(2012.04.15訪問)
草谷寺から葛城古道に戻り南へ走り国道310号へ。大阪河内長野へ通じる国道ですが、狭く小カーブばかり、
超安全運転です。しばらく走ると道路左脇に、らしくない案内看板がお寺へ案内してくれます。
大澤寺は古来「眼の薬師」として眼病、耳疾に霊験新たか。とか
▼五条から国道310号沿いにイヤでも目に入る案内表示。
[ 大澤寺 ]
●山号 神福山(しんぷくさん)
●院号 青龍院(せいりゅういん)
●寺号 瀬之堂大澤寺(せのどう だいたくじ)
●宗派 高野山真言宗
●開創 伝役行者小角
●本尊 薬師如来坐像 脇侍 持国天立像、増長天立像
大澤寺縁起 (大澤寺HPから抄出)
瀬之堂大澤寺は千三百年前、修験道の開祖役行者小角がこの地を扶桑第一の行場として、一宇の草堂を結び
薬師如来を勧請、朝夕祈願の浄域と定められたのが瀬之堂の開基です。弘仁年間弘法大師がこの地に止錫さ
れ、伽藍、僧房など真言密教の一大霊場の様相を整えられ、南北朝時代には仁和寺の別格本山になり広大な
寺域には十二の塔頭をはじめ諸国に末寺を擁していたと伝え、後醍醐帝はこの寺を勅願所と定め息後村上帝
は行宮とし、護良親王、楠公一族など南朝縁の寺院として栄え、京聖護院法親王より「柳の宿」の庵号を賜
ったと伝えています。
▼案内どおり左折すると、こんな参道が約1.2km。
舗装もされ、いい山道に見えるでしょうネ。ところがどっこい、幅員軽自動車ギリギリ、行き違いできず、
逃げ場なし、どうしましょ対向車があったら。ビクビクものでした。
▼大澤寺石標。
▼石標から少々登って左カーブすると、きれいな白壁が続くこの景観。
「山寺」そんな言葉はどこへやら。だけど本当にかなりの山中なんですヨ。
▼山門。ここから入山することは出来ません。正面に本堂が見えます。
▼入山はこちらから。
▼雪柳と庫裏。
▼手水舎。手水鉢は江戸享保年間時代のものらしいです。
▼お寺説明板。
▼本堂。桁行3間、梁行4間、入母屋造、1間向拝付き、桟瓦葺。
本尊 薬師如来坐像(秘仏) 像高189.1cm、楠一木造、平安初期。脇侍 持国天立像、増長天立像。
▼本堂扁額。瑠璃光仏(薬師如来のこと)と書かれています。
▼本堂内陣。美しく荘厳され、中央柱間奥お厨子の中に秘仏本尊が祀られています。
本堂右奥須弥壇には弘法大師、左奥には役行者が祀られています。
▼本堂横に賓頭盧尊者。この地域では「べんずりさん」と親しまれているそうです。
▼青龍の池(方生池)に架かる太鼓橋。山門からの橋ですが現在は渡れません。
▼青龍の池(方生池)。朱の欄干が池に映る景観は実に美しい。
緑水海の如く吹き出で四節涸くことなく青龍王現存す、病平癒祈願のため身替わり放生、成満供養に今も亀
や鯉の放生が信者によって続いているとのことです。
▼知恵の柳。弘法大師の杖より生じたと云われる柳。お寺古文書には「是当山知恵の柳也」とあるそうです。
▼青龍の池(方生池)と雪柳。
▼参道築地塀越しに見た本堂。
金剛山麓の山中に在るとはとても思えず、突然の白壁には驚かされましたが、周辺環境と共生した植栽の彩
りや境内景観の管理はとても行き届いた、気持ちのいいお寺です。歴史を語るお堂は本堂一宇だけの小さな
境内ですが「眼の薬師」として隠れた人気のホドは成るホドです。
ご住職はお留守でしたが、庫裏と本堂の渡り廊下を清掃中のご婦人に声をかけるとご住職の奥様でした。し
ばらく手を止めて庫裏の縁側で雑談の相手をして下さり、「あと小一時間で住職が本山修験の方達と戻り本
堂で法要を行いますので、それに参加されたら」とお誘いを受けたのですが、今回は遠慮させてもらいまし
た。 しかしよく考えて見るとアホですなァ、キット一人だと気が弱いんです。
いま眼医者と耳医者通いの身ですワ。ボクは。
神社・お寺巡り ブログランキングへ