今日は:
当たり前のことなんだけど、道って誰かが作ったんだよね。
当たり前のことなんだけど、荒地を整備して。
そういうのって何も考えたことはなかったけど、ある程度安全に便利に生活できていることに感謝の気持ちは必要だよね。
さて、ここからの話はたとえばそういう舗装された道だとわかりづらいんだけど、じゃなくってけもの道みたいな、人がよく通るから道ができたとかいう場合の話。
きっと初めてそこを通った人はかなりどきどきして行ったんだよ。
先になにがあるかわからないし、まわりから何がでてくるかわからないし。
たぶんいろいろ警戒して注意深く進んでいったんだよね。
でも一度進んだらその人はそこまでは安心して進めるようになるし、もしまったく違う道であっても同じような地形のところだったら最初に冒険したときよりは経験値で進んでいくことができるようになると思う。そのあたりってやっぱり経験したことがあるか経験したことがないかって大きい・・・・・。
そういう経験って、経験したことない人には口で言っても完全には伝わらないし、一言聞くよりも実際に自分で経験したほうが何十倍も経験値として情報を吸収することができるわけで。
最初に進んで行った人がその時安全だったとしても、その時と時間や季節が変われば、何が起こるかなんかわからない。
横から何がでてくるかわからないし、空から何が降ってくるかもしれないし、見知らぬ動物が出現するかもしれないし、そんなの何が起こるかわからない。だけどもしかしたら先駆者が見つけられなかった綺麗な花を見つけることもできるかもしれない。
だからそういうのって行ってみるって決めた人の、危機管理と自己責任以外、結局は解決できないと思う。
確かに舗装されたきれいな道なのか、けもの道みたいな土煙が舞うかもしれないような道なのかで準備や心積もりは変わってくるかもしれないけど、少なくとも誰かが行ったことのある道というだけで、最初に行った人よりは安心っていう心の余裕はそこにあるはず。だけどその安心感だけでいたらそれこそホント何が起こるかなんか誰も保障できないし、守ってあげるにも限度がある。
あとはひとつの情報から想像力を膨らませてある意味神経質なくらいに準備(例えばめったに遭難しないところに遭難するかもしれないと思って羊羹を持っていくくらいの・・・
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)はひとりひとりが必要なんだと思う。
例えば「どんな花が咲いてた?」って自分から聞いて「ススキが・・・」って言われたら”もうすぐ寒くなるんだろうな・・・・”とか、「足元ってどんなかんじ?」って自分から聞いて「大きな水溜りがあってぬかるんでて・・・」って言われたら”よく雨が降るのかな?折りたたみ傘いるかも”みたいな情報を引き出す力とか想像力って、生きていくなかで必要な気がする。
待ち姿勢じゃ何も得れないし、先駆者もたぶんそんな細かいところまで考えが及ばない。一から百まで何が起こるかもしれないかものケースを挙げるのって正直現実的ではない。
そこでやっぱり寒くなったり雨が降ったとしても、想像力さえ持ち合わせていればある程度予測可能な情報は得てたことになるし、たとえ準備ができていなくても、そういう人ならどうにか対応できる気がする。
逆にそれができないとちゃんとした舗装されている道でガードレールがあっても車に撥ねられる確立ってあがる気がする。
だからって世の中は怖いから外にでることさえ止めてしまえば何もできないし、きっと綺麗な花も見つけられない。あとはリスクが起こる確率をどれくらいのものかって自分で算出するか。但しむやみやたらに無鉄砲なのはただのオバカで、やっぱりキーは『情報を引き出す力と想像力で自己責任で危機管理』ってことに尽きるのかな