マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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杉町八幡神社夏祭りの御湯

2012年09月19日 06時41分55秒 | 大和郡山市へ
夏祭りの御湯が各地域で行われている大和郡山市。

郡山城下町の南外れ。

いわゆる旧村それぞれである。

柳町から南下して筒井町に至る間の天井町、本庄町、杉町、丹後庄町。

さらには筒井町を越えた馬司町でも行われている御湯の神事。

秋祭りの日程は移っていったが夏祭りの日は替えずに行われている。

杉町に鎮座する八幡神社は平成23年5月に新しくなった。

それまでの神社は鬱蒼とした景観のなかに鎮座していた。

撮りためていた画像を整理していたときに発見された当時の社。



「郡山50町ウォーク」の下見に訪れた平成16年7月11日の映像である。

記憶にあったのは樹木が茂って鬱蒼としていたが、映像では境内が奇麗に清掃されていた。

日付けから撮った数日後に夏祭りが行われたのであろうと思われた。

当時は夏祭りをされることは存知していなかった。

今では見られない改築前の様相は記念にアップしておくことにした。

開放感が溢れて「らしさ」がすっかり変わった神社境内。

かつての様相を知る人から見れば随分と変わったものだと思うだろう。

建て替えとともに境内も広くなった。

新しくなった社務所は集落の人たちが地域交流できるような広さになった。

かつての杉町は15、6軒だった旧村の営み。

他所から移り住んだ住民で膨れ上がって100軒ほどになった。

建て替えをきっかけに神社の営みを自治会運営に切り替えたと話す自治委員長。

地域に住む人たちすべてが氏子になったという。

今から400年も前のこと。

佐保川の洪水で全村が水ツキとなり水没したという。

そんな状況に陥った旧杉村。

村全体が400メートル西方に移転した。

そのときに掘った新池。

現在の杉町集落の西側だ。

掘り上げた土を東側に移して盛った。

現在の集落の土台にしたと話す総代のS氏。

明治から数えて6代目にあたるという。

調べてみれば、もとは佐保川の畔にあった集落。

筒井氏一族の土豪杉氏がここに居たという。

承応二年(1653)の水害のため現在地に移った記録があるそうだ。

S氏が話した水ツキはこの時代のことだと思われる。

建て替え前の本殿には棟木が残されていた。

大切なものだからと保管されている。

その一枚に「明治十一年三月十五日 郷社祠掌 奉鎮坐 八幡神社宝祢長久祈攸 ○○○○○」とあった。

裏面には「大和国添下郡村氏子中 各敬白 一老○○○○年齢七十二歳 村総代○○○○」だ。

墨書された一老の名。

それは現総代のS氏の6代前。

代々が神社を守ってきた証しはここにあった。

棟木はもう一枚残されていた。「大正六年六月一日 奉修理八幡神社宝祢長久祈攸 社掌 ○○○○」だ。

裏面は「大正六年四月十三日起工 六月三十一日竣工 一老○○○○六十七齢 村総代○○○○」とある。

同じく一老の名は同性。

S氏の5代前にあたるという。

また、社掌の名は現在の筒井菅田神社の宮司名だ。

当時も司っていたのだ。

杉町の歴史を語る棟木の存在がここにある。

隣村の天井町では夏祭りの御湯が行われている。

それを終えてやってくる筒井菅田神社の二宮宮司と若槻町の巫女さん。

それまでに準備をしなければならない御湯の斎場。

古くもなく新しいものでもない羽釜に薪をくべて焚きあげる。

そうこうしている時間帯。

宮司と巫女さんが到着した。

巫女さんの話では午前中に柳町の八幡神社、午後は天井町の八幡宮。

そしてこの日の3回目となった杉町だ。

新しくなった本殿に向かって神事が行われる。

祓えの儀、祝詞奏上、玉串奉奠などだ。

神事を終えた人たちは御湯の斎場に移った。

お釜の回りを取り囲むように立った氏子たち。

御湯の祝詞を奏上し伊勢、石清水、賀茂や春日、大神、石上、龍田、住吉など22社の神名を詠みあげて杉町の里に呼び寄せる。

そして竹の御幣を左右に振って祓え清める。

お神酒や塩、洗い米を釜に注いで釜を清め鈴で四方を祓う。



御幣で湯釜を掻き混ぜあとは2本の笹でその湯に浸して上方左右へ振り上げる。

御湯の作法は何十回も行われる。

何度も何度もそれを繰り返す。

夏の災いを除けて健康で村中が安穏であるよう祈る御湯の神事である。

笹をお釜に浸した湯は氏子たちがそれをかぶるように立つ。

西日が射し込む中での御湯である。

その作法は2回行われる。

さし湯をして再び雑木に火を点けて追い炊きをする。

再び、お神酒や塩、洗い米を釜に注いで釜を清める。

2回目の御湯の作法に移った。



そして、湯で清めた笹を一人ずつ頭上へ翳し、清らかな湯で身体堅固を祈る。

一人一人の湯祓いはこうして終えた。

湯釜を覗く一人の婦人がいた。

持ってきた容器に柄杓で湯を掬う。



それを容器に注いでいく。

何をしているかと尋ねれば、「アツケにならんように、持ち帰って湯は冷やして飲む」というのだ。

「アツケ」は「暑気」、それとも「夏気」であろうか、いずれであっても夏病いせんようにという願いに違いない。

嫁入りしてから51年間も続けていると話す婦人。

「以前は、5、6人も貰いに来る人がおったが、今じゃ私だけや」と云う。

(H24. 7.16 EOS40D撮影)