イワン・アサノヴィッチの一日  畑と映画の好きな卒サラ男。

政官業癒着体質の某公共事業職場を定年退職。鞍馬天狗・鉄腕アトムの人類愛に未だに影響を受けっ放し。孫には目がない。(笑い)

「新幹線車内で刃物男が殺人」の記事に思う。

2018-06-11 17:04:03 | 社会・経済
 東京新聞(2018年1月22日)の夕刊に依れば、20代の男が突然、ナタを取り出し隣席の女性に切りつけたとのこと。
止めに入った後部座席に居た30代の男性が殆ど無抵抗のまま殺されてしまったそうだ。通報を受けた警察官には素直に逮捕されたそうだ。
夕方のTVニュースでは逮捕連行されて行く男の顔がハッキリと確認できる。その顔付きは、目付きがやや虚ろな感じもするが、街中で見かける普通の20代の若い男の顔付きそのものである。

イワン・アサノヴィッチはその顔をTV画面で観て、「何でこんなフツーの大人しそうな若者が凶悪な犯罪をおかしてしまうのだろう・・」と訝(いぶか)しく思うほどだった。
犯人は「むしゃくしゃしていた。殺す相手は誰でもよかった。」と警察の聴き取りに応えているそうだ。
・・またか!という気持ちがイワン・アサノヴィッチの脳裏をよぎった。

早速、親族たちへの犯人に関する、普段の生活態度などの取材内容も報道されつつある。 犯人は中学時代に不登校になったり、キレて親に包丁を突き付けたこともあったそうだ。家出・施設入所・職業訓練・就職、人間関係が理由で転職。
犯行時はホームレス状態で、本人はそんな生活の中でも喜々としていた部分もあったらしい。
 
要は、社会に適応できない人間が中学・高校のころから生まれ始めて、それを家族や社会が旨く取り込むことが出来れば良いのだが、試行錯誤の末に家出・ホームレスetcの孤立状態になってしまう構造が昨今多くなっているのである。
十分な精神的な発達や構造が未熟なまま「身体だけは大人」になった男が、社会に適応できない自身に不安とその裏返しの攻撃性・暴力への妄想に苦しむことになるのであろうか。似た案件として、思い詰めたストーカーが好きな女性を追い回し殺してしまうことが挙げられる。
 
「管理社会」「管理教育」と言われて久しいこの日本の世の中。
学校で「人間教師」が時に面白く悲しく、そして笑ったり怒ったりする「非管理教育」のゆとりが、一方で著しく失われているような気がしてならない。
偏差値などの見える「数値」で管理することは容易だが、「未熟人間」の子どもだからこそ「管理」ではなく、「生きる」ことを学ばねばならない筈だと思う。

電通過労死 上司の不起訴は不当

2018-02-06 11:34:37 | 社会・経済
 電通の新入社員の高橋まつりさんが過労自殺されて、電通法人は昨年10月に罰金50万円の有罪が確定しています。
当初、労基署からは違法残業の実態から、元上司の男を書類送検したのだが東京地検は不起訴としてしまった。
元上司は、残業の上限を超えた分は「社内飲食」とするように指示し、東大出のまつりさんの経歴を妬むかのような精神的な追い詰めを執拗に繰り返していたのである。かなり悪質な上司である。(一部:東京新聞(2018年1月26日)報)
ねぎらうこともしない上司に、まつりさんの遺書にはその苦しみが綴られていたとのことだった。こんな一文を知らされたりすると、余りにも切なくなって来る。
しかし、たった一人の親族の母親の幸美さんは「社内風土」の一言で、娘の自死を片付けられることの不条理に納得はできなかった。当然のことである。

イワン・アサノヴィッチは元某県庁のOBである。大卒・上級職試験で合格し40年近く前に就職した。当時はまだ役職者の殆どが高卒であった。そこへ大卒の新人が採用されて来ると、高卒の上司の内心は決して穏やかなものではないのである。
或る日、意地の悪い隣の係の上司が突然、業務に関係のない問題を私に突きつけて直ぐに回答を寄こせと命令してきたりするのである。
返事に躊躇していると、『大卒のくせに、そんなことも分からねえのか!』という言葉が返されて来たりしたものである。
はたまた、同じ職場に採用された大卒の新入職員に対しても、地方出身者で返事の仕方がオカシイとか、方言を使って出しゃばり過ぎるな!標準語で喋れとか冗談の域を超えた叱咤やイジメに近い言葉が高卒の上司たちから飛び交った。

 そんなことはどの会社・役所でもあることだ。と宣う方みたいな人が実は往々にして妬みを伴った新人イジメをしていると言っても過言ではないのである。
電通のまつりさんの上司もきっと「東大出身者」でない事は容易に想像がつく。
「公務上の中で起きた事案なのだから、個人そのものを罰したりするのはおかしい」とお考えになる方にひとこと言いたい。
公務だ業務だと言いつつ職務・業務に関係のない事柄で、職場の周囲の口ごたえが未だ出来ないだろう新入社員に妬みに近い「個人的な」妄言をぶつける社内風土こそ即刻に改めるべきなのである。解決する順序が逆だと指摘したい。わたし自身、『大卒のクセに』の暴言を「公務の中」で吐いた元上司を思い出すと未だに許せない気持ちになる。
 官庁や大企業ほど「公務」の何たるかが徹底されていない「風土」があり、今なおそこに胡坐をかいて傲然・漫然としている無反省を決め込む愚かな姿がある。

台車亀裂は事業の危機 JR西・社長が訓示

2018-01-27 18:10:35 | 社会・経済
 昨年の12月、新幹線のぞみの台車に破断寸前の亀裂が生じるトラブルが発生した。現場社員や司令員が多くの異変を認識していたものの、運行停止の判断を他人まかせにしていた実態が浮き彫りとなった。(東京新聞 2018年1月4日報)

 イワン・アサノヴィッチはJR西日本の来島達夫社長の訓示の言葉に感動した。(イワン・アサノヴィッチが大企業の社長の訓示などに感動するなんて超めずらしい!なんて茶化す人も居るだろう。・・が暫し待たれん!)
 4日、JR西日本の社長の来島達夫氏は幹部社員(430名)を集めて年頭の訓示を述べた。来島氏は 『お客様の命を預かる鉄道事業者として引き続き認めて貰えるかどうか、今その瀬戸際にある。きわめて大きな危機に直面している。』 と述べたのである。そしてJR尼崎線脱線事故の後に策定した 「判断に迷った時は、最も安全と認められる行動を執らなければならない。」 とする安全憲章を全員で唱和したとのこと。
聴かせる一方ではなく、頭に入れたものを自身で口頭の音声で反復させて、認識の度合いを深めさせているのだろうか。唱和させることも名案だと思った。
そして、来島達夫氏の締めくくりの言葉が光っていた。即ち
『現場の判断を最優先し、その判断は社長である私の判断であるという価値観を共有したい 』 と力を込めたとのことである。
イワン・アサノヴィッチは関東の某県庁職員だった。
37年間、公共事業の業務に携わった技術系職員で、県内の広範な出先・地域で様ざまな事業業務を担当し、9年前に定年退職した者である。
現場ではマニュアル化された「指針」や「基準」では全く通用しない事案が日々に且つ幾多も現出するのである。

 原発のフクイチ事故の記憶は未だ真新しく残っているかと思うが当時、東電本社は判断指揮能力を喪失し、現場・福島第一原発の所長判断で、失われた真水の冷却水に代えて海水を利用して炉の冷却を達成し、原発の二次被害の発生を防いだ話はつとに有名なことである。海水注入をすると炉が再利用できなくなる事に本社は躊躇していた。
 現今の日本の社会は役所のみならず民間企業に至るまでが、いわゆる「官僚主義化」してしまっている。いざと言う時に機能不全となる「本庁主義・本社主義」が横行し、現地・現場・前線の自主的な判断を禁止あるいは疎外をしているのである。
 来島達夫氏の訓示は見事に、いま日本中の官民の組織が陥っている本社・本庁主義の打破を具体的な事例で説明し、現場・前線の自主的判断を優先するという意識の変革を訓示したものであると言える。

進まぬ幼保一元化 70年前、すでに国会で論議

2017-12-18 21:12:01 | 社会・経済
  安倍政権は唐突に、三~五歳の保育・幼児教育無償化を打ち出した。しかし一方では子育て政策に焦点が当たる中、幼稚園と保育所の垣根をなくす「幼保一元化」の取り組みは停滞が続き進んではいない。十年前に双方の機能を併せ持つ「認定こども園」の制度ができたが、幼稚園からの移行は進んでいないのである。

 東京新聞(2017年12月17日)は、保育・幼児教育問題に詳しい日本総研の池本美香主任研究員に、無償化や一本化のあるべき姿を聞いている。
池本美香氏はズバリと無償化より「待機児童」の解消を訴えている。
 即ち、「待機児童問題や保育の質の低下に対して十分な対策がないまま、突然、無償化の話が出てきた。無償化されても待機児童になったら何も得られない。深い議論をせずに、お金だけつけたところで、根本的な解決にならない。と強烈である。
続けて池本氏は、『無償化は本来、制度を納得感のあるものにしてから最後にすべきことだ』と指摘する。
数年前に『保育所おちた、日本死ね。』とコメントを発した若き市井のママと思しき方のやるせない気持ちが日本中で話題になった。
無償化は待機児童が無くなってから、最後にすべき事とする池本美香氏の言葉は国民感情からすれば的を射たものである。

余談になるが、こともあろうに偏狂的な右翼保守系の「論客」と称する堺屋太一・渡部昇一らが鼎談の中で、この「保育園おちた日本死ね」のコメントを取り上げて、『だったらイスラムでも何処でもイイから出ていけばいい。』と揶揄しているのである。
この二人の御仁は経済力もあり、孫を預けなくても済む家庭環境があるはずであり、よしんば預けるにしても恐らくセレブな幼稚園に預けることは想像に難くない。
共働きしなくてはやっていけない若きパパとママの一家にとっては、できれば公立の保育所に入れることがベストであり、漏れれば保育料は高いけれど民間の保育所にでも何とか入りたい・・。そんな心情がこの偏狂保守の爺様たちには分からない。

 話を戻すと、幼保一元化についてはニュージランドの改革が参考になるのではないか、日本でも幼稚園はダブつき気味で保育園は逆に超不足状態だ。これを一元化(厚労省と文部省)して、国の機関がすべての施設の質を定期的に評価し、結果を園ごとに公表する仕組みを整え、保育の質の担保や行政事務の効率化を二十年かけて実現し、最終的に二〇〇七年に無償化したのである。(池本美香氏)
縦割り行政の中でナワバリに拘る官僚を制する強い政治力が欲しいものである。

親が信頼して子供を預ける所。それが学校なのです

2017-10-21 15:47:33 | 社会・経済
 親が信頼して子供を預ける所。それが学校です。
そこで、教師(副担任)のイジメで生徒が思い詰め、自殺させられたと言うことは、余りにも切なくて、三人の子を育てた身としては絶対に許せないことだと思い投稿します。(福井県池田町の事件)
たぶん、その教師は今の官僚主義的な教育方針で「管理一辺倒」の指導をしたのではないかと思われます。学校における官僚主義って何なのだ?と思う方もいるので少し述べさせて頂きます。
官僚主義と言うものは、「統一主義・一律主義」で何でも一律にしようとします。方針は自民党と文部官僚の合作で「上意下達」なんです。現場から問題点を挙げ検証するなんてことは不要だ無用だ!と言わんばかりなのです。
恐らく、職員会議も教師が活発に自分の意見や考え方を発言できるような雰囲気は無いのでしょう。私も某県庁に定年まで在職しましたが、職員会議は知事や部課長会議あるいは所長会の決定事項を上意下達でこまごまと『ああせい、こうせい。アレするな、コレするな』と指示・通達してくるだけです。
イジメタとされる副担任は、皮肉にも或る意味で忠実な教師・官吏だったのです。
恰も狙っていたかのように、副担任は一人の生徒を集中的に、校門で廊下で教室で授業の中で大声で怒鳴りながら注意や指示をしていたと言うのです。たまたま近くに居た別の生徒が、その異常さに怖くなってしまうくらいの怒鳴りようだったと言われています。
もう、60年くらい前の話しですが、私のクラスの担任が急病で休み、別の男性教師が授業を担当した時のことです。 宿題提出のことで私と幾人かの生徒が忘れたのですが、その教師は私だけを教室の前に呼び出し、忘れた理由を詰問し私も極まりが悪いのでちょっと曖昧な態度で居たらその教師は、いきなり小学生の私の胸を平手で突いてきたのです。体力は歴然で私は1mぐらいよろけて後ろに飛ばされました。続けて二度三度と突いてくるものですから教室の壁まで追い詰められてしまいました。
その教師は、急ごしらえで担当するクラスの生徒に、舐められないように見せしめを作り、生徒に恐怖感を抱かせて恐らくですが支配しようとしたのでしょう。
官僚主義教育は一律主義で上意下達の方式を使い、生徒の持っている具体的で独自性のある傾向などは全否定してしまうのです。それは他の生徒に対しても同じだぞ!と恫喝しているようなものでした。
主担任(二人担任制)も違和感を持っていたらしいのですが、結局は副担任の暴走教育に引っ張られてしまい、それ以外にも薄々気づいていた校長や教頭・その他の教師もダンマリしてしまったのです。まるで夜の飲み屋街で騒ぐ暴力団やチンピラにひれ伏す状況です。ここは“学校“なんです!そういう事がいちばん許されない所なのです。
亡くなった生徒さんに御冥福をお祈りするには、余りにも悔しくて仕方ありません。絶対あってはならない事件です。