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木燃人の波止場

花やお寺や観光地の写真を紹介しつつ、皆さんとの交流を計りたく思ってます、気軽に見て戴き、コメントを戴ければ嬉しいです。

1528 パソコンライフ(3)

2016-10-10 08:00:00 | その他

 パソコンのタワーモデルというのは、拡張性が極めて高く、高性能機を割安に作ることが出来るとは知っていたが、 パソコンの永久初心者を自負する(?)私には高嶺の花と信じて止まなかったが、パソコンをやる以上一度は使ってみたいとの思いも強かった。 (写真はタワーモデルの本体一例:マウス)

  その憧れにも似た本格的パソコン、タワーモデルが眼前にちらつき始めた。 これは大げさな言い方になるが、私の中ではパソコン歴の大きな転換点ともいえる事態なのであり、これを書かずして何を書くのか、このブログにと、変にかっこ付けたくなったのであった。

  ついてはタワーモデルとは如何なるものなのか、先ず、電器量販店で現物を見た後、四日市にただ一軒ある、パソコン専門店(グッドウイル)を訪ねた。 所が以前あった所はラジコンカーの試走場になり、少し離れた場所に店の規模を1/5位に縮小してやっていた。

  見ると、タワーモデルは拡張性を誇るだけあって、筐体が馬鹿でかい事が第一印象で、私の机の上はかなりの改造が要と先ず思った。 ただし、性能的には現存する最高レベルに作り上げる事が可能であり、やりようによっては、価格も安くできることを知った。

  それは例えば、高度なグラフィックやブルーレイなどがあり、仕事としてやる、芸術的な美しさを追求する場合であって、趣味でやる範囲、特に私のやる範囲では高級すぎることまでできるのであるから、私には過ぎたる機能まで備えているのである。ただし、これは“カスタマイズ”の利点、妥協点を見つけて削れば済む事である。

  それに、筐体は拡張性が若干犠牲になるが、スリムモデルも存在するので、私には拒否する理由がなくなり、タワーモデル導入に向かって具体的に進めることを決断した。 具体的にとは、メーカーの直販コーナーを開け、ウエブ上で好みの仕様で見積書を作ることである。

  先ず富士通でやって見て、次にマウスコンピューターでやってみた所、マウスが2~3万円安くなったので、マウスの会員登録をして、仕様を確定し入力したがなぜか合計が出ない。やり直しをしても出ない、色々やってると瞬間的に出てすぐに消えてしまった。 (写真はスリムタイプの例:富士通)

 

 また、ふと見ると、マウスはOfficeソフトが一年限りであり、以後毎年更新料を払わねばならない事に、奇跡的に発注寸前で気が付いたのであった。ちなみに、富士通を調べると、このソフト代2万円近くが含まれた金額であり、価格は長期的には両社とも変わり映えがしないことが判明した。

   以前、Officeは極めてお節介なシステムと嫌って、無料の極似のソフト似を使ってみたが、文字化けするなど互換性がないことを知っているので、ここで変えるのは”遅すぎた春”と解釈した。 こうなれば、長年使ってきた富士通と今ここでお別れするほどの事もなくなり、少なくとも本体は富士通に決めたのであった。

  

 この後は、新パソコン導入後の状況を書こうと思っているので、少し間が空くかも知れない。

                            << つづく >>


1527 パソコンライフ(2)

2016-10-09 08:00:00 | その他

 会社では多くの場面でパソコンが生きて、しだいに無くてはならないものになって来たし、個人でも買えるものが発売され始めた。 我が家にパソコンを置いたのは、50才代だったと記憶する。当時の機種名は忘れてしまったが、親会社からの指示で会社は全て富士通を使ったその流れで、家でも富士通のみを使用し、現在も続いている。

  私がホームページやブログを始めたのは2008年3月であったが、その頃デスクトップのWindows Vistaを使っていたが、ホームページが複雑になり、特に「花写真館」をやりだしてからは、プログラム編集が複雑化してきたので、効率を上げるために二画面(デュアルモニター)が必要となって来たが、このVistaはデスクトップであるがために、モニターを増やすことが出来ない(端子がない)のである。

  それに、Windows 7や8が出てきて、本機は既に時代遅れ(?)の感もあり、故障時の予備機の積りもあって、ノートパソコンを購入し、I-Oのモニターをも買い入れて、デュアルモニター(マルチモニター)として使い始めた。

  下の写真、左の画面がデスクトップのVista、中央の小さいのが主機としているノートパソコン(15.6型)、右が拡張モニター(23型、ノートPCと一体画面として使用)。

 この状態で2年ほど使ってきた。 この間、Vista もノートPCもWindows10にグレードアップしたが余りにも使い難いので、ノートPCを8に戻し、8.1にグレードアップして使っていたら、Vistaの載っていたデスクトップが使えなくなったので、廃却とした。 その後、ノートPCはWindows10への切り替えが騒々しくなってきたので、止む無く10にグレードアップ。

  そうこうしている間に、ノートPCのキーボードにゴミでも入ったのか、特定のきーが反応しなくなったので、キーボードのみ市販の安いのを買ってきて使用し始めたのを機会に、カーソルの行方不明になるのを防ぐために、二つの画面の中心を合わせたらよいのでは?と考え、その寸法になる箱を作ってみた。

 これで使い勝手は多少改善されたが、よく調べてみると、画面の中央ではなく、上辺を一直線上にすれば、カーソルの行方不明は減るようであるが、現状で何とか我慢。 二つの画面全体を使って、幾つかの画面から“コピペ”などをスムースやるにはもっと改善が必要と感じるようになった。また、安物のキーボード(暫定設置)なるが故に、早くも文字が薄くなり始めたので、買い替えの検討も必要になってきた。

 下の写真は、「花写真鑑」の基本となるプログラムの作成時の画面の例。 ノートPCの左画面は使う写真のリスト(エクスプローラー)、その右は参考にしたり引用するウエブ情報、デュアルモニターの左画面は基本台帳(Excel)、その右が作成中の全体の基本となるHTMLでのプログラムである(一つの種類の花の記事)。

 

 余命の少ない私には、最後になる新しいパソコンの購入を念頭に、電器量販店を見て回った結果、現在市販されている、たとえ高級機であってもデュアルモニターとすることが出来ないことを確認したので、本体は必然的にタワーモデルとなってしまう。 こうすれば、現状の最高機能にしても、価格は抑えられることも確認した。

  そこで、私の欲する仕様をまとめてみた。

①    OS    Windows10 Home64ビット

②    CPU   IntelCore  i7-6700   現状の最高品

③    メモリ  8Gb

④    ストレージ 500Gb以上(Cドライブ)

⑤    HDD    2Tb以上 (Dドライブ)

⑥    ドライブ  マルチドライブ

⑦    ディスプレー 24型以上×2

⑧    テレビ    無しもよしとする

⑨    グラフィック CPU内臓

⑩    無線通信  付き(ワイヤレス)

⑪    キーボード ワイヤレス

⑫    Office   Personal Premium 

  メーカーは富士通を第一とするが、もう束縛も緩んだと解釈し、国内メーカーならどこでもよしとする。 また、大切なディスプレーは画質優先とすると、 EIZOになるが価格が高すぎるので、IIYAMA(Mous)が最も有力かも知れない。

 

 この続きは次回としたい。

                            << つづく >> 

 

 

 


1526 パソコンライフ(1)

2016-10-08 08:00:00 | その他

 かなり以前から、私のパソコンとの関わりについて書いて見たいと思っていたが、今回第何代目になるか知れないが、私の人生の最後の購入になりそうな、パソコンを更新する決断をしたので急に思い立ち書き始めた。

  前にも書いた気がするが、私が計算機(コンピューター)なるものに最初に関わったのは、会社が初めて計算機(大型)を導入することとなり、事務に係る従業員に対して、計算機とはどんなものかと、目の不自由な人に、「象とは・・・」と教える如くの導入教育を開始したことに端を発する。

  当時私は、産業用小中型モーターを専門に作る三重工場の現場係員に配属され、ポットモーターという、人絹糸を巻き取る高速回転の特殊なモーターを一貫して作る工場に居たので、設備治工具から生産管理、現場管理と結構幅広く担当していたので、その講習を受けた。これは昭和30年代後半、私が20才代の前半だったと記憶する。

  講習の中身は全く記憶してないが、言語は「コボル」であったことは記憶にあるが、なにやら、面倒くさいが、便利なものが導入されそうだぐらいの認識しかなかった。 最初はデーター入力はパンチカードが多かったので、女子事務員は結構関係していたが、私の仕事に影響が出たのは随分と後の事であった。

  前にも書いたが、私は39才で関連会社に出向となり、山口県徳山市(現周南市)に会社が納入した電気機械のメンテナンスを担当する事業所を作るために、四国中国九州出身の従業員を十数名連れて行き、メンテナンスサービス業を開始したのであった。事務所は徳山市と福岡市に作った。

  私は二つの小さい事業所の管理、徳山事業所の人事、経理、や営業までもやらねばならず、煩雑な事務に忙殺されていた時に、NECがパーソナルコンピューターなるものを発売したことを知り、何とか導入したいと思ったが、当時はドットプリンター付きで一式が百万円もしたので、買う事は許されなかった。

  あるとき、従業員の一人の親が持つ土地が、中国自動車道の敷設に引っ掛かり、大金持ちになったのでと、パソコン買ってもらったらしい。しかし、当人は全く使う意思はないというので、会社に貸してくれないかと打診し、了解されて、初のご対面となったのは、昭和40年代の前半であった。

 パソコンはあの名だたるNECのPC-8000というやつである。 私のいた会社は富士通の親会社であった時期もあり、工場などの大型計算機は富士通製であったが、パソコンはまだ作っていなかった。 この時期はNECの独壇場でもあったと思う。

  当時はプログラムを自分で作るしかないのであるが、作り方がわからないので、生産管理の実プログラムを動かして、この記号(コマンド)はこういう動作をするのだと、一つずつ知識を得て、最初は売上の集計から始め、本社に提出する経理決算書つくりまでを随分苦労しながらも、自己流で作ったのであった。

  最初のプログラミングはN-Basicという言語で作っていたが、その後Epoaceと言うが、コマンドが漢字で例えば「読込」とか「登録」などとするプログラムを作るシステムが売り出され、パソコンの活用範囲が一段と大きくなってきて、無くてはならないものになりつつあった。

  このEpoaseで作ったプログラムは数知れないが、このシステムは素人でも簡単に入り込めるし、結構いろんなことが出来る簡便さはあったが、計算速度が極めて遅く、例えば今日一日の全データーは入力のみ行い、女子事務員が帰り際に集計プログラムを起動し、夜間に自動計算させ、朝出勤した事務員が印刷の開始をしたものであった。

  この辺りまでは、会社の仕事が私の全てであったから、朝6時から、夜11時までは、自分の時間は全くなかった。 また、個人でパソコンを持ったのは50才代に入ってからであり、それも、会社の仕事をフロッピーに落として家に持ち帰り、やることが主で買ったものであった。 当時はワープロも家に置いていた。

  ・・・であるからして、自宅で本格的に仕事以外のことをやり始めたのは、65才で退職した後からであった。家にいる日はパソコンを触らない日は無いほどに、私の大切な伴侶とも言える存在なのである。もう持てる寿命の余りは多くないというのに、まだパソコン買うのかと言われかねないが、手離せないのである。

 

 長くなってしまったので、ここで一括りとして、続きは後述とする。

 

                              << つづく >> 


1525 食事会(4)

2016-10-02 08:00:00 | その他

  高校時代の同級生仲良し四人組で始めた、食事会の第四回は、2016年9月30日(金)に実行した。 この日は久しぶりに空はすっきりと映え初秋のすがすがしい朝、10時に菰野町内にある喫茶店が集合場所であった。 

 

 コーヒーで30分ほどおしゃべりののち、何時もの通りI君のクラウンに乗せてもらい、食事場所の松阪市に向かった。 本日のメインテーマは、美味いことで評判の高かった老舗のうなぎ屋が、安売り競争に挑戦しているらしいので、それを確認することであった。

 下の写真、ここは国道23号線添いであるが、私は四日市で仕事中、わざわざここ松阪市まで食べに来たこともあり、また、伊勢への道中に立ち寄るなど、もう40年位前からではあるが、過去少なくとも3回は食べに来ており、美味い事は実証済であった。

 最近になり、この店から1KMほど北に、新しくうなぎ屋が開業したので、その対抗処置として、例えば、うな丼が¥1450、うな重が¥1550などと、今時考えられない価格で老舗が営業と聞いては、遠くても出かける価値は私にはあったのである。

 少し前に、うなぎが食べたくて、大手スーパーで「¥1700のうなぎの蒲焼」 を買ったが、ぐにゃぐにゃで全く美味しくなく、以後絶対買うまいと誓ったものであったから、この価格は半信半疑、しかし、一方で、ここは名だたる老舗、長らくの愛好者を裏切るまいとの願望にも似た思いがあった。

 

 そこで敢えて安い「うな丼の上(¥1450)」を注文した。 それが下記である。 吸い物とたくあん2切れの極めてシンプルなもの。 果たして肝心のウナギは二段に入ってるか否かが問題である。

 二段にはいっていれば、うなぎの味は諦めよう。 もし一段しか入ってなければ、味は期待できると考えていたから、恐る恐るご飯をかき分けてみると、二段目は見つからなく、ほっとした思いで口に運んだのであった。

  食べた結果は、うまい!の一言、決して安物のうなぎを使ってはいないとわかった。 ほっとした思いできれいに平らげることが出来たし、澄まし汁も私の味好みにぴったりで大変に美味かった。

 うなぎ一段では、若い人には物足りないかもしれないが、胃袋が小さくなった私には、適量であり、物足りなさは全くなかった。 店はさほど大きくはないが、テーブル席は満席であり、座敷には少し空席がある程度であった。 

 

店の外の花を撮らせていただいた。

「サンパチェンス」

 

「ヒメビシ」

 取り敢えず「ヒメビシ」としたが、「ヒシ」や「オニビシ」の可能性もあり、根を見ないと断定できない。

 

「ウオーターポピー」or「ミズヒキゲシ」or「キバナトチカガミ」

 私の「花写真鑑」にない花(”新種”という)であることが判明したが、登録は追って実施する。

 

  今朝集合したのと同じ系列の喫茶店(下の写真)に入り、30分ほどおしゃべりを楽しみ解散となった。

 

 

  鈴鹿市の山間に「桃林寺」という寺があり、 ここの住職は私たちと同じ四日市工業高校電気科で一緒に学んだ友なのである。 そして、この寺では¥3800と少々高いが、見事な精進料理を食べさせることでも、知られていた。

 それで、我々の食事会で懐かしい友に合おうと計画した。 ネットで検索し市の観光課の案内を見て、寺に電話を入れたところ、驚いたことに同級生だった住職は他界し、食事はやっていないと、奥様の御言葉であった。

 同級生の死は既に十指に余るほどではあるが、また一人この世を去ったかと思うと、自分の順番がまたひとつ近づいた気がしてきたのであった。 

 高明さんのご冥福をお祈りいたします。   合掌!。

 


1519 昼食会(3)

2016-08-21 08:00:00 | その他

  昭和31年に四日市工業高校電気科を卒業した仲良し4人で、最近になり毎月「食事会」を行っている。 現役時代は仕事があり、年一回も会うことはなかったが、それぞれが仕事を終えてからは、会う機会がだんだんと増えてきて、週に一度は何らかの形で会っているが、これを更に密度をあげようと、幹事交代制で昼食会を行っている。

   第一回は2016年5月19日に「木曽路四日市店」で、第二回は6月30日に「朝明寿司」で行い、今回は桑名市の「はまぐりプラザ」で行うとして、全員が11時30分には集合した。 ここら辺りは、2013年5月26日に”弥次喜多東海道歴史散歩”と称して、見て歩いているので、3年ぶりの訪問である。

   写真は「赤須賀漁港」から見た上流方向。川向うには「なばなの里」が見える。 川は手前が揖斐川、その先が長良川、見えないがその先には木曽川がある。 この木曽三川の合流地点の直前の地点に赤須賀漁港は存在する。

 

下流方向(伊勢湾)

 

 私の大好物のしぐれ佃煮の製造元が「蛤プラザ」の正面にあり。 

  

 そして肝心の「はまぐりプラザ」であるが、来てみると人影がない、いつもは満員であり、かなり待たされるので、早く集合したが、それにしても人が少なく、駐車場もがら空き状態。 それでもまだ諦めず、周りの写真を撮って中に入ってみると、何と“盆休みの最終日”であったのだ。 漁師が海に出ないからだそうだ。 

 

 今の“はまぐり”は味が落ちているからと、自らを諦めさせ、来年の課題としておき、近くにある歌行燈の本店で食事をすることにした。

  

  友のS君は、私の「花写真鑑」を見てそこに無い花(以下“新種”という)を私が求めていることを知っているので、彼の野菜畑に“新種”があるから、ついでに見に行かないかとの誘いを受けていたのであった。 “新種”ならば何を置いてでも行くと、返事をしていたのであった。

  その花は「ニラ」らしいのであった。 事前に彼が送ってくれた写真で見ると、「花写真鑑」に記載ある「イトラッキョウ」と比べてみると、その違いを見付けることは出来なかった。 そこで、改めて調べてみると、「ニラ」と「ハナニラ」の違いは明白であるが、「イトラッキョウ」と「ヤマラッキョウ」との違いも怪しくなってきた。

  同行のもう一人の友I君は植物に詳しいので、彼の“見立て“が大いに参考になると考え、鑑定を依頼したのであった。 その結果「ニラ」であるこが確からしいので新規登録とした。 依って、「花写真鑑」上で「イトラッキョウ」としているものが、間違いないのか、「ニラ」ではなかったのかを調べねばならなくなった。 なお、当面の処置としては、「イトラッキョウ」を閉鎖した。

   韮)」  新種登録 1337

 

 「イチジク」の実は「花写真鑑」に載せているが、熟したのがなかったので追加とした。

 

 この後はランプという喫茶店に場所を移し、しばしおしゃべりに時間の経つのを忘れたのであった。 こうして、全員の健康を確かめ合うことが出来たが、このように全員が揃うのは、この先そう長くは望めないと思うと、貴重な時間であったと思うのである。 また、今日はまことに楽しい半日を過ごしたので、今夜はぐっすり眠れそうだ。 友よありがとう!。 

 


1442 ブログの不調と引越しの検討

2016-03-04 08:00:00 | その他

 書いたブログが消えるなど、不調が続いているので、現状とその対策を考えてみた。

 

1。ブログの変遷

ブログを開始したのは、2008年の3月(Jugem)であったが、一年八か月使用し538通投稿したが、読者から動きが遅いと苦情がでてきた。 私のブログにおける写真の大きさは500ピクセルにしているが、枚数が多いので、限界に近付いたらしく、止む無く最初の引っ越しとした。

  次にLivedoorにて一年余、242通投稿したが不調により早々退散、次いでFC2を使用したが、ここでも同様の不調が発生し、3か月余り、僅か79通の投稿で引っ越しをした。 ここでの致命傷となったのは、リンクの不調が主たる原因であった。

  私のブログは発行し、コメント戴いたら終わりではなく、私が生きてる間は、再々見ることを前提にしているので、縦横にリンクを張っている。 しかるに、この2社のは、ブログのアドレスがいつしか変化してしまうので、後から読むことが、できないのである。

  そして、2012年6月から現行のGooブログにしてやがて4年、現在までに582通のブログを投稿してきた。ここは私の理想からすれば、85/100点程度ながら、今まで使ってきたところに比べれば、もっとも“お気に入り“のブログであった。

 2. ブログの不調

 一か月ほど前から、ブログの管理画面を出そうとすると、何の前触れもなく突然「サインイン」の画面が最初に出るようになった。 更には、IDの一文字を入力すると、パスワードも出るのにクリックしないとログインできない。 ログイン状態を保持にチェック入れても変わらない。

  この状態は、セキュリティーが高くなったとは言えないが、無料なのだから我慢しなければと使っていたが、二週間ほど前と一昨日と今日の計3回、折角時間をかけて作成した原稿を投稿した瞬間、上記“サインイン”画面が出て、原稿が消えてしまうのである。

  今までは、これに近い状態になると、“自動保存されたデータ存在します、反映しますか?”と聞いてくる画面があり、ここをクリックすると、復元できて助かったこともあったが、今回の場合はそれもできない。 保存されていないのである。

 3. 苦情の申し立て

 このような状態をメールで送ったが、どこのどんな人かわからないが(責任無い?)メールが来て、“それは時々あるので、メモ帳などに書いてから“コピペ”で書き込めということで、問題は何ら解決しそうにない状況。 

 4. 対応策

 最近はパソコン自体、不調が再々発生しているので、驚く状態ではないが、安定していたものが一挙に崩れた気持ちで、対応に苦慮しているのが実情である。それにみしかすると私の現状は許容容量の限界に近付き、疎まれはじめたのかも知れない。

 こんな状態ならと、引っ越し(ブログ業者を変える)は難しいことではないが、アドレスの変更は過去も何度もあり、それほど多くはないが読者にまたもや迷惑をかけたくないし、ブログのみの読者とは切れてしまう可能性があるからである。

  また、変えるにしても、私の使い方は少し異なっており、すべてをカバーできる無料ブログはなかなか見つからないからなのだ。 ホームページの中に自作のブログをHTMLで作り、その結果料金が上がっても止む無しとするも頭にはあり。

5. 私の特異(?)な要求

 ① ブログのアドレスの形が一定していて、末尾に発行日付が入る(事前予測可能) 

 ② 写真を10~30枚を一気に転送可能

 ③ 写真の番号(ファイル名)が何らかの形で記入される(残る)。

 ④ 写真の縦横変換が可能

 ⑤ 転送写真がサムネイル版でサイドバーに表示される

 ⑥ 写真の中央表示や文字の回り込みができる

 ⑦ HTMLでの書き込みができる

・・・などであり、大した要求ではないと思うが、これ全てをできるところには未だめぐり合ってないのである。

 6. 今後の方向

 今思案中であり、最悪はブログアドレスが変更になるやも知れないことを承知いただきたいと思います。 なお、「ホームページの表紙」は変わらないし、そこからブログにもゆけますので、こちらを主に運用いただくとアドレス変更も反映されます。

 

                                                                                以上


1376 鮎ざんまい

2015-06-26 08:00:00 | その他

  今日(2015.06.24(水))は高校時代の仲良し五人が全員そろって、関市にある「鮎川」と言う、鮎料理の店にやってきました。

 前回(4月24日)は珍しく2人が欠席しましたが、これからは欠けるものが出る年代であるから、寄れる時にはやろうと、下呂温泉に泊りがけとしましたが、今回は全員参加を目標にしたので日帰りとして、鮎三昧を目指したのでありました。

  午前9時30分に我が家を出発し、小牧で友を乗せ、東海環状道の「関広美IC」を出て、R418からR266を北上し、長良川の支流「板取川」に沿って少し登った所に着きました。 今日訪ねる店は、この川沿いにあります。(下は上流側)

 板取川の下流です。

 店舗の向こう(南側)に川があります。

  

 平日の12時にもう少しの時間帯でしたが、第一駐車場は来場者でいっぱいでした。

 

 数年振りとなった、5人の揃踏みです。 日帰りだから運転手は残酷にもビールに有り付けないのでありました。

 

料理は写真左上から、①鮎の刺身、②フライ、手前の左は、③漬けたダイコン焚き、④甘露煮です。この後、⑤鮎の塩焼、⑥味噌焼き、⑦酢しょう油焼き、そして留めは、⑧さっぱりとした鮎のおかゆで、鮎を5匹余り、内2匹は頭まで胃袋に収めました。。

 

庭には、美しく紫陽花などが花を添えていました。

 

「キンシバイ」

 

この後は、若干の観光をしましたが、それは後述とします。

 


1365 仏教と仏像の話(聴講)

2015-05-19 08:00:00 | その他

 2015.05.16(土)、菰野町よもやま歴史サークル(町教育委員会)主催で、「元気が出る仏教と仏像の話」として講話があったので、聴講しました。  

 

開場となる「町民センター」

 

ざっと見たところ、100名位の人が集まりました。

 

司会者とサークル会長ののあいさつがあり開始です。

 

町長もあいさつに。

 

「菰野町の魅力的な仏像の紹介」として、菰野町学芸員により、禅林寺の大日如来像、明福寺の円空作両面仏、大日堂の大日如来像、正眼寺の薬師如来坐像、両脇侍像などについての紹介がありました。

 

「元気が出る仏教と仏像の話」の第一部として、広瀬郁実さんの、体験を中心に仏教と仏像の分かりやすい話がありました。 「仏像ガール」と称して、公演、執筆、メディアなどを通じて仏像の魅力を伝えているとか。 現在は、ブッダやアーユルヴェーダーから学んだ”元気に生きるヒント”を伝えているそうです。(約50分)

父を亡くした後の悲しみの中で、三十三間堂の仏像と出会って感動し、仏像に強い関心を持った。この仏像は仏様ではない、人間が作ったものだ、それを長い間人々は守ってきた。そして、これに幾多の人びとが手を合わせてきた。そのことを知って、深い感銘を得たとおっしゃる。

 

その後は、帝塚山大学教授の西山厚さんの「仏教と仏像の話」です。(約50分)

お釈迦さまの生誕か修行と悟りを売るまでのわかりやす言葉で旦付に離された。 印象に残った言葉を思い出してみると・・・断片的でし、100%正確な表現ではないかもしれないが・・・。

・お釈迦様が生まれて7日で母が死んだ。私が生まれたから、母は死んだのだ。釈迦のその悲しみから仏教が生まれた。

・今幸せでも、いつかは皆「老、病、死」を迎える。 今をきちんと生きることが大切。

・日本の仏教は”安らぎ”を求めるもので、悟りを得るものではない。

・お釈迦様はすばらしい人だと聞いている。だから是非会いたいと人は思う。その思いに応えるために、仏像が作られた。

 

最後に、アンケート用紙に書かれた、聴講者の質問にふたりが応えてくれた。

 

13時ジャストに開始され、16時30分過ぎに閉会となった。

この先、「よもやま歴史教室2015」としては、月一回程度歴史に関する講座が開かれる。 次回は6/20は「秀吉政権の朝鮮侵略と沙也可」となっている。

 

 

 


1308 奈良を行く(1)月ヶ瀬梅渓

2015-03-16 08:00:00 | その他

  今日は2015.03.08(日)、”たまの日曜サンデーというのに”家内の通院の日、朝8時に家を出たのと、たまたま診療が早く終わったので、ならばとまことに急な思い付き、どこかに行こうと相成った次第。

 先日、京都に行ったばかり、行くなら奈良、梅なら「月ヶ瀬」とそれだけがまずピン!と来たので、深く考えもしないでやってきたのが、間違いであった!。 聞いてみるとここは、毎年通常1ヶ月近く遅いという。

来てみると、梅の姿はほとんどなし!。 

 

資料館に入って見るが、ここも人はまばら!。

 

 ここは我が家からそう遠くなく、梅ではかなり有名であるが、今まで出掛けにくかった。それは、ここは駐車場が遠く歩かねばならないからと知っていたからであるが、今日のごとく、早めに来れば人も少なかろうと考えたのであった。

 しかし、人が少ないことは、梅が咲いてないこととは、気が付かなかったのであった!。 

 出た以上は、なにがしかの梅をと次に浮かぶ奈良市内にある「菅原天満宮」 に向かった。

                                  < 続く > 

  

 


1307 京都散策(8)八つ橋庵と刺繍館

2015-03-14 08:00:00 | その他

  近隣の「梅の名所」を一覧表にした所、その多くのところに私は訪れていないことが判明したので、それを埋めるべく、京都にやって来ましたが、少し時期が早すぎたようで、ほんの少ししか梅の花に巡り合うことは叶いませんでした。

  そんなことも有ろうかと、梅とは全く関係ないですが、予備の行き先として考えていた所に今日の最後の訪問地としてやってきました。 (撮影 2015.03.05(木))

 

「八つ橋庵とししゅう館」

来て見て思い出しましたが、日帰り観光バスのツアーで立ち寄った場所でありました。

 

 

2Fは見事な刺繍がかざられていた。

大変美しく感動した。

 

 

下のは長さが4mほどもあり、立体的にもなっている巨大な刺繍でした。

 

「生八つ橋」を自分へのみやげとして買って帰途に就きました。

 以上で「梅を狙った京都散策シリーズ」を完結といたします。

                           < 完 >       

 


1298 喜寿の祝いと祈祷

2015-03-05 08:00:00 | その他

私が卒業した小学校の同年会は毎年なにがしかの会合を行っていますが、今回は77歳を迎えたので、喜寿の祝いと祈祷をしていただき、健康で楽しい日々が来ることを祈りました。 それで、当ブログはその記録と、今までの歩みを少しまとめてみました。 

私は昭和19年に小学校に入りましたが、その年の夏休みには第一回目の転居が始まり、小学6年間で実に6回もの転居を余儀なくされるという”住所不定”、”流浪”(?)の小児期を過ごしました。最も短かったのは、4年生の3学期のみの3ヶ月ということもありました。

原因は父が「駐在巡査」であったからとは言うものの、余程間に合わなく次々と変えさせられたのかもしれないと、引っ越しで友達もほとんど出来ず子どもの心には、大きな傷跡が残ったと感じているところです。 転校生として”いじめ”に似たことも・・・。

以前は三重県北部の山村をうろうろしていましたが、小学5年の夏休みに初めて、四日市市羽津町という沿岸部に出てきました。 今まで小さな川やため池でやってた魚釣りが海で出来ると喜んだ一面もありました。しかし所詮は田舎者、不安な面もありました。

昭和23年当時、羽津地区の小学生は隣の海蔵小学校に併合させられており、大変に遠い道のりを歩かされたものでした。お婆さんが編んでくれた新しい”わら草履”が夕方家に帰るころには、踵の部分はすり減るし、花緒が切れたりして、裸足同然で帰ったものです。

小学6年の春からは、羽津地区の小学校に通うことになり、安堵したものでしたが、私にとっては一年間のみお世話になったのが、下の写真の「羽津小学校」です。 当時を偲ぶものは、校門と二宮金次郎の像のみでした。

門の脇にあった、何も入っていない「奉安殿」がありましたが、今はその跡もありません。金次郎さんも奉安殿と同じ方向を向いていましたが、今は入ってくる児童を迎えるように、向きが変わったように思います。石の台は昭和11年建造と彫ってありましたがね?。

羽津小学校の校門を出て、ほんの1~2分学校の帰り道に遊んだこともある、「志氏神社(しでじんじゃ)」があります。 今回の祈祷はこの神殿で受け、その「参集殿」で懇親会を行うことになっています。

前方後円墳があり、市の文化財となっています。

私は前に書いたように、ここには小学5年の夏以降卒業まででしたが、そのあとの中学校は隣町の海蔵地区と合わせた「山手中学校」を卒業したので、同級生とは私の生涯でもっとも長い”5年近く”の付き合いのあった人達なので、私にはここが第一の故郷なのです。

羽津小学校を昭和25年卒業生は90名いましたが、、内30名はもうこの世にはいません。 その内の33名が今日ここに集まり、祈祷を受けました。

男子女子各一命が代表で玉串を奉納しました。

そのあと、参集殿にて懇親会が始まりました。 中には卒業以来つまり、六十何年ぶりかで会えた人もあり、楽しいひと時でありました。 老齢化により体の不自由な人もいるので、一泊の旅行スタイルでは参加できなきても、このような形であると参加者が増えるのでありました。

午前10時に集まり、幼馴染との会話が弾み、時の経つのを全く気にせずしゃべりまくり、やっと午後4時に散会となりました。 生きていてよかったと思える、ほんのひと時でした。今夜はぐっすり眠れそうだ!。   (2015.02.28(土) 撮影) 

 

 


1293 梅の名所(東海近畿)

2015-01-29 08:00:00 | その他

ネタ切れでこのブログはほとんどストップに近い状態なので、何とかネタを見つけねばと思って居たところ、先日梅の花がほころび始めたとTVで紹介がありましたので、梅をネタにと思い、どこに行くかを考えて見ました。

一度行ってる所は避けたいし、折角行くのだから、走行距離や走行時間を短縮して、効率よく回りたいし、梅がなくとも、今まで訪れたことのないお寺や神社なども含めたいので、まずは、地域ごとに現状をまとめることにしました。

私の知る範囲での梅の名所だけではなく、世の中の多くの人が名所としているところを抽出したいがために、インターネット上に出ている「観梅の名所」を6~9か所集め、その中で、掲載している名所の多いのを5~7サイト選びました。

その5~7サイトに掲載があれば1ポイント付与して、それを各名所ごとに集計しました。名所ごとのポイント数が多いほど、名所としての評価が高いとしたのです。 これは以前、「京都・紅葉の名所」でやったのと同じ方法です。

更には、この表に過去に訪れたか否かを分かるようにと、「梅を目的に訪問」と「梅以外を見に訪問」の欄を設けてその年月と、内容を記したブログにリンクさせて、ワンクリックでそのブログが見えるようにしました。

 

それがこの表です。   梅花の名所(東海、近畿)

 

見て頂ければ分かるように、まずは、梅の名所とされている場所に、私はほとんど訪れていないことが分かりました。また、梅の名所でありながら、梅以外でも未だ訪れていない所が多々あることが判明し、これからのネタ作りに役立てたいと思います。

なお、この表は”私中心”つまり、三重県から遠くない地域のみを対象にしていますので、例えば愛知県の方には片手落ちではありますが、梅を見にどこに行くかの、参考資料になればと考えて、ここに掲載しました。

私自身は、この表を作る元になった、Excelにて地図との連携も書き込むなど、詳細な表を作成していますので、”取材”行動計画はその表で行います。 当然のことながら、結果はブログに載せると同時に上記表にも書き込みます。

さて、今年の梅はどんなに美しいでしょうか!。 

 

 

 


1291 朝日と初詣

2015-01-15 08:00:00 | その他

 

 

 「朝日」

 家のベランダから撮りました。

 

 「初詣」

2015.01.05 いつもの近くの「広幡神社」にお参りしました。

 参拝者は一人も見ませんでした。

  

 

今年は当ブログのスタートがずいぶん遅くなりましたが、今年もよろしくお願いいたします。

 


1247 皆既月食

2014-10-10 08:00:00 | その他

 2014.10.08(水)、皆既月食が見られるというので、一番重い三脚を二階のベランダに置いてカメラを設置した。方角はは東から南東方向というから、ベランダは丁度都合よし、若干寒さを感じるので、一枚着込んで、椅子に座り月が欠けるのを待つ。

月が上り始めた。電線や屋根が邪魔をするが、それよりも何よりも、雲が気にかかる。この時点では問題なかったが・・・ 

 雲は南から北方向に形をかえながら動く。下の写真のように切れ目が続いてくれるのを祈るばかり。

 時にはこんな事態も。

 

天体ショー(月食)の開始時間は18時15分、皆既月食の始まりは19時25分、終わりは20時25分、欠け終りは21時35分と言う。

 

下の写真は左から右へ、略5分間隔で撮ったものであり、空の明るさに応じて露出条件を変えたが、うまく整合がとれず、へたくそ写真になったことを、お許し願いたい。

最も左の写真撮影時刻は、カメラの時計では18時13分であった。

  下左の写真は18時28分に撮っている。

  下左の写真は18時45分に撮っている。

 

 左の写真は18時05分に、次は19時10分、19時12分と撮ったが、この後は雲がかかり撮ることができず、最後の写真はすっぽりと収まった状態を19時30分に撮っている。

 

 その後は薄い雲が切れ目なくかかり、まったく見えなくなってしまった。

 

 そして、20時55分からは雨が降り出して、その後は月が顔を出すことはなかった。

このために、天体ショーはかろうじて半分しか見ることができなかったのは、まことに残念であった、次回は来年の4月4日というから、天気良ければ再度挑戦したいと思っている。

 


1115 喜寿の祝い

2014-06-25 08:00:00 | その他

会社をリタイヤ後は、机に座りパソコンを使う事が、年をとるとともに多くなって来た。特にホームページの更新などは参考本と首っ引きとなることが多く、終日座り切りとなる日もあり、目などが疲れていつしか座ったまま眠りこむこともしばしばであった。

二十数年前に、今の家を新築した時に、多くの家具を買い替えたが、それと同時に「椅子」も変えた。それは、私が余暇を過ごすことが多くなることを予想して、大奮発をして”カリモク”の木製、布張りのオフィス家具であったが、リクライニングも出来るもので、23万円も注ぎ込んだものであった。

体調が悪くなってからは、一層ここに座る時間が長くなり、また、その多くはリクライニングにして、写真を眺めるか、居眠る事が多くなってきた。その結果、背もたれの木部にクラックが入り、数か月前には居眠り中に心棒(φ15鉄)が折れて、転倒したが、大事には至らなかった。

そのために、買い替えを考えていた。ホームセンターに行き、オフィスコーナーには、事務用の椅子が1~1.3万円で売っているが、リクライニング機構がお粗末であり、居間用のコーナーでは、2万円近くで、リクライニングにしてゆったりと、TV見るには好適だが、座高が低く、パソコンをするには、机の脚を切るか、椅子に座布団を重ねなければならない。

そうこうしているうちに、私が入院することとなり、息子たちが見舞いに来てくれた上に、「喜寿の祝いのプレゼント」として、長男が妹の分も負担して、”大枚”をくれたのであった。これをどう使うか、妻との旅行も考えたが、今の体調ではそれは望むべくもないので、使途はしだいにイスに絞られてきた。

二週間ほど前に、桑名の大型ホームセンターに行き調べたが、大略前記のような状況で、やはり私の望む物は家具専門店かなと考え四日市へと員弁街道を東進していたら、中規模の家具店があったので、まずは”冷やかし”半分で入ってみたのであった。そして、最初に見つけたものにあっさり決めて、注文し、それが、一昨日(6/23)到着したのである。

この椅子の骨組はアルミダイキャスト製で手摺などはプラスチックで、座面、背面は合成樹脂系繊維のメッシュ様式であり、価格はかなり高いがプレゼント金額の範囲内であった。この椅子の構造は、上から・・・

① ヘッドレスト:背面(背もたれ)との相対距離や方向が変えられる。

② 背もたれ:上下に高さを変えられる。座高の高い私は最上段が適当であった。

③ ランバ-サポート:車のイスに見られる、腰を押すやつである。

④ リクライニング機構:上記三点が連動して背で押して倒すことが可能であり、その固さも変えられる。

⑤ 座面:後部が上下に50mm位高さが変えられ、眺める時は下に、パソコンやるときは水平にする。

⑥ アームレスト:高さや出入りが変えられるが、余りメリットはなく、高級感が少し欠ける。

⑦ オットマン:足乗せ台であるが、短足の私でも、もう少し先に延ばせるといいのだが?。

⑧ キャスター:もちろん5個ついており、当たり前だがスムースに動く。

・・・と極めて多機能製品だ。・・・ということは欠陥も多くなりがちであり、長寿命は考えられないが、持ち主の寿命とどっこいどっこいなら、よしとしようという事にした。 ちょっと高価であり勿体ない気もするが、これにお世話になる時間が更に多くなり、この上で居眠りをし、よき夢を見て、そのままあの世に行くのなら、最高の人生になると思ったりしている。

息子たちよありがとう!。

 

お蔭で、パソコンライフが一段と快適になった!。

 

 追記

今回の私の入院で、こんな素晴らしいプレゼントにもあやかり、また、その病院での妻の緊急入院などもあって、その間に、親子と兄妹の絆が少し深まったような気もして、これこそ”怪我(手術)の功名”と思ったりもしている今日この頃である。