mugifumi日誌

海外旅行の体験のほか園芸、料理などの生活雑感を思いつくままに綴っています。

中欧ロマン紀行<旅行4日目ウィーン市内観光>

2018年10月01日 | 旅行記
 昨日、ホテルの湯船で尻餅をついた話を申し上げましたが、今日はその翌日に観光したウィーン市内観光についてお伝えします。

 <旅行4日目ウィーン市内観光と自由行動>
 今日はいよいよウィーン市内観光である。昨夜の事件で多少お尻が痛むが、そんなことは言ってられない。
 ウィーン市内は、都電のような路面電車が街を一周しており、とてもわかりやすい。

 まず、ホテルの近くにあるシェーンブルン宮殿見学である。
 生憎、どんよりと曇っているが、雨は降っていない。

 <シェーブルン宮殿の正面>


 <同じく宮殿の遠景>


 この宮殿は、ヨーロッパを支配したハプスブルク家のマリア・テレジアにより王宮として改築されたもので、その外観は、金色(黄色)に統一されている。
 建物に入ると、森進一のような顔と声をした現地の日本人ガイドが皮肉を交えながら、部屋の由来や、調度品、装飾品などの説明をしてくれた。

 それにしても、素晴らしい!
 多くの場合、こういうお城の中というのは、中国の紫禁城や日本の大名のお城のように何にもない!のが普通であるが、ここは、違いますよ。
 じっくり見て、説明を聞いて、己が知識と見聞を広げる良い機会だと思ったね。

 それしても、日本の漆を塗った壁板がある中国の間など豪華な部屋が並んでいて、ハプスブルク家の栄華が想像できるが、我々凡人がこんなところに住んだら、息が詰まるし、部屋の数が多すぎて奥さんがどこにいるのか分からない!なんてことになるよネ。

 <シェーブルン宮殿の裏側>


 この写真は、ツアー仲間に撮影していただいたものであるが、ここは、宮殿の裏側で一帯が広大な庭園となっている。

 春のお天気の良い日に来たら、咲き乱れる草花などもあるので、きっとおとぎの国のような素晴らしい光景が見られるのではないだろうか!

 宮殿の次はどこに行ったかね?確か、市立公園に行き、ここを散策しながらウィーンで活躍したヨハンシュトラウスをはじめ著名な作曲家の銅像がいっぱいありました。

 <市立公園にて>


 <同じく公園にて>


 この写真は、公園内にある作曲家の銅像と公園の池に集まる野鳥の様子です。
 さて、公園から次の日程である免税店に行って、自由行動となるのであるが・・・?

 その免税店で添乗員のHさんからウィーン市内の地図を見ながら「現在地はここで、昼食はこの店がいいよ。お土産としてはチョコレート買うならデパ地下が良いが、場所はここだよ。それから、タクシーはここから乗りなさい。ウィーンのタクシーは安全だよ。」などと説明があった。

 何のことはない。午後は自由行動だから勝手に動きなさい、ということである。
 しかし、である。教えられたが、右も左も分からない私たちはどうすればよいのか?
 後で聞けば、それを心配して、自信がない人にはHさんが行動を共にしようと考えていたらしいが、目印の歩行者天国の大通りに二人は歩き出してしまったのである。

 さあー、それからが大変である。
 マイワイフ、お土産を買いに、まず、デパートに行きたいというのである。
 二人で地図をにらめっこしながら、右往左往、大喧嘩、お陰でかみさんの方向音痴を再認識した次第である。

 やっとの思いで、デパ地下に到着してウィーンのスーパーマーケットを初体験し、めでたくチョコレートとHさんおすすめ帽子印のコーヒーをゲットしました。
 スーパーは、日本と同じシステムでしたが、ビニール袋は有料でした。

 その後、どこに行こうか?となったのですが、Hさんがカフェを盛んに勧めていましたので、その店を訪ねるのですが、どこも満員でした。
 「ああーウィーンの美味しいコーヒーと食事はいただけないのか!」なんて思いながら人混みの中を思案する二人でした。

 仕方がないので、日本のレストランを目指すことにしました。
 名前?「天」という字がついていたような気がします。(天馬屋?)
 幸い、席に空きがあり、うどん好きのかみさんがいるが、寿司を食べようか?と思いました。
 ところが、値段が高すぎて手が出ません。
 二人揃って、おにぎりが2個ついている温かいそばセットを注文しました。
 周りを見ると、ほとんどが日本人!と思いきや、半分近くが外国人。

 店は客の回転が良く、長居は禁物と考え、帽子と外套を持って外で待っていると、かみさんが店に戻れ!と迎えに来ました。
 そのわけは、よくわかりません。

 さて、お腹も膨らんで、腹ごなしにどこかに歩いて行こうか?となるが、タクシーで帰ることを考えて、タクシー乗り場がある国立歌劇場を目指すことにしました。


  <本日の記事はこれにて終了です。次回は、国立歌劇場をめざして歩きはじめた二人がどこに行ったのか?などをお伝えします。>