今年の節分の時期、”鬼”について書きました。
『日本という国が本当に強くなっていくためには、鬼をあげていかなくてはならない。』
3年前に聞こえていたことです。
その言葉通り、以来鬼に関係する場所に多く呼ばれるようになりました。
自分で行動する中で、鬼というものに対する認識が強く、深くなりました。
9月8日、訪れた熊野の山奥で、
『熊野の鬼神がひらく』
と聞こえました。
そのメッセージをお伝えした方の中には、泣いてよろこぶ方もいらっしゃいました。
その方達も、”鬼”への思いが強かったのです。
封印されていたものが、神聖なものとしてあらためて認識しなおされる。
そのプロセスが、ここ最近強められているのではないでしょうか。
翌9月9日、やはり熊野のある地域で、今度は
『鬼が無くなる。元のかたちになる。』
と聞こえました。
鬼が鬼でなくなる、とは、邪悪なものとして封印された存在では無くなる、という意味でしょう。
日本各地に封印された鬼がたくさんありましたが、それが無くなっていく、ということです。
今日明日のことではありませんが、近い将来に起きてくる大きな出来事だと感慨深くとらえました。
過去に創り出された鬼とは、誤認であり、差別であり、蔑視の総称です。
それらがなくなり、わたしたちは出発地点にいよいよ戻ることが出来ます。
同時に、わたしたちの心の中にある鬼に焦点を当てて見直してみることは、自分自身をトータルにとらえることを可能にします。
排除しようと攻撃するのではなく、それはあるものと受け入れる受容の立場は、わたしたちを真に優しくしてくれるものと思います。
『日本という国が本当に強くなっていくためには、鬼をあげていかなくてはならない。』
3年前に聞こえていたことです。
その言葉通り、以来鬼に関係する場所に多く呼ばれるようになりました。
自分で行動する中で、鬼というものに対する認識が強く、深くなりました。
9月8日、訪れた熊野の山奥で、
『熊野の鬼神がひらく』
と聞こえました。
そのメッセージをお伝えした方の中には、泣いてよろこぶ方もいらっしゃいました。
その方達も、”鬼”への思いが強かったのです。
封印されていたものが、神聖なものとしてあらためて認識しなおされる。
そのプロセスが、ここ最近強められているのではないでしょうか。
翌9月9日、やはり熊野のある地域で、今度は
『鬼が無くなる。元のかたちになる。』
と聞こえました。
鬼が鬼でなくなる、とは、邪悪なものとして封印された存在では無くなる、という意味でしょう。
日本各地に封印された鬼がたくさんありましたが、それが無くなっていく、ということです。
今日明日のことではありませんが、近い将来に起きてくる大きな出来事だと感慨深くとらえました。
過去に創り出された鬼とは、誤認であり、差別であり、蔑視の総称です。
それらがなくなり、わたしたちは出発地点にいよいよ戻ることが出来ます。
同時に、わたしたちの心の中にある鬼に焦点を当てて見直してみることは、自分自身をトータルにとらえることを可能にします。
排除しようと攻撃するのではなく、それはあるものと受け入れる受容の立場は、わたしたちを真に優しくしてくれるものと思います。