土曜日は古寺を歩こう。

寺勢華やかな大寺も、健気に法灯を守り続ける山寺もいにしえ人の執念と心の響きが時空を越え伝わる。その鼓動を見つけに…。

興福寺、藤原一族の力まざまざと。

2016年07月26日 | 奈良の古寺巡り





(2016.07.23訪問)


久々に迷車大和路号は興福寺を訪ねます。この界隈ボクはクルマ御法度にしてるのですが、ムシムシのいやらしい天気と少々時間が
早かったこともあり、取り敢えず興福寺駐車場を目指しました。ガラガラでした。
実は今日の主目的は奈良公園の百日紅の状況視察、そのついでと云っちゃなんですが、しばらく御無沙汰の興福寺を先に訪ねようと
云う訳です。




            ▼本坊前に建つ寺号石標。






[ 興福寺 ]
●寺号 興福寺(こうふくじ)
●宗派 法相宗(ほっそうしゅう)大本山
●開基 藤原不比等
●開創 和銅三年(710年)
●本尊 釈迦如来。
▲拝観 国宝館+東金堂800円 国宝館600円 東金堂300円 朱印300円
▲時間 9:00~17:00
▲奈良市登大路町48番地 電話0742-22-7755
▲1998年12月「古都奈良の文化財」として世界遺産登録。
▲西国三十三カ所観音霊場第九番札所(南円堂)
▲近鉄奈良線「近鉄奈良駅」から徒歩5分
 JR「奈良駅」から奈良交通市内循環バス「県庁前」下車すぐ




▼東金堂(国宝)。本尊薬師三尊。
 神亀三年(726年) 聖武天皇が叔母元正太上天皇の病気全快を願って建立。
 桁裄七間、梁間四間、寄棟造り、本瓦葺、前面を吹放。応永二十二年(1415年) 再建。





興福寺縁起 (興福寺HPから抄出)
興福寺の前身は飛鳥の「厩坂寺」で、さかのぼると天智朝の山背国「山階寺」が起源となります。その山階寺は、天智八年(669年)に
藤原鎌足が病気の時、夫人鏡女王が夫の回復を祈願して、釈迦三尊、四天王など諸仏安置のために造営したものと伝えられています。
壬申の乱後、飛鳥遷都で山階寺も移建、地名を取って厩坂寺とされました。平城遷都の際、和銅三年 (710年) 藤原不比等よって移建
「興福寺」と命名。奈良時代には四大寺、平安時代には七大寺の一つに数えられ、春日社の実権を得、鎌倉、室町時代には興福寺が
大和国守護に当たりました。文禄四年(1595年)の検地で春日社興福寺合体の知行として二万一千余石と定められました。しかし明治
の神仏分離令、廃仏毀釈などで荒廃、その後寺僧有縁の人々の努力で復興されその歴史を刻み続けています。



▼東金堂正面屋根下の組み物。







▼東金堂本尊薬師三尊。中尊薬師如来坐像、右日光菩薩立像、左月光菩薩立像。



(写真はネットからもらってきました)





▼東金堂隅屋根の組み物。突出した斗組の大きさが半端じゃありません。奈良時代のダイナミックな方式らしいです。







▼東金堂。






            ▼五重塔(国宝)。
             天平二年(730年)興福寺創建者藤原不比等の娘光明皇后が建立。
             塔高50.1m、初層方三間で8.7m、本瓦葺。五回の被災再建後、応永三十三年(1426年) 再建。
 
             初層の四方には、薬師三尊像、釈迦三尊像、阿弥陀三尊像、弥勒三尊像を安置。






            ▼塔の美しさを決定付ける逓減率が高く、軒の出が深い力強い塔です。






            ▼五重塔。安定感抜群、本当に美しい塔ですネ。






▼初層隅屋根の組み物。
 三手先組(みてさきくみ)云われる柱筋から前方に突出した斗組をいい、三列外方に突出した組物で、その外形が半端なく思い切り
 突出しています。これも奈良時代のダイナミックな方式らしいです。






            ▼五重塔。






            ▼初層正面。






            ▼五重塔正面。
             8月26日(金)→10月10日(月祝)初層が特別公開されます。






            ▼五重塔相輪。






▼南円堂(重文)。
 弘仁四年(813年)に藤原冬嗣が父内麻呂追善のため建立した八角円堂。
 八角一面は6.4m、対径は15.5m、本瓦葺。創建以来四回の被災再建後、寛政元年(1789年) 再建。
 
 堂内には本尊不空羂索観音菩薩像(国宝)、四天王像(国宝)が安置。
 西国三十三カ所観音霊場第九番札所です。

 

人のいない南円堂って初めてです。アッ、一人だけいました。 





▼八角屋根と唐破風向拝のコンビネーション。







▼屋根テッペンの露盤と宝珠。






            ▼南円堂の本尊不空羂索観音坐像(国宝)。以前描いたペン画です。
             像高336.0cm。桧寄木造、漆箔、玉眼、鎌倉時代。仏師康慶(運慶のお父さん)






            ▼三重塔を通して撮った南円堂。






            ▼南円堂と百日紅。






▼平成三十年落慶予定。気長に待ちましょう。






            ▼三重塔(国宝)。
             康治二年(1143年)崇徳天皇中宮が創建。治承四年(1180年)平家焼き討ちで被災、間もなく再建。
 
             塔高19.1m、初層は方三間で4.8m、本瓦葺。北円堂とともに興福寺最古の建物。



             五重塔と同時に8月26日(金)→10月10日(月祝)初層が特別公開されます。




               




            ▼三重塔の相輪。






▼南円堂石段下の石仏。







▼境内から少し離れた所にポツンと大湯屋。応永三十三年(1426年) 再建。







▼菩提院大御堂。興福寺の塔頭。本尊阿弥陀如来像。興福寺の法相宗を中国から伝えた玄昉僧正が住んでいたとも伝えます。
 桁裄五間、梁間五間、寄棟造、本瓦葺、正面一間向拝付。天正八年(1580年)再建。



何時訪ねても参拝者が居たことはありません。





▼大御堂正面の大提灯。







▼本坊山門からお庭。







▼御朱印です。五十二段で撮りました。






興福寺は今、中金堂復興再建と北円堂回廊基壇の復元工事のため近寄ることは出来ません。
工事中であっても、北円堂は例年の如く年二回の特別開扉は行われるそうで、あの運慶の名作一連にこの秋には会えることが出来ま
すヨ。

次、百日紅です。






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