二畳庵庵主の戯れ言

一輪の桜に従い野に。ついに2015年、人生の第三ステージの場・高知に立つ。仁淀川に魅せられたオヤジの戯れ言日記。

吾輩は猫である

2015-12-14 22:44:39 | 徒然に想う

吾輩は猫である。すでに名をもらってる。このあたり、かの文豪さんのところような血筋じゃない。午後うつらうつらとしてると、見慣れぬ輩がやってきた。気を使って愛想を振りまいたつもりなんだが、あまりにもオッサン臭い。これはたまらんと、さっさと二階に上がってった。背後から声。「愛想ない奴だな。まぁ、以前は一目散に消えてったけど…」。二本足の生き物よ、こっちはお前らよりずっと耳がいいだ。きちんと聞いとるよ。しかしまぁ、頭に白いものも多くなって。なんだろね。

9月に帰省したとき、両親のところの猫が、それまでよりもずっとやせ細っていて驚いた。それが、今回、さすがに年だからふっくらではないが、病的な感じが消える。昔、両親の代わりに餌をやりに行ったとき、足元にまとわりついたと思ったら、一瞬で爪を立てシャッと逃げってたヤツ。それから、しばらく、訪ねていっても、庵主がいるとよっぽど腹が空かないと二階から降りてこなかった。当然愛想ねえぁと思う。が、最近のちょっとは挨拶する姿勢に、うんうん…。いや、昔ことは水に流せ、もう忘れろだって? まったく、可愛げない。むなしく、階段を上がっていく音だけ、心に響く。

文旦、どう売ろう…。実家で、生協からとったセット野菜を見る。先週の箱の中に、白菜にキャベツ(?)、すでにレッドリーフは萎れてる。今日届いた箱に、大きなキャベツ(直径30センチほど)がある。定期的なものでなく、買い物に出かけ持ち帰ることの労力を省くために注文するよう、それはわかる。が、高齢者夫婦だけのところに、直径30センチのキャベツを続けて出す? 送り手はいったい何考えてるんだろう。食が細い、無駄になる(無駄にしたくないから、無理に食べる、かもしれない)。そういったこと、お構いなし。売り手ってのは、売れればいい。しかも定型が扱いやすい。が、それでいいんだろか。

ふん、だからあのオヤジは嫌いなんじゃ。ちーと気を利かせたんだから、喉の一つでもかくかと手を伸ばそうとすればわかるのに。だのに、そんなそぶりを見せやせん。昔、爪を立てたのは、こっちのこと考えもせず、手を伸ばしたからだってつーの。あのオヤジ、受け手のことを考えなきゃ、配送のことに始まって、せっかくの野菜が痛い目に会う…。どう説明すりゃいいのさ。

受け取り手のこと、考えないで送ったら…。つまり、同じ値段だからといって、若い夫婦と年取った夫婦のとこに同じものを送ったらどうなる? どう、体系づけよう。

 

 

 

今日の一枚:洗濯機の上、思索にふける。16時過ぎ、実家にて。