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高熱隧道 新潮文庫 著者: 吉村昭

2009年04月09日 21時43分19秒 |  -本
知り合いに薦められて読んだ本です。黒部川水系に幾つか建設された発電所の導水路トンネルで、史実に沿ったドキュメンタリータッチで記述されています。

わたしね、若干自分でも「鉄子」の血をかんじるのと、この時代の労働問題とか人権問題とか、興味あるんですよね・・・・・。
なので、絶対興味ある!!っていうキーワードがいっぱいある、知り合いの感想文にイチコロ。
たぶん読みたい、たぶんはまるみたいな。で、即効その日に購入。
最近、新刊で小説とか読み物系買わないから、これかなりのすごいことなんですよ。

まぁ、もともとなんて読むのか読み方がわからなかったんですが、「こうねつずいどう」と読むことが判明


ちなみに、紅白歌合戦で中島みゆきが歌ったのは、黒四のほうで、こちらは黒三のほうのはなし。

こちら内容は、戦前・戦中を通して開発された黒部第三発電所の仙人谷ダム建設の話。(黒部第三発電所-昭和11年8月着工、昭和15年11月完工)
そこは、地質学者の予想を遙かに超える岩盤最高温度165度の温泉湧出地帯を貫く難工事が行われた。165度って、水なんかとっくに沸騰しているわけです。黒部川からポンプアップした冷水をホースで岩盤にかけながら掘削したが、水は瞬時に熱湯となり作業員に襲いかかったという。

作業を行うにしても宇宙服や、消防服のような服もなく、黒部を流れる水を体にかけながらの作業が行われていたのです。高熱隧道の最先端の切羽で作業する坑夫を冷やすため、水を掛ける人がおり、水掛け人に水を掛ける人、さらにその人に水を掛ける人と延々十数人の水掛け人を配置しながらの作業だったという。
また折角の水も坑内の熱によって40度以上になり、人夫たちは熱いお湯に浸かりながらの作業となっていたのでした。
それでも、彼らの中には人夫としてのプライドや下手をすると命との引き換えとなる破格の報酬のために、凄まじい環境の中でも工事は進められていきます。

また、隧道を掘るのにしても、今のような大型の機械はなく、ほとんどが人夫による手作業。ダイナマイトを使って少しずつは掘り進めてはいくものの、ダイナマイトの火薬類取締法規で定められた使用制限温度は摂氏40度。
当然のことながら自然発火による事故を招くこととなる。
現場が、あまりにも高温で役人が近づけないのを逆手に取り、制限温度を無視した工事が続けられていたこと故の結果ではあるが、そのときの事故の様子、使う側と使われる側の様子、使う側の使われる側をうまく支配するための悲惨な状況下での恐ろしいくらいに冷静な行動とかが書かれてあります。

また隧道の外では、6階建ての鉄筋の建物がひと山越えた600メートル先まで泡雪崩といった、爆風を伴う雪崩によって吹き飛ばされといった黒部の自然の恐ろしさによって、犠牲者は増加の一途を辿ります。、厳冬期ともなれば凄まじい雪が降り続け、地元の猟師ですらも山へ行くのを拒むほどです。

そんな難工事の犠牲者は300余名を数え、富山県による度々の工事中止要請も、戦争の背景もあって、中央省庁は強硬に工事を推し進めていったのでした。

使うものと使われるもの、そして家族や村の人、どちらの立場にたって読むかで、受けるものが違うだろうと思われるくらいに、人間としてのぎりぎりの様子がかかれています。
いや、人間ここまでできるものなのか?と驚愕さえしてしまいます。


現代では考えられない劣悪な労働環境のなかでの、難題の乗り越える創意工夫。
そして、それでも太刀打ちできない自然の脅威。
人知を超えた自然の脅威の中での工事は人柱のうえに成り立っていた。

そうとしかいえない難工事の上に、今のわたしたちの便利さは成り立っているのです。


現在では導水管などの敷設により平均で40度と、工事のときの温度よりは下がってはいるが、それでも相当の高熱にかわりはなく、十数年に1回程度は異常高温となり導水管が水蒸気となり運行中止になる場合があるらしい。

見学会が抽選であるらしく、いくつか写真もみかけましたが、ここでそんなことがおこなわれていたのかと思うと畏怖と敬意を表さずにいられません。




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