土曜日は古寺を歩こう。

寺勢華やかな大寺も、健気に法灯を守り続ける山寺もいにしえ人の執念と心の響きが時空を越え伝わる。その鼓動を見つけに…。

引接寺、石塔石仏に圧倒されますヨ。

2018年09月07日 | 滋賀の古寺巡り





(2018.09.02訪問)


永源寺から、わかり易いほとんど一本道の県道508号を北上、百済寺の標識を右折、長い参道の途中に引接寺(いんじょうじ)がありま
す。前方に百済寺の赤門が見える湖東の山裾に山門を構えています。引接寺には夥しい数の石塔と石仏、その数6000基以上が境内の
「来迎浄土」に並んでいるそうです。その迫力がどんなものか、今から確かめに行きます。





▼来迎浄土に並ぶの約6000基の石塔と石仏。       







            [ 引接寺 ]
            ●山号 来迎山(らいごうざん)
            ●寺号 引接寺(いんじょうじ)
            ●宗派 天台宗 (てんだいしゅう)
            ●開基 亮誉上人 (りょうよしょうにん)
            ●開創 不詳
            ●本尊 阿弥陀如来坐像
            ▲拝観 境内自由 ご朱印はやっておられません
            ▲滋賀県東近江市上山町312 電話0749-46-1285
            ▲JR琵琶湖線「能登川駅」から近江バスで百済寺下車徒歩10分
             名神高速「八日市 I.C」から車で15分





            ▼山門前の寺号石柱。







引接寺縁起
湖東三山の一つ、百済寺末の天台宗のお寺。織田信長の全山焼き討ちの難で寺史など消失、建立時期は不詳ですが、百済寺再建の亮
算上人の弟子亮誉上人が開山し、現在地に寺院を建立したと伝えられています。本尊阿弥陀如来坐像は、再建時に善万坊大徳が寄進、
平安時代の作といわれています。寺の庭園奥に、約6千基の石塔石仏を集めた「来迎浄土」があります。この石仏石塔は、寺が全山焼
き討ちのとき、無縁仏として周辺の山野に放置されたままになっていたもので、のちに信者たちにより一つ一つ拾い集められました。
毎年8月22日には、石塔と石仏一体一体にローソクの火がともされる「万塔供養」が行われます。





▼山門。

                




▼入山しましょう、正面は本堂です。







▼小さい境内ですがキレイに管理が行き届いています。右は庫裏です。







▼最近勧請したのものか、覆い屋も本殿社も真新しい感じの稲荷社です。

                





▼鐘楼。







▼参道先に唯一のお堂、本堂です。        







▼本堂。桁裄5間、入母屋造、桟瓦葺、3間向拝付。







▼本堂正面は前面ガラス格子戸。正面から入堂させていただきました。
 庫裏でご朱印をお願いしたところやってないとのこと、ご住職、気の毒がって本堂を隅々までつきっきりで案内下さり、大判
 の冊子まで戴いたのには恐縮しきりでした。これをラッキーと云うんでしょうネ。







▼山号来迎山と書かれた扁額。







▼内陣2段須弥壇の上段に本尊阿弥陀さんが祀られています。







▼本尊阿弥陀如来坐像。平安時代の作と云われている本尊ですが、お像全体がくすみ、螺髪が抜け落ち少々お気の毒な状態とお
 見受けしました。







それでは「来迎浄土」へ参りましょう。
▼曰く因縁がありそうな岩の向こう側に「来迎浄土」が広がっているのです。







▼石塔前に護摩壇が見えますネ、毎年8月22日護摩が焚かれ万塔供養が行われます。







            ▼来迎浄土のシンボルタワー。







▼約6000基以上の石塔と石仏がギッシリ並んでいます。    



















                 





▼毎年8月22日に行われる動と静の火の祭典「護摩焚」と







▼「万塔供養」です。         



(上記2点の写真はネットから借用)




山門前に立つと、何ら構えた所のない普通のお寺の印象ですが、入山後の印象はガラリと変わります。本堂裏に広がる「来迎浄土」
の一面に広がる夥しい石塔と石仏の数に圧倒、インパクトは並ではありません。これらに火が入れられる年1回の護摩焚と万塔供養、
さぞ迫力のある火の祭典でしょう。
前もって判っていたらキット8月22日の夜を狙って訪ねたと思いますが、いつも「後の祭り」ですわ。

引接寺 オ シ マ イ 

永源寺、臨済宗永源寺派大本山。

2018年09月05日 | 滋賀の古寺巡り





(2018.09.02訪問)


名神高速「八日市 I.C」から東へ、八風街道という一風かわった名の街道を10分ほど走ると、永源寺への標識が目に入ります。
鈴鹿山中から流れ出る愛知川の流れに沿って走ると、やがて参道口に到着、次は例により石段ですワ。山門までの間の岩々に羅漢さ
んが祀られ、イヤ〜な石段とはいえ中々グッドな演出をしてくれる永源寺さん。まもなく総門です。




▼とうとうと音無川 (愛知川) が流れます。永源寺はこの流れに沿って境内を広げています。       







[ 永源寺 ]
●山号 瑞石山(ずいせきざん)
●寺号 永源寺(えいげんじ)
●宗派 臨済宗永源寺派大本山 (りんざいしゅう)
●開基 寂室禅師 (じゃくしつぜんじ)
●開創 康安元年 (1361年)
●本尊 世継観世音菩薩 (秘仏)
▲拝観 500円 朱印 300円
▲時間 9:00~16:00
▲http://eigenji-t.jp/
▲滋賀県東近江市永源寺高野町41 電話0748-27-0016
▲近江鉄道「八日市」駅から近江バスで35分
 名神高速「八日市 I.C」から車で10分





▼参道羅漢坂には十六羅漢石像が岩肌に祀られています。







永源寺縁起 (永源寺 HPから抄出)
南北朝時代の康安元年、近江守護職、佐々木六角氏頼が入唐求法の高僧、寂室元光禅師に帰依し、領内の土地を寄進、伽藍を創建し
たことが始まりです。禅師が開山されると二千人あまりの修行僧が集い、山中には五十六坊の末庵を有したと記されています。その
後四人の高弟が永源寺を受け継ぎました。明応、永禄の戦乱によって、伽藍や山内の幾多の寺院は全て焼け落ち、以後寺運は衰退。
その後江戸時代中期、名声高き一絲文守禅師 (仏頂国師) を迎え後水尾天皇、東福門院、や彦根藩の帰依をうけて伽藍が再興されまし
た。はじめ臨済宗東福寺派に属しましたが、明治になり永源寺派として独立、全国百有余の末寺を統轄する一派大本山となり今に至
っています。





            ▼和やかな羅漢さん。

           





▼五線の袖塀を持つ風格の総門が見えてきました。







▼総門をくぐると三門への参道。右の谷底には音無川の流れ。







▼三門が見えてきました。

           





▼三門 (重文)。重層楼門、桁裄5間3戸、梁間2間、入母屋造、桟瓦葺。
 楼上には釈迦牟尼佛、文殊菩薩、普賢菩薩、十六羅漢が祀
 られています。享和二年 (1802年) 建立。







▼三門楼上への階段と貫と梁の美。階段は上るべからず。







▼山門を潜るとスグ左手に庫裏。こちらでご朱印をお願い、帰りに頂きます。







▼鐘楼。袴腰、入母屋造、桟瓦葺、勾欄付きの恰好のいい鐘楼です。安永元年 (1772年) 再建。







▼方丈 (本堂)。本尊 世継観世音菩薩 (秘仏)本尊御開帳はおよそ四半世紀に一度。
 桁裄8間、入母屋造、葦葺、明和2年 (1765年) 再建。







▼瑞石山と書かれた方丈扁額。







▼方丈外陣。







▼外陣中央の仏間手前には、これ以上の塗りはないと思われる漆卓と漆席。







▼内陣の設え。中央のお厨子に本尊世継観世音菩薩が奉安。







▼方丈 (本堂)。やや横から見る方が葦葺屋根の重量感が伝わりますネ。







▼葦葺の断面。

           





▼境内奥へ進みましょう。

         





▼祭神不明のお社が祀られています。







▼法堂 (大雄宝殿)。桁裄5間、梁間3間、寄棟造、桟瓦葺。享保13年 (1728年) 再建。







▼堂名扁額が掛けられています。







▼法堂須弥壇。上段中央に本尊釈迦牟尼佛、左右に迦葉尊者、阿難尊者が祀られています。







            ▼本尊釈迦牟尼佛。







▼渡り廊下。







▼開山堂。桁裄3間、梁間4間、入母屋造、銅板葺、1間向拝付、享保10年 (1725年) 再建。
 本尊寂室禅師が祀られています。







▼開山堂須弥壇。







            ▼中央仏殿には開山寂室禅師の国師号、正燈の扁額が掛けられています。







▼屋根葺き替え中の経堂。方3間、宝形造、銅板葺。応永11年 (1404年) 建立、延宝4年 (1676年) 再建。







▼経堂扁額。







▼経堂正面に祀られている、中央傅大士、右普健童子、左普成童子。この方達は道教神ですよネ。







▼禅堂。







▼宝蔵。







            ▼宝篋印塔。







▼飛泉水。







▼境内奥まったところに修行のための専門道場があります。







▼真新しい建物です。







▼内部を覗くと、







▼道場という印象はありません。新築住宅のお披露目的な印象。







▼境内の一角にこぢんまりしたお堂大悲閣。







            ▼聖観音が閑かにお立ちです。







▼たおやかなお顔を拝見しつつ永源寺を辞すことにいたします。







▼ご朱印です。







葦葺の大屋根を持つ本堂の重厚さは、臨済禅の古刹の貫禄を大いに誇っているように見えます。室町初期、武士社会の豪放さに対抗
するように禅の閑かな豪放さを、鈴鹿の山懐に抱かれたこの地から主張しているように感じる永源寺。650年の歴史の法灯は伊達じ
ゃない、そんな感じを受けた永源寺でした。

永源寺これにて オ シ マ イ 。