イワン・アサノヴィッチの一日  畑と映画の好きな卒サラ男。

政官業癒着体質の某公共事業職場を定年退職。鞍馬天狗・鉄腕アトムの人類愛に未だに影響を受けっ放し。孫には目がない。(笑い)

7040問題 家庭介護の限界

2019-07-05 13:48:45 | 社会・経済
 その事件は6月1日に起こった。70代の父親が40代の息子を殺したのである。
普段、40代の引きこもりの息子は家庭内暴力をふるい、父親(熊沢英昭)の躰にはアザが在ったと警察も発表している。実の父親が息子を殺すという悲惨且つ痛ましい事件である。
取り分け目を引いたのは父親が元・農水省の事務次官で、いわゆるエリート官僚であったことである。親の職業が事件の本質に直接的に関係することはないが、「家庭内教育」と言う面では間接的な影響が無いとは言えないと考えられる。
先月、引きこもりの50代の男性がスクールバスを待つ小学生を刃物で襲い、女児一名と見送りの男性が死亡。男もその場で自死した事件が起こったばかりだった。
 
実の息子を殺した父親は、先月の「川崎登戸襲撃事件」から、大きな心理的影響を受けていたことを、警察への供述で明らかにしている。
即ち、自分の息子が社会への恨みから、今度は同じく無関係な市民に向かって刃を向ける事件などに発展する事を予期し、未然に防ごうと恐れた末の殺人だったのである。

 若い頃に森鴎外の「高瀬舟」という小説を読んだことが私の頭を過った。
概要は、生活に苦しむ兄弟の弟が不治の病に倒れ、兄に迷惑を掛けまいとして刃物を呑み自害する。しかし兄が仕事から帰ってくると死にきれなかった弟が苦しんでいる。止む無く、その刃物を抜き取るがその行為は弟の死に直結することであった。
丁度、隣の婆さんに目撃され殺人犯として兄は捕えられる。裁判の末に島送りのための高瀬舟に乗せられ受刑地に送られる。
受刑者の兄は意外に晴れ晴れとした顔をしていた。同心(主人公の羽田庄兵衛)は受刑者・喜助の話を聞いて変に感心して納得するという物語だ。

 今回の息子殺しの父親の気持ちを察するに、40歳代の引きこもり男が川崎登戸事件のように、逆恨みなどをして無関係な市民を殺傷するのではないかと不安になり、その前に親が未然に防ぐ手立てを執ろうとしたのであるまいか。
私には喜助と同様に、父親としての強い責任感と同時に息子を犯罪者にしたくないという強い愛情を感じるのである。
だからと言って私は殺人の正当化をしようとは思わない。
むしろ政権によって喧伝されている「家庭介護」には限界がある事を知るべきである。
そしてそれは、米国製の高額な武器購入の前に優先すべき政治課題の筈だと思う。

右翼の論客・鈴木邦夫氏の言葉

2019-06-22 13:14:47 | 社会・経済
「Twitter」 2013/06/20
@konotarogomame 私も鈴木邦男氏の発言を聞いて共感・共鳴。国とか国民を考える時には『右も左も無い』と思いました。右翼と左翼が協力・共同できる場は本来ならばすくなからず在る筈。河野さん、あなたは自民党を出ないで”ゾンビ自民党”を何十年かかってでも、必ず改革するべきですよ。
(参考添付)右翼の論客・鈴木邦男氏の言葉
鈴木氏は表現の自由と対話を重視する言論人です。
過っては左翼の赤軍派などとも対話するという幅がある人だ。日頃から思っていることを代弁してくれたような、そんな表現が短い文章の中にたくさん出てきます。
(一部を抜粋する。)
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今、恐ろしいのは、言葉だけが過激化し、それに
自縄自縛されていることだ。あるいは、こうも言える。
過激な言葉に酔ってしまい、そのことで、「自分は
闘っている」「自分は愛国者だ」と錯覚する人々が
増えている。危険だ。
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言葉が過激になったと言うよりは、言葉が軽くなった、
と言った方が正確かもしれない。
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言葉だけが虚しく舞っている。「俺は愛国者だ」と
言う人々には愛がない。「俺は日本人だ」とことさら
叫ぶ人には日本精神がない。「朝鮮・韓国人は殺せ」
「首を吊れ」と大書したプラカードを掲げ、民族排外
デモをやっている人々もいる。日の丸の旗を何十本も
持って。在特会(在日特権を許さない市民の会)だ。
(中略) このデモをネットで見て、日の丸が
かわいそうだと思った。大らかな和の精神をあらわし、
明るい太陽をあらわす日の丸だ。
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日の丸、愛国心、日本人。これはとてつもなく寛大で、
自由で、ある意味、アナーキーなものだ。そこが
好きだし、そこに誇りを持つ。それなのに今、
日の丸は「外国人は出ていけ!」という排外デモの
先頭で降られている。「そんなことに使うな!」と
日の丸は思っている。泣いている。
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愛国心だって、この国が好きならば、この国のここが
好きだ、ここがいい、と謙虚に静かに語ったらいい。
ところがそれがなくて、「俺は愛国者だ」と叫ぶ。
そして「俺は愛国者だが、こいつらは愛国者ではない」
となる。「反日だ」「売国奴だ」と非難し、切りすてる。
他人を切り、糾弾する言葉となっている。「愛国心」を
言う人々に愛はないのだ。他人を非難し、攻撃するため
だけに使われている。

川崎市で“拡大自殺”小学生らが死傷

2019-06-03 13:06:50 | 社会・経済
 5月28日、川崎市でカリタス学園のスクールバスを待っていた小学生の列を包丁を持った男が襲い女児1名と見送りの父親1名が死亡した。
犯人は51歳の男で岩崎隆一。犯行直後に自分の首を切りつけ、その場で死亡した。何とも痛ましく悲惨な事件であろうか。
 イワン・アサノヴィッチはこの報道を知り、51歳の男が小学生を襲うことなんて普通では考えられないことなので、精神異常者・・・それも弱い女性・子供を襲うという精神的な薄弱者だろうと直感した。
 東京新聞(2019年5月29日)の見出しには「絶望」「孤独」が生む凶行と書かれていた。犯人は小学生時代に両親が離婚、その後は親戚・叔父夫婦に預けられて育ったが高校生時代からは、いわゆる引き籠り状態となって定職も無く今日に至っていた。
叔父夫婦の子どもは犯人にとっては義理の兄妹という関係になるが、二人ともにカリタス学園を卒業していたのである。
 新潟青陵大学の碓井真史教授は、犯人の犯行の背景にある精神的な状況を次記のように分析している。
絶望と孤独の二つが今回の無差別殺人事件の原因と考えられるとし、「人生の最後に自分をバカにして来たやつらに思い知らせてやる、あっと言わせてやる。」・・・こんな心理が働いており、他人を巻き込む“拡大自殺”という事だとしている。
 かって「格差は在って当たり前」、そして「あとは自己責任」だと喧伝した小泉純一郎首相と竹中平蔵の政権以降、日本社会は成果主義だ!競争主義だ!と言う、国民に対する一種の「脅迫観念」みたようなものが広く日本社会に拡散させられた。
イワン・アサノヴィッチも現役の末期の頃には、公務員世界にもこれからは「成果主義に基づいた業務の履行が求められる」とされ、各自はその旨を認識して目標を設定し且つその目標達成に尽力すべしと告げられ報告を求められた。
公共事業職場の技術職の身としては、詰まるところ業務量を減らすこと即ち予算額を減少させることが「成果」になる・・・そんな極論が職場内で密やかにチラホラと喋られたりしていた。
 アメリカの如く人種・肌の色・言語・宗教・食べ物や趣向が全く違う多民族国家では“格差”というよりも多様性による違いは在って当たり前なのである。
しかし、こと日本となれば、話は違う。日本人はモンゴロイド(一部アイヌ系の存在有り)
で米食人種・漢字圏で何となく誰もがお釈迦様の存在を認め合っている。
そんな中で「男女格差」「学歴格差」「学閥格差」「地域・差別」etcと、今の日本は格差・差別が満載なのである。決して小泉の言う“格差は在って・・・云々などと改めて言うまでも無い程に過剰なのである。
そんな欺瞞的な、「格差は在って当たり前」社会、そして画一的な「多様性を認めない」社会に“絶望”した“孤独”な人間の爆発だったのであろう。

あの日産にして このゴーンあり

2018-12-04 00:15:19 | 社会・経済
 11月19日、日産の会長のカルロス・ゴーンが所得の不正申告等で東京地検に逮捕された。直近の僅か5年間で、不正の分だけで50憶円というから驚いた。
社費の私費流用等々でゴーンの隠れた不正利益は総計150憶円になると言われている。
20年前、日産の経営不振を救済するためにフランスから会長入りしたゴーンは僅か5年以内にV字回復的な黒字化に成功し、国内では驚きの脚光を浴びた。

 来日して20年、いつしかゴーンは「朱に染まれば赤くなる」の譬えではないが不正への路へとまっしぐらな経営者となってしまったのである。
そもそも、日産とは如何なる企業だったのか・・。
ブラックな企業風土を持っていた会社だったのである。今は3・11のフクイチ事故以来おとなしくなってしまった東京電力とおなじ「反共の人事管理」を組織的に大規模かつ持続的にすすめていた企業だったのである。
赤字が増えたと言っては共産党員あるいはその同調者の社員を指名して解雇していたのである。明らかな思想差別であり、憲法違反であり裁判沙汰にもなっていたのである。
悪いことに、お決まりの「労使協調」の企業だったから、労働組合が解雇者の救済には当たらず「ユニオンシップ」という制度を悪用して、共産党系の組合員の除名を会社と癒着して行っていたのである。当時の癒着労組は旧民社党系の「同盟」で、現在の「連合」労働組合に当たる。
日産ではモノを言う社員がいなくなり、上意下達・画一主義という硬直した企業風土に変質してしまった。従って現場から問題点の指摘や提言・アイデアが全く上がって行かない風土となり、組織が硬直し生き生きとした会社全体が脈打つような組織活動も消えた。
当然の帰結として、営業利益は凋落を重ね異例の外国人経営者のゴーンを招聘したのである。
ゴーンはやがて「上意下達」「画一主義」という日産の悪しき社風に気づき、悪意を持つ独裁者になっていった。しかし、会長個人のみの利益追求に走ったものの、咎める人間は存在せず、モノ言わぬ部下や社員たちを脇目に年々悪行を重ねて行ったのである。
「あの親にして この子あり」という諺があるが、まさに今回は「あの日産にして このゴーンあり」のパターンの事件である。東電・日産という二大反共労務管理企業が社会的な批判や指摘を受けるような事故・事件を起こしたことは単なる偶然ではなく必然だったのである。天網恢恢 疎にして漏らさず である。

日本では”社会的支援”は死語になったのか

2018-08-03 15:11:43 | 社会・経済
 (フエースブック投稿2018年8月1日)
40歳になる女性が、公園のトイレで死産の挙句に死体遺棄をした。
之だけ聞けば何とお粗末な話だと思ってしまう。しかし、その女性は独身で親と喧嘩して家出。住所も定職もなく「援助交際」を続けながら、その日暮らしを続けた。一回の性交渉で得られたカネは3000円から1万円だったと言う。やがて不本意な妊娠をする、保険証の無い身では何処に行って何を相談して良いのかの見当もつかずに日を過ごしやがて出産。母体が不規則な生活をしていたのでは五体満足な子どもは産めなかった。僅か2500gの女の子だったそうだ。女性は困り果て死体をビニール袋に入れて近所の高齢者福祉施設の玄関先に処理をお願いする旨の手紙を添えて遺棄していった。
警察の捜査事案となり、ほどなくネットカフエに居た「犯人」は逮捕された。
今の日本では平凡な家庭に生活していた人間が、いったん外に出てしまうと全くと言っていいほど”社会的支援”が無くなってしまうのである。

”新自由主義”社会と言うのであろうか、競走主義だとか成果主義とか言うことが企業や官庁の中で聞かれるようになった。即ち、机を並べていながら同僚が競争相手になってしまうのである。それは仕事上の事であって個人的な付き合いを、どうこうするものではないと研修所の講師は言う。仲の良い同僚とは確かにたいして強く意識することもなくやっていける。がしかし、転勤等で初めての職場・同僚とか、あるいは個人的な信頼関係が築けない同僚たちとの競争・成果主義となると話は別ものである。言葉には出さないが少しギクシャクとしたものが課や係の中に漂ってしまうのも事実である。
一方、非正規社員も増えている昨今では以前のように係や課が一丸となって協力し合い、仕事・業務の処理にあたると言う光景は段々と消えて行った。しかし、それは一企業や役所の中だけでのことではなく、いまの日本の社会全体にひろまった現象である。労働組合がなくなり町内会が縮小されたりPTAが廃止されたり・・即ち国民の連帯する環境が希薄となってきていると言うことである。
ひとりの女性がいったん家庭や地域と切り離されたりすれば、安心して生きていける空間は存在しないのである。数か月も妊娠の不安に苛まされ出産は公園のトイレとなり『おめでとう!』の言葉を掛けてくれる人もなく、ビニール袋にしまい込んで遺棄して行かざるを得ない現実がある。これも「自己責任」と言うのであろうか。
いやいや!行政もその点を踏まえて近年は「なんでも相談窓口」等を開設しているから、社会的支援がないと言う指摘は当たらないとする意見もある。
果たして「社会的支援」とは行政以前に、家庭・近所・地域・職場の仲間や同僚が“お互い様”と言う精神で寄り添い・見守り・助け合う姿ではないのか?