ミカエルの函館散策記

美しい夜景と異国情緒溢れる町・函館。
名所・旧跡・食べ処をご紹介していましたが今や万屋。
ご訪問に謝々。

第843号 古希を迎えました

2014年01月30日 | 我が家のもろもろ
今日、1月30日は、私の70回目の誕生日。
いわゆる古語で表現するならば「古希」を迎えたのである。

当時の社会情勢は、太平洋戦争の真っ最中。
神奈川県川崎市内の父の勤務する社宅で生まれた。

以来、病気入院はあったものの、
事故や災害に遭遇することなく、ここまでこれたのは、
「幸運」も大きかったのだろう。

これとは別になんといっても、両親や家族、諸先生、友人をはじめ、
お世話になった皆様方の大きなおかげとも思っている。

あと何年元気でいられるかは、分からないけれど、
「初孫の小学入学式までは!」との願いがある。

ところで、古希とは長寿祝いで、もともとは、数え歳で祝っていたが、
私は「満」でその仲間入りとさせてもらった。

皆様、今後とも宜しくお願いします。


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追記

この夜の祝宴は、二人だけでの豪華な和食店で。
オートマの握り寿司は、11皿で満腹、満腹。
会計は、1,225円也。
この数字、果たしてアベノミクスに貢献したのだろうか?


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第841号 幕末に動きあった箱館お奉行 

2014年01月18日 | 旧跡、史跡
今日は1月18日。
幕末の二人の箱館お奉行に、旧暦のこの日、大きな動きがあった。

① 1860(万延元)年1月18日
箱館奉行・村垣淡路守は、日米通商条約批准交換のため、
遣米使節として米国へ出発。
10月に帰国し、翌文久元年、箱館に帰任する。

この時に使われた軍艦は「咸臨丸」。
艦長は勝海舟。福沢諭吉も一団の中にいた。

② 1866(慶応2)年1月18日
杉浦誠、箱館奉行となる。
明治元年、新政府の箱館府に一切を引き渡した最後の箱館奉行。
明治2年、開拓使判官になり、10年1月まで函館に在勤した。

五稜郭内に復元された箱館奉行所は全体の3分の1の広さ。
これとほぼ同じ広さの、お奉行公宅が棟続きであった。
箱館で亡くなられたお奉行の家族のお墓は、近くの「大円寺」に
建立されている


防寒衣料もなく、暖房器具もない冬場の蝦夷地勤務は、
かなり厳しかっただろう。
昔の人たちは、強い精神力を持っていたのだ。



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第840号 逃走犯、私が見た45年前

2014年01月13日 | 事件
神奈川県川崎市の検察庁舎から、極悪容疑者が逃走した事件。
新たな犯罪を起こすことなく、捜査陣によって身柄が拘束された。
近くの住民は、気が気でなかったろうに。
そして、学校も、心配は大きかったのは確かで、対応に追われていた。

私の生まれ故郷は、川崎市。
それだけに「逃走犯拘束」の臨時ニュースには、ほっとした。

ところで、私は今から約45年前に、逃走犯の生行動を見ることになった。

それは、秋の午後だったと思う。
その日、私は外勤業務で、函館地方裁判所の前を歩いていたときだ。

庁舎敷地内から、「待て!待て!」と、大きな声を張り上げながら
制服姿の数人の男性がある男を追っていた。
追われている男は見るからに逃走男。裸足でものすごい形相。
男は敷地から道路へと走り抜けた。

道路には、裁判所庁舎の補修工事のために駐車していたトラックが。
トラックの荷台には、大きなガスボンベが数本積まれていた。
男はそのトラックの運転席に乗り込んだ。
彼にとっては幸運。キーがついていたのだ。

ボンベに付いているゴムホースを引きずりながら急発進。
裁判所前の広い道路を、海岸町方面(函館港)へ向かった。

追いかけてきた看守らのグループは二手に分かれた。
ひとつは連絡のため庁舎へ戻った。(なにしろ携帯がないころだ)
もうひとつのグループは、トラックを追った。

私の実況生中継は、ここまで。
私は業務中であることを思い出し、現場を離れた。

この日の夕方、テレビで「逃走男の身柄確保」のニュースが流れた。
新しい犯罪行為はなかったとも。

パトカーからでも、逃走する逮捕者がいる。
基本とされている乗車位置が守られていなかったからだ。

そのつど、再発防止が論じられるが、「のど元過ぎれば熱さ忘れる」
では、困ったもの。
関係機関は、抜本的対応策を実施に移してほしいものだ。



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第839号 う~ん まずーい

2014年01月11日 | 料理
素麺を食べるとき、「もり」でも「かけ」でもそうだが、たれ、つゆに、
「マヨネーズ」か「さば水煮缶」をお供にしている。
未経験の方は、ぜひ一度味わってほしいものだ。
きっと、クセになること間違いなし。

ところで、「食」は、限りない美味しさを求めるもの。
ラッキーセブンの7日、初味に挑戦。
試食してみた。

suuzi

茹で上がった素麺に、
①ミートソース、②ナポリタンをからませた。



どちらも「超まずーい」。

ミケには、試食前に処分してしまった。

後で冷静に考えてみれば、これらに何らかの調味料を加えて、美味しく加工しなければと思った。
やはり手間と時間を省略してしまった、私の姿勢は恥ずべきだったと思う。

ミケのいないときに、こっそりと試作に挑戦。
「新しい素麺の味をどうぞ!」と、自信をもって勧めたいものだ。


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第838号 さらば正月飾り!「どんど焼き」

2014年01月07日 | 町の話題
暮れに飾った正月用品。
しめなわ、しめかざり、ごぼう、まゆだまなど。
今日はそれらを神社へもって行き燃やす。
これを「どんど焼き」と呼んでいる。
ここから生じる煙を体にかけると、無病息災とかで、皆がそのような動きをする。



ここは「上湯川稲荷神社」。
道路沿いにある大鳥居から、石階段上部にある社務所を見る。



鳥居の横には、守り神の「おきつねさま」が見張り番。



飾りをもって来る善男善女のなかには、餅も持参し、この火で焼いて食する姿もある。
効果は、一層あるらしい。

年に数日より開かない社務所もこの日はオープン。
縁起物を扱っている。



社務所横には「馬頭観音像」。





その横には、安産の神様も安置されている。



この神社の境内は、小さいちいさいながらも、「日本の原風景」を演出しているように、思えてならない。
幼少にかえって、「かくれんぼ」をやりたいなぁー。

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