(2016.07.16訪問)
今日の太子町お寺巡りの主目的は実は西方院なんです。寺友N君に騙されたつもりで一度行ってこいよとの情報で、騙されたつもり
で訪ねることにしました。彼にはよく騙されるんですが、今回の情報には納得しました。
西方院は叡福寺の真ん前、谷筋、今の府道を越えた向かいの高台にあります。叡福寺聖徳太子廟に詣でた後はこちら西方院は太子
侍女といわれる三人の尼君が太子菩提を弔うために建立したと伝える古刹です。
▼細~い上り参道。
[ 西方院 ]
●山号 南向山(なんこうざん)
●寺号 西方院(さいほういん)
●宗派 浄土宗(じょうどしゅう)
●開基 伝 三尼公(善信尼 禅蔵尼 恵善尼)
●開創 伝 推古天皇三十年(622年)
●本尊 阿弥陀如来立像。
▲拝観 境内自由 朱印300円
▲時間 9:00~17:00
▲大阪府南河内郡太子町太子1633 電話0721-98-0133
▲近鉄南大阪線「上ノ太子駅」から金剛バス太子線「太子前」バス停下車目の前
近鉄長野線「喜志駅」から金剛バス太子線「太子前」バス停下車目の前
南阪奈道路「羽曳野東IC」から南約1.5km
▼道端に判り易い道標。
▼参道テッペンに朱の小さな門。
西方院縁起 (西方院パンフから抄出)
推古天皇三十年(622年)、聖徳太子薨去後、その侍女月益(蘇我馬子の娘) 日益(小野妹子の娘) 玉照(物部守屋の娘)の三姫が剃髪し、
善信、禅蔵、恵善と称し、太子御廟前に一宇を建立、太子の遺髪を収め太子作阿弥陀如来像を安置,弥陀の西方浄土を欣求された
と伝えます。
▼山門。
▼山門正面から見えるのは本堂です。
▼トテツもない大きいソテツ。
▼本堂。寛永十六年(1639年)再建。
実は余りの嬉しさに本堂撮り忘れ、この写真ネットから貰ってきたものです。
▼本堂扁額と堂内です。
▼本堂須弥壇。
▼本尊阿弥陀如来立像。お像の詳細は不祥ですが。聖徳太子作と伝わるそうです。
本堂須弥壇の見事な指物、彫物、色彩の妙をご紹介しましょう。
▼須弥壇上部の左右吊柱貫の長押に鳳凰の彫り物。
主翼は少し小さいながら、尾羽根の揺れているリズム感が凄く、おっとりした動きの中で目の鋭さ、霊鳥の貫禄充分。もっと凄い
のは彩色、繧繝彩色ではなく今様グラデーション、選色も非常に巧く、これこそ彩色の妙。完成往時の出来映え、見る人の反応な
ど見てみたいものです。
▼拡大してみました。
▼右吊柱の木鼻。阿形龍が金泥で口は朱で玉眼が嵌められ右手で柱を掴む力強さは目を見張ります。
▼阿形龍の右、手に笙を持つ天女の彫り物。この彩色も鮮やかで顔もどこか天上の舞を楽しんでいそう。
▼左吊柱の木鼻。吽形龍が左手で柱を掴む力強さは阿形龍と同じです。
▼吽形龍の左、この天女は鼓を打っています。
▼本尊阿弥陀さんの蓮台の下を獅子が必死の形相で支えています。
須弥壇そのものが芸術作品、素人目にも仏教美術の粋とも云えるのでは。本堂が江戸初期の再建なので須弥壇造作は少なくともその
前後と考えられ約四百年前の作、平安指物の技術を受け継ぐ指物師、彫師、絵師の総合技の伝統が遺憾なく発揮された秀作だと思い
ます。凄い作品を見せていただきました。須弥壇は限られたスペースに設えられているために、全貌をお見せ出来ないのが残念です。
堂内写真は許可を得て撮影しています。
▼観音堂。本尊十一面観音坐像。お堂はごく最近建てられたものでしょう。
▼観音堂扁額。真ん中が主額だと思いますが全く読めません。
▼須弥壇です。中央奥に本尊が祀られています。こちら恵信僧都の作と伝わるそうです。天井を見て下さい……、
▼逆で見にくいですが、龍が一面に描かれています。
▼鐘楼堂。
▼鐘楼正面です。朱色が目立ちすぎる程目立っています。
▼お地蔵さん二体と左の石像判りません。
▼開基の三尼公廟所。石塔が三基建てられています。(写真はネットからもらってきました)
▼ご朱印です。
西方院は小さいお寺です。然し大きな宝物をお持ちです。本堂内須弥壇は歴史的価値や作家は不明で、そのような作品が将来国宝や
重文に指定される保証は無いのですが、見方によってはそれ以上の価値を感じます。
こういった仏教美術に興味のある方には西方院オススメですヨ。
あまりに須弥壇に入れ込み過ぎたので、撮り忘れたお堂やお像かなりありました。勿体無いことをしました。
↓ ポチッと押していただければたいへん嬉しいのですが。
神社・お寺巡り ブログランキングへ