二畳庵庵主の戯れ言

一輪の桜に従い野に。ついに2015年、人生の第三ステージの場・高知に立つ。仁淀川に魅せられたオヤジの戯れ言日記。

収穫、そののち

2015-12-31 18:28:19 | 徒然に想う

文旦、25日から始め、日曜日を飛ばし連続5日間で、49袋のコンテナ(重さがおおよそ20キロ)になった。一つ500gとすれば、ざっと2000個。振り返ってみれば、一つのコンテナが埋まるのに2、30分かかる。我ながらよくやっていると思うが、実際は何をトロトロやってんじゃ、ってとこだろう。なんとか目鼻を付け年を越したかったが、あと3分の2、5分の3は残っている。ゴールは遠い、と、気が重く…。

《鳥たちの 休む川眼下 文旦とる》

不思議なんだが、この収穫作業、ほとんど苦にならない。急峻な斜面を上ったり下ったり。下りの時は、背中に65ℓのザックに20キロの文旦でパンパン。木登りもしなければならない。柑橘類は棘があるから、下手するととんでもないことになる。頭を枝にぶつけるなんていつものこと。やっと取れたと思ったら、手からすり抜け、後追い見れば穴。最悪なのは、果樹園の下の森に飛び込んでいってしまう。それでも、木にしがみ付いて収穫してると、得も言われぬ幸せな気分になる。豊穣の神と交わっているなんて言ったら不謹慎か、でも、それくらい幸せ。

その日の収穫を終え、野囲いに文旦を並べていると、これもなかなか。黄色いのがころっころ。大きいのはソフトボールよりでかい。小さいのは、軟式野球のボールを一回りおおきくした感じ。個性豊か。しかも、写真にあるように、一言で黄色と片付けてしまってはつまらない。オレンジ色が入っているようなものもあれば、レモン色に近いのもある。それが三段、四段と積み上げてゆく。大きさが合うと、ピタッと黄色いテトラポットが組み上がる。その幾何学的な美しさ。女神は美しいものを見せてくれる。

女神がくれたもう、この果実。もちろん、休憩時に食べる。もちろん、美味い。一人悦に入る。抱き合って、獲って、食して、独占する。…こいつはいけない。山で取れたものは独占しちゃいけない。女神の恩に報いるにはどうしよう。どうやって美味しく食べてもらおう。

 

(昨日書いたが、アップし忘れた。)

 

 

今日の一枚:野囲いの中の文旦、13時ころ。この後、二つ目の野囲いを作る。


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