ASAKA通信

ノンジャンル。2006年6月6日スタート。

「理想理念、倫理、心情論理」 20230314

2024-04-08 | 参照

 

 

 


──竹田青嗣「批評のテーブルと事そのもの」 
  (2011年日本文学協会シンポジウム)


自分の「理想理念」について、絶対的な全知のないことを自覚し、
独断的な態度をとらず、「ほんとう」を求めることを承認しあうテーブルの上で、
自分の理念の普遍性を互いに検証しあおうとする態度と努力。
それがヘーゲルの「良心」の概念です。

カントの「道徳」は、近代的な善にとってきわめて重要な一歩だったが、
それが「良心」にまで進むことができなければ、
理想理念の深刻な対立という問題を決して克服できない。
これがヘーゲルのカント批判です。

        *

ポストモダン思想は、マルクス主義に代わる本質的な
批判思想のオルタナティヴとしての役割を果たすべく自分を展開させました。
しかしそれは価値相対主義という自己の論理的限界を超えることができず、
何らかの概念を「超越項」としておき、それを「義の要求」として立てる
「倫理的ポストモダン思想」となってしまった。

先にも触れましたが、それを象徴するのが
「了解不可能な他者」「無償の贈与」といったキーワードです。
この理念はいまやエマニュエル・レヴィナスの思想に大きく依拠しています。

レヴィナスの「他者の形而上学」というキーワードは、
貧しきもの、弱きもの、抑圧されたものに対する、
理由なき倫理的態度の要請、ということを意味します。
そしてそのことと、現にある社会への異和と否定という
ポストモダン的な理念とが結びついています。

社会思想が、「現実の矛盾を克服するための条件」を確定しようとする道につかず、
無償の倫理的要請へゆきつくのは、社会思想としての敗北なのです。

この倫理的要請の訴えは、どれほど思想的に抽象化され粉飾されていても、
本質的には「隣人を愛せよ」という命法を人間の内面へ呼びかける、
宗教的な倫理要請の復活にすぎないことは明らかだからです。

 

 

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