二畳庵庵主の戯れ言

一輪の桜に従い野に。ついに2015年、人生の第三ステージの場・高知に立つ。仁淀川に魅せられたオヤジの戯れ言日記。

種まきカレンダー

2016-05-25 07:13:01 | 徒然に想う

昨日の24時過ぎから22日見過ごしたNHKスペシャル「人生の終(しま)い方」の再放送を見る。このドキュメント、NHKのサイトからこの番組のPRを借りると:

人生の最期、あなたなら誰に、何を伝え、残しますか?或いは残さないですか?

今、自分らしい最期とは何か、かつてないほどに関心が高まっています。人それぞれに「生き方」があるように、それぞれに人生の「終い方」があります。そこには、その人の生き様が色濃く反映され、残された人たちの生き方にも影響を与えます。

番組の進行役は、落語家の桂歌丸さん(79歳)。入退院を繰り返し、医師に止められながらも地方公演を続け、「高座の上で死ねれば本望」と言います。それは、ある人に最期に「託された」から・・・。

番組では、漫画家の水木しげるさんの知られざる「終い方」にも迫ります。また、「あなたならどう終いたいか?」「心に残る終い方は?」など「ラジオ深夜便」等で募集、およそ500通が寄せられました。仕事一筋だった夫が最期に家族に伝えた言葉。幼い子を持つ若き父親が全身で遺そうとするものは、そしてそれを受け止める家族は・・・。一人一人の「終い方」に密着します。(後略)

って具合。ちょうど考えておかなきゃと思っていたことに近いかと思い、睡眠不足覚悟のうえだった。普段そんな時間は寝入ってる。見るには見たが、ボーっとして、何考えたか、思ったか、霧の中。ただ、歌丸師匠の最後の締めの語りで「終い方」=「どう生きるか」との言葉がメモに残る。

いかんにゃぁ、ここにきて睡眠不足はつらい。爆ぜ黍(ポップコーン)を定植したかったが、幸い、雨。渡りに船と、山に上がらない。今日はいっちょ梅を仕込むとしよう。

ところで、R.シュタイナーの農業論、どうして福岡正信にしてもそうだが、ああも具体性に欠けるんだろう。何をしていいのかさっぱりわからない。ただそれをサポートしてくれる「種まきカレンダー」なるものがあって、毎年出版されてる。月の動きによって作業するのと同じようなこと。太陽、月、惑星など天空図のどの位置にあるかによって、どの作物に関する作業をするのがいいか示唆してくれる。ここ何年も買い続けていたが、活用することがなかった。自然とのかかわりを考えた場合、シュタイナーのも福岡正信のも、自分の「根」として取り込みたい。ちょうど「招かざるお客さんたち」に振り回されたから、ちょっとやってみっかと使い出した。「ポップコーン(果菜類)を定植」も「梅を仕込む」も、それに基づいてのこと。これ、意外にいい。誰かに従うわけじゃない。もちろん成果がどうかということもは不明、もっとやんなきゃわからない。それでも、作業のメリハリをつけるのに役立ってる。圃場にも家にもやりたいことが沢山。それこそプライオリティを考えて処理するが、どうしてもどこか偏ってしまう。そこがうまく仕切きれて、気持ちが楽、気分転換がうまくいってる。

支配するのは「自然」。かといって、「終うとき」が来たとき、あれもこれもやり残したでは済まされないし、結果は残したい。人生においての「種まきカレンダー」のようなものが欲しいところだが、それは自分で作っていく。それがちょうど歌丸師匠の言葉の「どう生きるか」の現時点での解釈? 睡眠不足の頭ではこれでやっと。なんてこと、具体性に欠けるじゃないか。



今日の一枚:トウモロコシの畝で草引き。トウモロコシの茎に取り込まれていた朝露。昨日11時ころ撮影。