土曜日は古寺を歩こう。

寺勢華やかな大寺も、健気に法灯を守り続ける山寺もいにしえ人の執念と心の響きが時空を越え伝わる。その鼓動を見つけに…。

宮門跡の名門寺院、妙法院門跡。

2012年06月26日 | 京都の古寺巡り


(2012.06.23訪問)

三十三間堂から歩五分、東大路通りに面して由緒正しい妙法院門跡の大門と唐門が建っています。
通常非公開寺院ですが、きまぐれに時々公開される時があるようです。寺務所の方がそう云ってました。
境内は自由に散策出来ますが、お堂へは入れません。
このお寺を有名にしているのは、幕末ドサクサの折の攘夷派の三条実美はじめ七卿がこの妙法院に集結、長
州藩士久坂玄瑞に守られて長州へ落ち延びたと、世に云う七卿都落ちのお話ですネ。

[ 妙法院 ]
●山号 南叡山
●寺号 妙法院門跡
●宗派 天台宗
●開基 伝教大師最澄
●開創 延暦年間(782~805年)
●本尊 普賢菩薩騎象像(重文)

妙法院縁起
伝教大師最澄さんが比叡山中に建てた小坊がその起源。平安後期、後白河上皇時に洛中に移転、曾孫親王が
住職になり建仁寺北辺に寺域を構え、以後代々法親王が法脈を継承、江戸初期現在地に移転し方広寺、蓮華
王院を管領し東山随一の巨刹として大いに栄えたと云います。

▼大門。土塀の五本の白線が光ってますね。




▼大門に掲げられている木標札。




▼唐門。




▼境内です。右手に見えるのは本堂。




▼本堂(普賢堂)。
本尊 普賢菩薩騎象像(重文)。
方三間、禅宗様式の宝形造、本瓦葺。江戸期の建立。重層に見えますが下層は裳階。天井には龍が描かれてい
るそうです。お堂正面ガラス戸から覗けますが、残念ながら暗くてよく見えません。




▼宸殿。室町期より歴代天皇、皇后の尊碑六十数基を奉祀。
江戸末期の公武合体派と尊王攘夷派との政変で攘夷派の七公卿が長州へ追放された時、ここから落ち延びた
といわれているそうです。




▼境内南に建つ七公卿顕彰碑。




▼大玄関(重文)と大書院(重文)。
東福門院(後水尾天皇中宮)が入内時の殿舎を移築。書院内には狩野永楽、光信父子の襖絵が二十面残され
ているそうです。




▼明治天皇行在所跡。




▼境内西に建つ宝篋印塔。詳細は不明です。




▼庫裡の前によく育った蘇鉄が植栽されています。




▼庫裡(国宝)。桁行十三間、梁行十二間、入母屋造、本瓦葺、棟高六十尺、正面唐破風の玄関。
屋根のテッペンに煙出し付。まるで城のような重厚感満点の建物です。
豊臣秀吉が方広寺大仏落慶千僧供養を行った時の遺構で、文禄四年(1595年)建立。




▼庫裡玄関。




▼庫裡天井の小屋組み。自然木を利用した梁と貫の力強い美しさは格別。最上部に煙出窓からの明りが見え
ますでしょうか。




▼庫裡の勇壮な屋根。テッペンが煙出し。




▼桜町天皇下賜の檜皮葺唐門。



妙法院は青蓮院、三千院と並び天台三門跡と称され、法親王が法脈を継承する宮門跡寺院という名門です。
非公開ということで境内を拝観出来るかどうか寺務所へお伺いを立てに寄りましたら、愛想抜群の作務衣の
女性が色々お話しくださり、お寺冊子までいただきました。特別公開は決まった日はないそうで、気まぐれ
に公開する時はあるそうです。
ただし毎月一日、十四日は普賢法会が行われ、本堂が開扉されるそうです。

境内をサラッと拝観するのみ、このお寺がどれだけの格と由緒を誇っているかは、建物の外観からだけでは
なかなか見えてはきませんでした。



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