(2018.04.07訪問)
1番札所霊山寺から2番札所極楽寺までは僅かに1.5キロ、コレは訪ねない訳にはいきません。ナンダカンダ云ってる内に大和路号は
朱色の綺麗な山門前に到着。霊山寺に較べて参拝の方は多いようです。
聞く所によると、88ヵ寺の距離間は今日のように極近いところもあれば、寺間70〜80キロほど離れたところもあるそうで、
全くバラバラ、歩き遍路としての総距離は1200キロ越えるそうです。コレはよほど心して挑戦しなければ満願は覚束ないでしょう。
ボクなど何でもかんでもクルマ一辺倒の人間にとって歩き遍路はやはり無理でしょうネ。
▼続いて着いたよ四国霊場第2番。
[ 極楽寺 ]
●山号 日照山 (にっしょうざん)
●院号 無量寿院 (むりょうじゅいん)
●寺号 極楽寺 (ごくらくじ)
●開山 伝行基 (ぎょうき)
●開創 伝弘仁年間 (810年~824年)
●宗派 高野山真言宗 (こうやさんしんごんしゅう)
●本尊 阿弥陀如来像
●四国88カ所霊場第2番札所
▲拝観料 朱印300円 駐車場 無料
▲徳島県鳴門市大麻町檜字段の上12 Tel.088-689-1112
▲ http://www.88shikokuhenro.jp/tokushima/02gokurakuji/index.html
▲高松自動車道板野ICから県道12号経由で約2㎞
JR高徳線阿波川端駅から徒歩20分
▼朱色も鮮やかな山門が待ってくれてました。
三間一戸、重層楼門、上層は高欄付き、入母屋造、本瓦葺、初層左右に金剛力士を安置。
極楽寺縁起 (四国八十八ヶ所霊場会公式ホームページから抄出)
弘仁6年(815年) 42歳の弘法大師がこの地で37日間阿弥陀経を読誦し修法された。結願の日に阿弥陀如来が出現したので、大師は
その姿を彫造して本尊とされた。この阿弥陀如来像は尊容が美しく、発する光は遠く鳴門の長原沖まで達したという。漁民たちは漁
の妨げになると本堂の前に人工の小山を築いて光を遮ったという故事から「日照山」と号した。その後、天正年間に長宗我部元親の
兵火で焼失したが、万治2年(1659年)本堂は蜂須賀光隆公の援助によって再建されている。
▼山号扁額。
▼初層左右に仁王さん。
▼四国第二番と寺号極楽寺の文字が光ってますネ。山門から境内を、参道は右に折れているようです。
▼再建なのか再彩色なのか判らないんですが、非常に綺麗な山門です。
▼真っ直ぐの道は本堂エリアへの道です。左に折れると本坊。
▼参道左にはよく手入れのされた綺麗なお庭が続きます。
▼デッカイ空海さんお手植えの長命杉。
お参りの皆さんが触れるところは同じ、そこだけツルツル。
▼薬師堂。方三間、宝形造、銅板葺、一間向拝付、江戸時代末の建立。
▼小窓から覗いた内部。本尊は立像みたいですネ。
▼観音堂。方三間、宝形造、銅板葺、一間向拝付、江戸時代中期の建立。
▼本堂。方三間、宝形造、銅板葺、一間向拝付、江戸時代初期の建立。
▼豪華な天蓋と瓔珞がキラキラの本堂の内部。
▼本尊の絵姿。本尊はこの絵姿から想像してもらうしかありません。
なんせ絶対秘仏ですから。
▼外陣にぶら下がる大提灯。
▼子宝授け、妊娠安産、霊験あらたか安産大師。
▼お名前の判らない如来さん。
▼超豪華! 二童子を従えた一願水掛不動尊。屋外にありながら火焔天蓋の凄いこと。
▼お不動さんのお顔見てみましょう。野性味に溢れ緊張感が伝わります。
▼大師堂。方三間、宝形造、銅板葺、三間向拝付、江戸時代初期の建立。
▼弘法の扁額。
▼大師堂内陣。
奥の須弥壇、僅かにお大師さんのお顔が見えましたところで、第2番札所極楽寺 オ シ マ イ
▼第2番札所朱印です。
初めての四国88カ所霊場札所訪問は二ヵ寺で今日の予定は終了。3番札所以降の訪問は何時になることやら判りませんが、いずれは
88ヵ寺満願行は成し遂げたいですネ、クルマでも自信はありませんが。
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