ミカエルの函館散策記

美しい夜景と異国情緒溢れる町・函館。
名所・旧跡・食べ処をご紹介していましたが今や万屋。
ご訪問に謝々。

第67号 官軍戦死者の霊を祀る・函館護国神社

2006年12月10日 | 教会、寺院、神社、墓地、碑、像

所在地=函館市青柳町9番23号

 

第66号の、箱館戦争で戦死した旧幕府軍の墓地・碧血碑から車で5分のところに、官軍(明治政府軍)の戦死者の霊を祀る函館護国神社がある。
護国神社は全国に65社。
函館山ロープウェイ山麓駅の斜め向かいだから分かり易い。

明治2年5月11日に兵部省によって創建され、当時は函館招魂社とよんだ。
敷地は函館山麓の傾斜地、造成は旧幕府軍の捕虜を使い完成させた。
その後、護国神社、潮見が丘神社、復称して函館護国神社となり、函館、渡島、檜山、後志(一部)の太平洋戦争までの戦没者約13,000余名を祀っている。

明治2年5月11日、箱館戦争で明治政府軍の勝利が確定し、18日に五稜郭開城、21日大森浜(啄木小公園辺り)で招魂祭を執行した。
この戦争に投入された明治政府軍将兵は8,041人、負傷484人、死者286人でここの墓地(右写真)には、59基がある。
例大祭は5月11日、境内の広さは約20,000㎡(後楽園ドームの5分の2)。
首相の参拝で国際問題になる東京の「靖国神社」は、明治2年6月29日の創建(当初は東京招魂社)だからこちらの方が歴史は古い。

「勝てば官軍、負ければ賊軍」の諺どおり、碧血碑と比べたら処置は大違い。
見晴らしの良さ、社殿、一人一基の墓標など天と地の差がある。
明治元年正月、京都鳥羽・伏見から始まった戊辰戦争。明治政府軍と旧幕府軍との衝突は国内を二分した内乱だった。箱館戦争の終結で終止符をうち、長引けば欧米列強の植民地になったかもしれない。
以降、欧米文化を積極的に取り入れ、国家の近代化を図った。
多くの犠牲者のご冥福を祈りたい。

               ミカエル

  おまけ~関連性はまったくないが、大阪万博の太陽の塔製作者・岡本太郎氏の父・一平氏は、明治19年にこの神社近くで生まれている。

                ミカエル

 



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2 コメント

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ここは観光してない (MINA)
2006-12-10 23:12:25
こんばわ~。
函館護国神社は観光していなかったです。
場所は山麓駅の他にはレイモンハウスの近くの神社ですかぁ?

今度ここも訪れたいです
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観光パンフに載っていない (ミカエル)
2006-12-11 05:58:02
MINA 様
ロープ山麓駅から函館山に向って左100m、朱の大鳥居が目印。
初詣、例大祭以外はひっそりで、トリックアートが面白いですよ。
江差、松前にも官軍墓地はあります。
箱館戦争後も小規模内乱はあり、最終的には明治10年、鹿児島で西郷隆盛が起こした西南戦争で完全に治まります。
イラクは現在内戦中ですが、日本だって120年前は同一民族が戦っていたのですね。    ミカエル
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