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eラーニングの現状と展望

ネットラーニングHD、ネットラーニング、WIWIW、Phoenix Consulting、各代表取締役 岸田徹

生活スタイルの変化

2008-08-12 13:31:42 | Netlearning,Inc.
車社会にも変化が見え始めました。 車は、必要な場面でしっかりつかわれるようになっていくのでしょうか。

地方の鉄道で、通勤定期の発売が何十%も増えているところがあるという報道もあります。自転車も人気らしい。

外食もめだって減っているようです。使い捨ても減って、いろんなものが修理してつかわれるようにもなるのでしょう。

家族との触れ合いがふえて、健康的な生活にもどってきている感じがします。

もし、地球温暖化が破滅的になるまえに石油が枯渇するなら、絶妙のタイミングで、人類に生き残るチャンスがくるのかもしれません。
とはいっても、原子力発電を何百もふやすことになれば、事故による別の人類存続の深刻な危機が拡大するおそれもありますが。



『雨月物語』読みました

2008-08-11 21:43:51 | 読書/新聞/映画など
小学館の『日本の古典をよむ』シリーズの最新巻です。

現代語訳があって、原文があります。

怪奇の世界をえがいた上田秋成。

義兄弟との約束の日に囚われの身であった武士が、自決して、魂となり千里の道を駆けて約束をはたす話もあれば、戦火の村に残した妻をさがしに7年という歳月をへてもどった商人を待っていた人は、老いさらばえ、語りあかして翌朝起きてみれば、朽ち果てた家の庭に塚があるばかりという悲しい話もあります。


I Know !

2008-08-11 08:53:37 | eLearning
金曜日のeラーニング・ベンチャービジネス研究会は、いま注目のiKnow!を提供するセレゴ・ジャパンのエリック・ヤング社長のご報告ということで、盛会でした。

eラーニング・ベンチャービジネス研究会は、もう4,5年つづいているベンチャー企業社長による研究会です。いつもは、20名前後の参加ですが、今回は、過去最大規模の30名近い参加がありました。

ベンチャー企業各社の iKnow! への強い関心がうかがえます。

ヤング社長に紹介いただいた内容は、きわめて刺激的なものです。よく工夫されています。


水海山、素敵な名前ですね

2008-08-10 21:33:32 | 島の生活
八丈島に水海山という素敵な名前の山があります。

「みずみやま」といいます。

「湖」は、大和言葉の「みずうみ」にこの字をあてていますが、もともとは「水海」なのですね。

水海山。名前の通り、昔は、山のうえに大きな池があったそうです。ゆたかな水源の山です。この山にゴミの最終処分場を建設することがきまりました。水海山の標高は、約400メートルです。 この地図は、笛吹青年さんがまとめられたものです。

50年後、100年後に取り返しがつかないことにならないように、慎重な判断が必要です。

「ごみを二階にすてるやつがいるか?」そんな発言もききました。

豊かな水系を失うことが、今後のはげしい気象変動と水が貴重になる時代にどのような結果をもたらすのか、予測がつきません。いろんな水系と地下水の関係も良く知りたいものです。

なぜ、だれが考えても直観的に不安になるそんな場所が選ばれたことに、どんな理由があるのでしょうか。十分に納得できる根拠を示すのが困難な場所を選んで住民の不安をおしきって建設する強い意志は、なぜなのでしょうか。






「著しい」=「ちょしい」

2008-08-10 10:07:53 | 読書/新聞/映画など
他社へのプレゼンテーションで、「著しい」を「ちょしい」と読んだ若手社員がいたらしい。

最近、そんな記事を読みました。

「要旨、まとめておいて。」を、「よ~し、まとめておいて。」と理解した若手社員に意味は通じていない。

以前、ニュースで、「ほそい点は」というアナウンサーのことばが、「こまかい点は」の読み違いであることに気がつきました。「アフリカの雄」を「アフリカのオス」と読んだ女子アナもいるそうです。「旧中山道」を、「きゅうちゅうさんどう」と読んだり。

私立大学生の5人に1人が、中学生以下の日本語力という調査結果がメディア教育開発センターの小野博教授などの調査であきらかになっています。

企業は、この現実に対応した社員教育の必要性に直面しています。

それとはべつに、わたしには、「いちじるしい」を「著しい」と書くのには、抵抗感もあります。大和言葉はなるべくひらがながいい。「こまかい」「ほそい」もそうですね。無理に漢字をあてるから、「細かい」「細い」となる。




局地的な豪雨

2008-08-09 19:17:54 | 読書/新聞/映画など

 

今日午後6時50分の気象庁レーダー情報(画像は10日のものにかわっています)です。1時間に50ミリ以上のはげしい雨が降っている場所が点々とみられます。局地的な豪雨が一般化している感じです。気象の変化が、まだ序の口だと思われるので、今後どのようになっていくのかおそろしいほどです。渇水も一方で予想されているので、今後ますます水資源が大切になってきそうです。


光るきのこを見に行きました

2008-08-07 22:48:39 | 島の生活
なんとか空席まちで、八丈島に帰ることができました。

夜は、NPO法人が運営する光るきのこをみるツアーに参加しました。バスは、28名のほぼ満席。ガイドも光るきのこ研究会のボランティアです。7時半に出発して、9時ごろに集合場所にもどりました。ビロウ林のあちこちに点在する光るきのこに参加者は興奮気味でした。雲ひとつない夜空の天の川もすばらしかった。

こんなバスツアーが無料で提供されているのは八丈島らしいところです。ボランティアのみなさんの大きな力に支えられています。

八丈島では、7種類の光るきのこが観察されるそうです。光ることがきのこにとってどんな意味をもつのか、まだ十分には解明されていない。

写真は、1円玉くらいの大きさのきのこです。




羽田で空席待ち中

2008-08-07 14:44:25 | 島の生活
仕事の急用で、朝の1便で都心にもどりました。

一段落ついて、また八丈島にもどるために羽田で空席待ちです。席がとれるかな? 駐機場の飛行機と、そのむこうに、東京湾をいく大型船がみえています。

時間があるので、本を読めそうです。いま読んでいるのは、『進化論の5つの謎』です。

乙千代ヶ浜で泳ぎました

2008-08-06 21:04:33 | 島の生活
きょうは、八丈島の乙千代ヶ浜で泳ぎました。

潮がかつてなく引いており、いつも子どもたちが泳ぐ海中の仕切りの中は、ほとんど泳げる状態でないほど浅く生ぬるくにごっていました。

水温は、いままでのふつうの海水温という感じで、冷たくて気持ちがよかった。

泳いだあとは、裏見ヶ滝の温泉へ。滝をみおろす渓谷にある水着ではいる男女混浴の露天風呂です。すばらしい温泉ですが、地元の方の運営で、無料です。観光客の方にもたいへん喜ばれています。


『最後の早慶戦』

2008-08-04 13:39:21 | 読書/新聞/映画など
さそわれて、映画『ラストゲーム 最後の早慶戦』の試写会を見てから、DVD『英霊たちの応援歌ーー最後の早慶戦』を購入して観ました。

さらに、笠原和夫・松尾俊治『最後の早慶戦』(ベースボール・マガジン社、2008年7月31日、1600円+税)を買って読みました。太平洋戦争がはじまって2年もたたないうちに、敗色濃厚となり、卒業をくりあげさせられた学生たちが、死を覚悟して戦場に向かいました。

1943年9月22日、文系学生の徴兵猶予の撤廃、繰り上げ卒業と皇軍への動員が発令されました。その夜、東条英樹首相は、ラジオで「一億総員戦闘配置につけ」と国民に号令をかけました。入営と入隊の日取りは、陸軍が12月1日、海軍は12月10日でした。

さらに10月2日には、在学生でも20歳になったものの12月1日入営が発表され、早稲田では約六千名の学生が無期休学の手続きをして戦場へむかうことになりました。

このような緊迫した状況のもとで、快晴の10月16日早稲田の戸塚球場で最後の早慶戦が開催されました。結果は、練習不足の慶応に早稲田が10対1で快勝。両大学応援団が「若き血」「都の西北」と相手の校歌を歌ってたたえあうなかで、やがて、「海ゆかば」の厳粛なうたごえが全スタンドにひろがり、早稲田の森にこだました。

大伴家持による万葉の古歌「海ゆかば、水漬く屍、山ゆかば草むす屍・・・」選手だった大島さんは、「試合中は・・何もかも忘れていたが、・・『海ゆかば』をきいて、ああやはり戦争に行くのかと、また現実に引き戻された」と当時をしのぶ。増山さんは、「もう生きて還れない。野球も終わりだ。そんなことを考えているとジーンと熱くなって・・・」と回想する。

最後の早慶戦に出場した早大ナインの4名が戦没、慶応は全員が生還した。早稲田野球部は先輩をふくめると、30名が戦死。慶応野球部の戦死は20名でした。

慶応の申し入れにたいして、早稲田当局の禁止をおしきって最後の早慶戦を実現させた早稲田野球部の飛田穂洲顧問は、1953年1月15日、「戦没球友諸君に捧げる」という文章を書いています。
「・・そして諸君はついにわれわれのもとに帰ってこない。・・・政治の偏在がさせた一部の野心家の無謀な計画が幾百万の尊い命を奪い取って、・・・幾千万の同胞を塗炭の苦しみの中に投げ込み、家なき浮浪生活に喘がせた。・・・いくさそのものは誤っていても、諸君の行った決死行に咲いた野球魂は永く永く後進選手の胸に刻まれてのこらねばならない。・・・切に切にご冥福を祈り、併せて末永く学生野球を守護したまわらんことを乞いねがう!」