土曜日は古寺を歩こう。

寺勢華やかな大寺も、健気に法灯を守り続ける山寺もいにしえ人の執念と心の響きが時空を越え伝わる。その鼓動を見つけに…。

壬生寺、新選組ゆかりのお寺、近藤はんに会ってきました。

2014年03月17日 | 京都の古寺巡り


(2014.03.15訪問)

今日も先週に続いて京です。伏見から少々上がった四条通を歩いています。京阪祇園四条から西を目指して
トボトボとまっしぐら! 四条大宮まで歩きごたえありましたワ。どこを訪ねたかと云いますと壬生寺です。
ここはお地蔵さんと壬生狂言と新選組ゆかりのお寺として名高く、境内で、みはっさんの♪ああ新選組♪が
聞けるお寺です。


▼ご存知ですねこの方を、そうですあの新選組局長、近藤勇です。



♪ 加茂の河原に 千鳥が騒ぐ またも血の雨 涙雨 
      武士という名に 命をかけて 新選組は 今日も行く ♪


[ 壬生寺 ]
●院号 心浄光院(しんじょうこういん)
●寺号 宝幢三昧寺(ほうどうさんまいじ)通称壬生寺 (みぶでら)
●開山 快賢僧都 (かいけんそうず)
●開創 正暦二年 (991年)
●宗派 律宗大本山
●本尊 地蔵菩薩 (重文)。
▲京都市中京区坊城仏光寺北入る TEL075-841-3381
▲拝観料 境内自由 壬生塚入場料100円 歴史資料室200円 御朱印300円
▲京都駅から市バス26, 28号系統「壬生寺道」下車徒歩5分
 四条河原町、京阪三条から京都市バス3, 11号系統「壬生寺道」下車徒歩5分  
 阪急京都線「大宮」下車徒歩10分

壬生寺縁起
正暦二年 (991年) 三井寺の快賢僧都によって創建。承暦元年(1077年)白河天皇より、地蔵院の勅額を受
け現在地に移る。その後度々、被災し再建を繰り返している。昭和三十七年(1962年)本堂を全焼、本尊
地蔵菩薩像を含む多数の寺宝を焼失、本尊延命地蔵菩薩立像が、総本山唐招提寺から移されて、昭和四十五
年(1970年) に本堂の落慶法要が行われ現在に至っている。


▼細い仏光寺通りに面していきなりの山門。壬生寺の正門。寛政十一年(1799年)の再建。




▼山門前にモダ~ンな寺標 (アルミニウム製) が場違いな感じで建てられています。




▼山門から本堂へ一直線の参道。




▼境内マップ。初めて見ました航空写真のマップ。




▼山門を入った右手にある一夜天神堂。嘉永五年(1852年)再建。
 ご神体は一夜天神像。一夜天神は「一夜にして知恵を授かる」として、学業上達の御利益があらたかだそ
 うです。




▼夜泣き地蔵。病気平癒や幼児の夜泣きどめにご利益大いにあるそうです。




▼阿弥陀堂。阿弥陀三尊が祀られています。新しく再建されたモダンなお堂。創建は健保元年 (1212年)




▼弁天堂。 本尊の辧財天 (秘仏)。壬生寺の鎮守社。蓄財、子孫繁栄、金運上昇のご利益があるそうです。




▼水掛地蔵堂。慶安二年 (1649年) 作の地蔵菩薩が祀られ、水を掛けて祈ると、一つの願いが叶うそうです。




▼これがそのお地蔵さん。




▼鐘楼。嘉永三年 (1851年) 再建、梵鐘は嘉永元年 (1848年) 鋳造。




▼本堂。本尊延命地蔵菩薩立像。
 昭和三十七年(1962年)火災で全焼し、昭和四十五年(1970年) 落慶法要。




▼本堂扁額。




▼千体仏塔。
 平成元年 (1989年) に創建千年記念に建立。明治期に都市計画に際して市内各地から集められ、塔の形は
 パコダを模しているそうです。

  


▼寺務所前壷庭の蹲。




▼放生池に架かる中之島太鼓橋。この橋を渡ると中之島壬生塚、新選組関連の遺跡です。



♪ 恋も情けも 矢弾に捨てて 軍かさねる 鳥羽伏見 
      ともに白羽を 寂しくかざし新選組は 月に泣く ♪



▼龍神像。壬生の作家桶本忠弘さんから2003年に奉納。




▼壬生塚。
 壬生寺境内東方にある放生池の中之島は、壬生塚と呼ばれ、新選組隊士の墓や供養塔があります。




▼近藤勇像。
 天下の悪役俳優、故上田吉二郎さんが発起人、よほど思い入れがあったんでしょう。昭和四十六年建立。




▼近藤勇遺髪塔(右)。




▼新選組慰霊塔。




▼新選組合祀墓。近藤勇以下11名の隊士が祀られています。




▼ああ新選組歌碑。
 100円入れると、みはっさんの♪ああ新選組♪が流れます。よろしいなぁ。
 思わず、みはっさんとデュエット! 誰もいなかったもんで。



♪ 菊のかおりに 葵が枯れる 枯れて散る散る 風の中 
      変わる時勢に 背中を向けて 新選組よ 何処へ行く ♪


▼北門。




▼御朱印です。




壬生寺はやたら石仏、石像、石碑の多いお寺で、それらがすべて見事に管理されています。
このお寺の経営意欲の活発なこと相当なもんです。境内には立派な有料老人ホーム、特養老人ホームや保育
園、駐車場など経営され、お寺も異業種経営の一環かしら。

今 日 の フ ロ ク

▼新選組屯所跡の八木邸。



新選組は文久三年(1863年)三月、この壬生の地において結成された。かつては壬生寺境内は新選組の兵法調
練場に使われ、武芸や大砲の訓練が行こなわれたという。 壬生寺正門北には現在も八木邸、前川邸二箇所の
新選組屯所跡が当時のままの形で残っており、それぞれ住人のご尽力により管理保存されている。寺の正門
前の坊城通りを北へ、和菓子店「京都鶴屋」の奥に八木邸がある。この八木邸において、芹沢鴨らが暗殺さ
れた。現在は内部が一般公開されている。
新選組は壬生に屯所をかまえたのは二年あまりにすぎなかった。その後も隊土は壬生寺で兵法訓練をしたり、
壬生の地をしばしば訪れている。新選組隊士を壬生浪士とも呼ぶのは、この壬生屯所での新選組の活躍が広
く知られたためであろう。ここに記した以外にも様々な説があるので、必ずしもこの限りではないことをお
断りしておく。
(壬生寺HPから抄出 壬生寺学芸員 松 浦 康 昭さん)





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