言う。そうすれば苦みが抜けるからと。多過ぎ、ってことじゃなく、出来たものを曝さなかったのが原因か・・・。

子供のころ、自転車で売りに来るお豆腐屋さんがおられた。水の入った箱に白いきれいな豆腐がぷかぷかと浮いてた。それをボールをもって買いに行かされる。オジサンの手がすうっと水に入り、白い豆腐がプルプルと上がってくる。オジサンの手とその豆腐のコントラスト、具体的でなく印象派の絵のようにぼやーっと残る。「トーフ、トーフ」のラッパなのか売り声なのか、幼いころの夕方の風景。

もしかしたら、苦汁の量、気にし過ぎたのかもしれない、どうでもよかったのかもしれない。しっかり固めよせ豆腐にし、型に入れたらしっかり水に曝すことが大切だった、か。豆腐屋のオンチャンの箱や店頭のプールのような水槽、そこに豆腐はずっと浮いている。型が保たれるとともに、苦汁が抜けてゆく。きっと、そうなんだ。それにもう一つ。とても教訓的だったことがある。ダイズと苦汁と水だけしか使ってないってこと。ダイズ以外、それ自体で十分楽しめるものをわざわざ素材として合わせない。余計な無駄なことをしないで、ダイズの美味しさのみを楽しむよう手をかける。必要最低限の材料を使い、いかにうまい豆腐にするか、その塩梅を探求し出したら、ダイズの栽培から始まってその多様性に魅せらてしまいそう。



今日の一枚:出来上がった! 木綿を使った豆腐、表面にしっかり網目が残ってた。18時過ぎ。梅のシロップも作る。梅は山からとってきた。実、まだたくさんある。次は梅干しか。


身近な資産

2016-05-09 07:27:09 | 徒然に想う

隣町の佐川町、そこで法政大の陣内先生による「小さなまちの底力 - 高知は日本のイタリアだ! 風土と食と建築と」という講演会、それに続くワークショップ「町内ブーラブラ」に参加してきた。『いいね!』があれば、何度でもおしたくなるような内容。普段と違うアクティビティであることもさることながら、実に勉強になった。自分なりにまとめてみると・・・。

世界遺産の興味の対象に変化がある。当初は、街のシンボルであるところの、例えば教会、そのものだけ。それが次に、その前に広がる広場、街まで含むようになる。言い方を変えれば「歴史」的な資産。そこへ、それらを取り囲む「自然」という資産を含めるように至る。つまり建物・街の景観を保全するということのみでなく、それを取り巻く「自然=地域環境」にも目を広げだす。だが、それでは飽き足らず、「地域と地域の繋がり」「食=文化」を念頭に入れ出し、つまり、現象や目の前の事実だけではなく、見えぬ物「精神性」をも資産と意識。「食」自体、文化であるが、食材の流通、人が食べに移動するということで「地域」と「地域」を結ぶ道ができる。その道は単に人や車が移動する場だけではなく、保管、宿泊などをも含まれ。そんな「道」すら対象となるようになってきた。結局、「地域」の持つ力を単体で発揮させると考えるよりも、近隣の「地域」と「地域」とが結びつくことでより発揮させよう、ということらしい。しかも、この「地域」を見るとき、カギとなるのは、今まで何でもないと思われていた日常のなかにも目を向けること。建物や自然だけじゃない。郷土の食材、料理にもだ。そんなところに、「底力」が潜んでいるってこと、か・・・。

講演を聞いていて妄想の世界に。「地産地消」は近隣にある「生産」という「地域」、「消費」という「地域」がつながった結果と、考えてもいいじゃないか。すると、〝神社仏閣″は価値がある。それを取り巻く環境も重要。そこに、「人をもてなす」「人の移動を助ける」という「食べる」「泊まる」の「消費」か・・・。この「消費」、何も新しいものだけであることない。郷土のものを見直し掘り起こすことでいいわけ? なるほど。で、それと自分がまがいなりに始めた「生産」がつながったらおもろいだろうな、きっと。フフフ(傍から見たら不気味だったかも)。

佐川町からの帰り道、軽トラの窓、全開。すると集落に近づくにつれ、いい香りに包まれ出した。なるほど、これもまた、この地域の大切な資産なんだということだ。




今日の一枚:昨日の午後街中をめぐりながら、先生のコメントや町の方たちから話を伺うワークショップ。土井晩翠の奥さんの実家に向かう途中、15時過ぎ。

この石に対する加工。江戸時代、城で使われていたものを移築したもの、とか。

圃場周辺の石組みも美しいが、佐川のも、また雰囲気が違ってきれい。

青源寺へのアプローチ。門の向こうに寺の屋根が見える。フィレンツェに似たような意匠のところがあるとか。撮影したところ、L字の階段の踊り場のようなところ。このような踊り場あって、足を止めさせ、見上げさせる。見上げると、そこに門があって、お寺の屋根。見せるように作られている。


思うは、食べることばっか

2016-05-06 18:19:57 | 徒然に想う

一日、雨。こんな日は山のことはお天道様に任せ、家仕事に勤しむ。ジェラルディンたちに手紙書いて、その辺の顛末をブログにアップ。そんなことやってたら、11時。一輪車のタイヤを新しいのに交換。4本歯の鍬を直して、お昼のチャイム。お昼以降は「調理実習」。

先日新生姜を一キロ弱頂いた。昨晩薄くスライスし、葉山椒味噌をちょこんとのせ、晩酌のアテに。美味い、とは言え、このままほっといてはもったいないとガリを作ることを思い立つ。甘酢を400㏄ほど作り、ひたすら繊維を断ち切るようにショウガをスライス。塩で水だし、湯がいて辛みを抑え。粗熱が取って、冷凍用のビニールの保存袋に放り込んで、甘酢を注ぐ。空気を抜くようにし、全体を漬ける。あとは時が調理してくれると、冷蔵庫に収めた。

124日と28日に仕込んだ味噌、天地返し。やらなくてもいいという人もいるが、初めて仕込んだとき教えてくれた方がやった方がおいしくなる、と。それに、胡瓜の水耕栽培をしてる友人が、溶液に一晩空気を熱帯魚のブクブクのようなものでエアレーションすると、育ちがいいような気がすると言ってる。天地返しは、雑菌の入る可能性もあるが、ある意味エアレーション。というわけで、やる派としては、ほっとけなくなってた。で、一回目の天地返しに着手。面白いもので、仕込みの2週間の差で、全く違う。同じ品種のダイズ、麹、塩を使ってるがまるで別物。2月物、まだ豆々してる。でも1月物は、味噌とは言えないが、2月物よりずっと味噌っぽい。焼酎(赤霧島です!)で蓋など消毒して。今度はいつ頃しようかな。ちなみにこの消毒も要らないという人もいるが、庵主はする。焼酎の麹が味噌の熟成を助ける(実際はそんなことないだろうに)と、信じてる。


おや、おや、もう18時です、か。さて、夕飯は何にしょう




今日の一枚:4月21日に鉢上げしたリーフレタス、しっかりしてきた。でも、根張りを見ればまだ定植には早そう。雨に当たるように移動する。今朝6時ころ、玄関先で。





南半球からの便り

2016-05-06 10:31:18 | 徒然に想う

オーストラリアのタスマニアはロリーナ、何人かおる人生の師と仰ぐ方たちのひとり、ポールとジェラルディンご夫妻からメールが届く。どうしてんダ? と近況を尋ねてこられた。しまったと、早速、闇の向こうにしまい込んでいた英語を思い出しながら、七転八倒、返信する。最近の写真を付けたから、それで分かってくれればいいんだけど。 

多くのことを彼らから教わった。実践から学ぶという技術面もそうだが、精神的なところは実に彼らによるところが大きい。今ここでこうしていることも、彼らと何回も何時間も話すことで、問題を整理し、方向を確固たるものにし、決断する勇気をもらったからだ。感謝しても仕切れるものじゃない。

追い播きをしようと食用ビーツの畝に座る。えッ、ポトンとせっかく芽を出したのが根元から倒れてる。土をほじくれば、いた。つぶせば真っ赤、紛うことなく犯人。ちょっと油断した。対策せねば。数年前長ネギの苗立てをして、ネキリ虫に全滅させられたことがある。何かで調べたら米糠を埋めておくと、そこに集まってゆき自滅してゆく、と。翌年、それを試せば、いい苗ができた。よし、ここでもとコイン精米機のあるところに出かけ、わけてもらう、ビーツの条間に筋を切って一握り入れ覆土。さてどうなることか。トラップにもなるし、いずれは肥料となろうってもんだ。「二兎を追うもの一兎も得ず」になりませんように。

あぁ言い忘れた! シシをさばく機会があったんだけれど、ジェラルディン、見せ教えてくれたやり方が大いに役立ちました。あの時はさっぱりだったけれど、一人でやってて、意外に細部まで思い出せ、とっても参考に。本やWebではよくわからない、結局あなたのデモンストレーションのようになる。仕上がった肉を見るとナカナカなもんでした。野菜? それなりにあれこれ、これまでで十種類近く。最近野菜を買わなくなりました。味噌や干し肉なども挑戦してますよ。これも、そうか、あなた方の教えの一つ「自分が口にするものは、できるだけ自分の力で」ですね。なんとか感謝しに会いに行きたいものである。



今日の一枚:一昨日久しぶりに窪川に。一泊して帰る。「アグリ体験塾ー東京会場」の同期が5名揃う。20数名の参加者だったから、どれだけの成功率だろう。昨日の朝、6時過ぎのこと。

育成センターのセコイアの並木。

その並木のわきの流れ。


今日のもう一枚:徒長したが、山でスパルタで育苗続けたリーフレタス。昨日午後、定植。葉の裏を見せてる苗は根張りを記録するため。