(2013.11.30訪問)
柄にもなく錦秋に浸ろうと哲学の道の一本東の細道をフラフラ歩いていると思ってください。
オッ!安楽寺が開門しているではありませんか。と云うよりカメラおじさん、おばさんがたむろしているで
はありませんか。
いつ訪ねても閉門中、今日偶然公開中に通りかかりました、ラッキーです。このお寺、年間公開日が決まっ
ているそうで、訪問される方、事前確認して行ってください。
▼石段と茅葺き山門。朝の光はことのほか陰影を際立たせます。
[ 安楽寺 ]
●山号 住蓮山(じゅうれんざん)
●寺号 安楽寺(あんらくじ)
●宗派 浄土宗
●開基 住蓮上人(じゅうれんしょうにん)安楽上人(あんらくしょうにん)
●復興 法然上人(ほうねんしょうにん)
●本尊 阿弥陀如来坐像。
▲京都市左京区鹿ケ谷御所ノ段町21 TEL.075-771-5360
▲拝観料 500円 御朱印300円
▲拝観時間 午前九時三十分~午後四時三十分
安楽寺は年間を通して一般公開日が設定されています。詳しくは安楽寺HPをご覧下さい。
▲JR京都駅から市バス5番で岩倉操車場行、真如堂前下車、徒歩10分
四条河原町から市バス203番で祇園・錦林車庫行、真如堂前下車、徒歩10分
安楽寺縁起 (安楽寺HPから抄出)
法然上人の弟子、住蓮上人と安楽上人を開基とします。この開山両上人が、現在地より東に「鹿ヶ谷草庵」
を結び、布教活動の拠点を持たれたのがこの寺のはじまりです。山門前の石柱には「浄土礼讃根元地」と刻
まれています。両上人が称える礼讃はすばらしく、両上人の前で出家を希望する人もありました。その中に
後鳥羽上皇の女官、松虫姫と鈴虫姫がおられました。両姫は、法然上人や開山両上人から念仏の教えに感銘、
建永元年(1206年)十二月、後鳥羽上皇紀州熊野参拝の留守中、鹿ヶ谷草庵を訪ね出家を乞います。松虫姫は、
住蓮上人から、鈴虫姫は、安楽上人から剃髪を受けます。これを知った上皇は激怒、建永二年二月九日、住
蓮上人は近江国馬淵で、同日安楽上人は京都六条河原で斬首。法然上人を讃岐国に、親鸞聖人を越後国に流
罪、建永の法難です。その後、両姫は瀬戸内海の生口島で念仏三昧の余生を送り、松虫姫は三十五歳、鈴虫
姫は四十五歳で往生を遂げたと伝えられています。両上人の亡き後、鹿ヶ谷草庵は荒廃しましたが、流罪地
から帰京された法然上人が両上人の菩堤を弔うために草庵を復興するように命ぜられ「住蓮山安楽寺」と名
付けられました。天文年間に現在地に本堂が再建され、今日にいたっています。
▼寺名石柱。この寺名、道路側ではありません。表面は「浄土礼讃根元地」と刻されています。
▼山門脇のもみじ。カメラおじさんが云ってました「今年は色付き悪いなァ、散りも少ないし色付き遅いワ」
そう云われて見ると色はまばらです。
▼山門。お寺の山門とは思えない佇まい。
▼いきなりこのもみじ。もっと紅くなるんでしょうか?
▼山門ともみじ。真っ赤だったら絵になるでしょうネ。
▼本堂前庭。
▼仏足石。足跡を揃えていないところが、動を感じません?
▼本堂。宝形造、方三間、本瓦葺、一間の向拝付き。重層に見えますが、初層は裳階と思われます。
▼本堂内陣の本尊、阿弥陀三尊像。
▼阿弥陀さんのお顔。やや角張ったお顔と半眼は絶対的救済の意思に溢れている様です。
▼本堂を見上げてみました。
▼一番の紅葉。
▼井戸。
▼風楼の扁額がかかる客殿。
▼床には鶴田一郎さんの松虫姫か鈴虫姫らしき版画。
▼客殿からお庭。
▼客殿庭園。丸く刈り込まれたツツジと五月。春にはまた違った光景を見せてくれるんでしょう。
▼水無川にかかる石橋。光の差さないお庭もまた一興。
▼客殿からお庭。額景を撮りたかったんですが。
▼中庭から客殿。
▼中庭の手水鉢。
悲劇の四人の供養塔が境内高所に建てられています。
▼住蓮、安楽上人の供養塔。
▼松虫、鈴虫姫の供養塔。
▼真っ赤になるのか、このまま終わるのか気になりながら山門ともみじを見上げ安楽寺を辞しました。
▼安楽寺はカボチャ供養で有名です。 (安楽寺HPから抄出)
毎年七月二十五日の九時から十五時まで「中風まじない鹿ヶ谷カボチャ供養」を勤めています。当日ご参拝
されたお方に、煮炊きされた鹿ヶ谷カボチャを食べていただき、中風にならないよう祈願する行事です。
▼御朱印です。
▼まさに綾錦。法然院への道すがら。
↓ ポチッと押していただければたいへん嬉しいのですが。
神社・お寺巡り ブログランキングへ
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます