マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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樫尾十二社神社の節分の豆御供

2017年11月29日 09時10分22秒 | 吉野町へ
川上村高原に住むⅠ家の節分を拝見して下ってきた県道169号線。

いつも通る度に気にかけていた神社がある。

吉野町の樫尾(かしお)の地に鎮座する十二社神社である。

車窓に人影が写った。

ガラスウインドウではなく流し目した視線に入った人物は高齢の婦人である。

思わず停車した倉庫前。

カメラをもってその場から駆け付けたら、本社殿に登る急な階段下にじっとしていた。

たぶんにお参りされているのだろう。

その姿に思わずシャッターを押してしまう。

拝礼されて頭を下げておられた婦人の後方。

道路際に建つ木造の鳥居から本社殿を眺める位置に参拝する高齢者を配置してシャッターを押す。

ここからは境内内。

砂利を敷いている境内を歩くには音が出る。

驚かしてはなるまいと、近づくこともしなかった。



時間は短時間と思うが、佇んで拝見していた私の感覚では長時間だった。

立ったままずっと拝んでいた婦人はもう一度頭を下げてお参りを済まされた。

ここでお声をかける。

婦人は昭和6年生まれのSさん。

節分の日には数え年に一つ足した煎り豆を供えて、一巻の般若心経を唱えていたという。

事後承諾になった後ろ姿のお参りに感動したことを伝えたらはにかんでおられた。

毎年、こうしてお参りにくるのは厄祓い。

畑でこけたこともあったのでお参りに来たという。

この日は神事もない節分であるが、村人めいめいが夕刻前に参拝しているという。



そういえば、階段に参られた人が供えていったオヒネリ包みの豆がある。

婦人以外に二人の参拝があった。

時間帯は午後5時前。

夕暮れは近い。

婦人が参っていた階段下両脇の境内に建つ灯籠に正徳五乙未年(1715)の年代刻印が見られる。



「奉寄進 常夜燈 正徳五乙未年十一月吉日 吉野郡樫尾氏子」とあった。

樫尾(かしお)の社務所に掲げていた神社表記に三社。

「十二社神社」、「式内川上鹿塩神社」、「天皇神社」の三社である。

お参りをされていたSさんが話してくださる神社行事。

毎月の1日、15日は朝8時から境内の清掃。

老人会が主となった掃除をしている、という。

どおり、である。

いつ通っても境内が綺麗なのはそういうことだったのだ。

祭りは11月22日と23日。

22日は8時半から一日早いゴクマキをする。

餅搗きは前日の21日。

朝4時に集まる厄年の人。

42歳、61歳の厄年の男性がその日に厄祓いする餅搗きである。

餅搗きは朝6時から搗き始めるというから、早起きもよほどの早起きをしないことには到着しない。

我が家から当地へ行くには1時間以上もかかる。

現況の身体状況では無理があるから断念するが、餅を丸める時間帯であれば、なんとかできるかも・・。

Sさんの話しによれば、歩きで行ったら40分の所に五社神社(※川上鹿塩神社)があるそうだ。

搗いた餅をもって上がって参拝するのは厄年の男性たち。

軽トラに乗って出かけるらしい。

五社神社の他にも天王さんなどミトコ(三所)もあるという各神社に参拝して餅を供えるそうだ。

うち一カ所は十二社神社から見える急な山道の向こうになるという。

そこが五社神社なのかそれとも天王さんなのか。

Sさんが云われる天王さんは社務所に掲げていた神社名の一つ。

天皇神社であろう。

で、あれば天王さんは牛頭天王社が比定されそうである。

23日はゴクマキ。

村の人、大勢が集まってくる、という。

なお、8月14日は樫尾の盆踊りがあるらしい。

村の盆踊りが廃れていく時代になったが、樫尾では今尚盛ん。

一度は拝見したくなってもみる。

(H29. 2. 3 EOS40D撮影)


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