マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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長滝町閏年の庚申トウアゲ

2012年07月07日 08時49分08秒 | 天理市へ
天理の長滝町では新暦の閏年に庚申トウアゲを行っている。

塔婆を上げるから「トウアゲ」と呼び、充てる漢字は「塔上」だ。

同町の庚申講は5組ある。

それぞれの講中は少ないところで4軒、多いところでは7軒。

3組が5軒で営まれている。

かつては旧暦であったが判りやすい新暦に替えたという閏年の庚申トウアゲ。

前回の平成20年は4月29日だった。

この年も同一日。

固定日にされている長滝町のトウアゲである。

閏年の庚申さんの営みは地蔵寺境内で行われる。

庚申石の前にお灯明を灯して供えものを並べる。

庚申石と思われた童子石。

見間違いでなければ天明五年(1785)九月の造立。

よくよく話を聞けば、それではなくて隣の石造物だった。

供物のモチは同町の26軒数分のモチとお菓子だ。

般若心経一巻を唱える導師が前に座り、後席に宿の当主が座る。

その後ろに宮年寄りの順に座って法要を営む。

閏年に庚申さんを奉るのはカシの木で作った塔婆。

葉が付いている長い木だ。

家内、講中安全や五穀豊穣を願う。

宿では当日の早朝に供物の白モチを搗く。

ヨモギダンゴも作る。

その数はそれぞれ一升半。

おなごしが作るというが、ヨモギダンゴは供えない。

おとごしはカシの木の塔婆作り。

それらの作業を終えて昼の会食。

それぞれのヤドでよばれる飲食だ。

それを済ませたら講中の全てが地蔵寺に集まって法要を営む。

多くの家族が連れだって参りにくるという村総出の行事である。

それを拝見する時間は生憎藺生町と同時間。

二つの講中の営みを見ることはできない。

仕方なく終わった時間に訪問することになった。

「遅いやないか」と言われる言葉が辛い。



奉られた塔婆を地蔵寺の前に掲げて直会の最中だった。

塔婆の願文はそれぞれの様式で書かれている。

一つは「奉供養 南無青面金剛菩薩為 五穀豊穣家内安全講中 快楽成 平成二十四年四月二十九日」。

二つ目に「天下泰平 村民安楽 家内安全五穀成就 祈願久 ○○○○ 講中 平成弐拾四年四月弐拾九日吉日」。

三つ目に「奉修 南無青面金剛大童子 講内安全五穀成就 子孫長久如意祈祷塔 敬白 平成二十四年四月二十九日 閏年 ○○○○」。

四つ目は「奉 供養 青面金剛童子 天下泰平五穀成講中 家内安全快楽成 2012年4月29日」。

五つ目が「奉供養 青面金剛童子為釋 家内安全五穀成就應順講成」であった。

それぞれの講宿が前回に使われた塔婆願文を見本にして書き込んだ願文である。



しばらくの時間の直会を終えれば、ハコヤの木とも呼ぶカシの木の塔婆の葉を切り落としてヤドに持ち帰る。



その行為はここでも行われるが、ヤドに持ち帰ってから行う場合もある。

この塔婆は次回の4年後の宿に回される。

古いほうの塔婆はどうするかといえば、玄関や軒下に掛けるのだ。

それは家の守り神のようなものだと話す講中。

それぞれの塔婆には五文字の梵字がある。

K氏が話すには、その講中の梵字は東西南北だというが梵字は五文字。

何故か一致しない。

それはともかく塔婆を担いで帰ったあとは再びヤドで会食となる。



この年にあたったY家のヤドでは庚申さん掛軸を掲げていた。

掲げた床の間にはご飯にアブラゲ、コンニャクなどの煮もの高杯が盛られている。

しばらくはそこで歓談の場。

夜の会食は二度ともヤドでは、ということでバスに乗って天理の料理屋に出かけていった。

(H24. 4.29 EOS40D撮影)