
(2017.11.11訪問)
華やかな薬師寺を辞して大安寺に向かいます。新大和路号は一路大和路を東に、途中JR奈良駅前を通り南へ。しばらく走ると大安寺
の標識を右へ、やがて大安寺に到着。南都七大寺の筆頭寺院と云われた大安寺は、当初飛鳥の中心寺院として栄えたそうですが、今
は普通の街中お寺。残された仏像から飛鳥の香りを感じる事が出来るでしょうか。
▼南都七大寺と誇る門前の寺号石柱。

[ 大安寺 ]
●山号 熊凝山 (くまごりさん)
●寺号 大安寺 (だいあんじ)
●宗派 高野山真言宗 (こうやさんしんごんしゅう)
●開基 聖徳太子 (しょうとくたいし)
●開創639年聖徳太子建立の熊凝精舎が開創寺院と伝わる
●本尊 十一面観音菩薩立像
▲拝観 400円 朱印300円
▲時間 9:00~17:00
▲奈良市大安寺2-18-1 電話0742-61-6312
▲http://www.daianji.or.jp/index.html
▲JR関西線、近鉄奈良線「奈良駅」からバス大安寺行き「大安寺」バス停下車 徒歩5分
▼山門。四脚門、切妻造、本瓦葺、梁上に菊の御紋が光ります。

大安寺縁起
聖徳太子の熊凝精舎が舒明天皇により百済大寺として、天武天皇により高市大寺にそして大官大寺と改め、天武天皇の崩御後、その
遺志は持統天皇、文武天皇へと引き継がれ平城遷都とともに平城京左京に遷地され大安寺と称され、六宗兼学の大寺院として南都に
その偉容を誇りました。
▼山門木札。

▼境内を見渡しますと左に……、

▼いのちの小径と名付けられた竹林が。
毎年1月23日癌封じ笹酒祭、6月23日竹供養・癌封じ夏祭が行われています。

▼大きな手水鉢で先ずお清めを。

▼本堂。桁裄三間、梁間四間、宝形造、桟瓦葺、一間向拝付。宝形造の本堂は比較的珍しいのでは。

▼本堂本尊十一面観音菩薩立像 (重文)。像高191cm、木造、奈良時代後期。通常は秘仏、特別開帳10月1日~11月30日
大安寺に残る天平仏九体(重文)の一体です。頭部は明らかに後補と判り、体部との差が目立ち、お顔はやや伏し目がちで、須弥壇
の厨子内にお立ちなので下方から拝することになり不思議な感覚受けます。胸部瓔珞や条帛、天衣の彫りは浅いですが柔らかくま
とめられています。

(写真は大安寺HPからお借りしました)
▼本堂側面から。

▼本堂屋根の宝珠。桟瓦の流れは思いの外キレイですネ。

▼嘶堂 (いななきどう)。馬頭観音を祀るお堂です。馬が嘶くからか、少々駄洒落的発想ネーミングのお堂。

▼嘶堂扁額。

▼嘶堂本尊馬頭観音立像 (重文) (秘仏)。像高174cm,木造、奈良時代後期。毎年3月1日~31日公開。
馬頭観音様は、頭上に馬頭をいただく忿怒の形相ですが、この像には馬頭がありません。儀軌以前の古像で、馬頭観音の原初の姿
とも考えられているそうです。

(写真は大安寺HPからお借りしました)
▼護摩堂。毎月第2日曜日護摩供養が行われます。


▼お竹地蔵尊。

▼白さざんか (と思います) が咲いていました。

▼弘法大師七歳稚児大師像。

▼大伴家持の歌碑。
うつせみは 数なき身なり 山川の 清けき見つつ 道をたずねな

▼石灯籠。

▼十三重石塔。

▼江戸期の大安寺伽藍配置図。南都第一の大寺として君臨した頃を偲ぶ絵図としたら哀しすぎますネ。

▼お寺から南へ少し行ったところに塔跡が残っています。
当然の事ながら、この位置に塔があったという事は、時勢華やかりし頃の強大な境内の広さが偲ばれます。時代の流れとはいえ淋
しさが身に沁みます。

▼御朱印です。

平城遷都後最大の官寺、大官大寺が飛鳥からこの地に移され大安寺と称し南都第一の大寺として、六宗兼学の仏教総合大学的性格で
幾多の名僧知識を輩出した名刹。この名刹も時代の波に揉まれ揉まれて、往時の規模は比べようもなく、天平の香りは残された木彫
仏九体のみ。南都七大寺の中で最も衰退したお寺になってしまったようで、豪壮華麗な薬師寺を拝観して来ただけに、栄華の時期を
偲ぶ術もない今の姿は、なんとも悲しく映る大安寺でした。
涙を拭いながら大安寺 オ シ マ イ
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