銀河後悔日誌、つぶやき

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「笑点」観賞記・第4回 ほか

2005-11-06 21:43:28 | 笑う点ならそのものズバリ
 「みなさんこんにちは、笑点の時間がやってまいりました。司会の歌丸です、よろしくどうぞ。」で始まった、「笑点」第1991回14日16日23日30日の記事も参照)。

 今日の大喜利コーナー司会者は、三遊亭小遊三師匠。
 いつも一番最初に入ってくる方が、今日は最後に入る不思議さ。
 元気よく始まったものの、皆さんのやんちゃぶりに手を焼いている様子。なかなか二問目へ行けなかったり…。
 座布団の配分はいたって普通…。と言いたいところだが、座布団がが多いと見るや、答えるたびに持っていってしまったり、2枚上げたら9枚になり、ピンチになったり(笑)。

 さて来週は誰(好楽さんらしい)?!

 ちなみに、圓楽師匠は1日に退院され、現在は静養中。復帰されるのも、そう遠い日のことではないだろう。



 さて、前に『サザエさん』の出演者を調べていることを書いた(10月25日など)が、日付がはっきりと分からないものもあったので、昨日岩見沢市立図書館にて、「北海道新聞」縮刷版のテレビ欄で調査を行なった。


 読んだのは昭和60(1985)年である。
 こういう時は関係ない記事に目が留まるのが常で、まあ本棚の整理でしまおうとする本を読みふけるようなものだ。
 たとえば、3月にはアニメ『タッチ』が放送開始とか、『小公女セーラ』も放送中とか。
 「トリビアルパスート」なる、アメリカ合衆国で大人気のボードゲームなんてのも載っていた。日本では余り流行らなかったみたいだが、「トリビア」と略しているのに驚き。


 それはともかく、この年には“サザエさん大変動”があった。
 「早春 伊豆長岡の別れ」という話で、磯野家の隣に住んでいる浜さん一家が伊豆へ引っ越し、ノリスケ一家も名古屋に転勤。そして3本立ての3本目では、三河屋の御用聞き三平さんまでも、故郷の山形へ帰ってしまった、という。

 当時はGコードなんてのもないので(というよりビデオデッキがそんなに普及してない?)、サブタイトルが短ければ3本とも、たいていは2本のサブタイトルがテレビ欄に載っていた。
 事前に「磯野家の行動記録」などでおおよその放送日を把握しておいたので、すぐに見つかるかと思いきや、なぜか3月31日だけ「声 加藤みどり 永井一郎」とあるだけで、見出せない。1月から12月まで全部見たが、見出せない。
 しかし、附近のサブタイトルから、この日が“大変動”と断定。

 これで磯野家のとなりは空き家になり、イクラちゃんの声も聞けなくなって、寂しくなった。しかし評判が悪かったらしく、6月16日には「おかえりなさい、イクラちゃん」という話が載っている。ここで帰ってきたようだ。

 そして7月21日、「おとなりの大先生」で伊佐坂一家がやってくる。これは覚えている。ノリスケの仕事は雑誌社であり(前からそうだったかは知らない)、これ以降、頻繁に磯野家へ入り浸ることになるのである。

 残念ながら、三郎さんの登場時期は把握できなかった。
 余談だが、平成4(1992)年に中学校の学校祭で「サザエさん」の仮装をすることになったが、三郎さんの髪型をどうするか議論になったことがある。登場はおそらく1985年だろうが、いつのまにか浸透してしまったようだ。

 毎週変化に乏しいと思われがちな「サザエさん」であるが、これほど変化があった年は、この年しかない。


 夕刊のテレビ欄には、読者からの投書が載っていたが、「サザエさん」については誰も触れていない。
 当然ながら、テレビ番組関係の記事にも載っていない。

 『ドラえもん』リニューアルや、『サザエさん』の声優交代が話題になったことは記憶に新しい。現在であれば、多少は報道されたのではないか。



 では、その結果をもとに出演者一覧を…と思ったが、これだけでだいぶ行を使ってしまった。
 また明日にでも。