ミカエルの函館散策記

美しい夜景と異国情緒溢れる町・函館。
名所・旧跡・食べ処をご紹介していましたが今や万屋。
ご訪問に謝々。

第144号 イノシシも登場 花フェスティバル

2007年06月30日 | お祭り

会場=函館市若松町クイーンズポートプラザ

「第18回はこだて花と緑のフェスティバル07」が、23、24日の両日開かれました。
会場は、JR函館駅南側、函館朝市西側の隣接地、傍には旧青函連絡船・摩周丸が係留展示され、お天気に恵まれ、多くの人で賑わいました。

 
写真左① ウエルカムゲートももちろん花。くぐるとき優越感を覚えます。※拡大
写真右② 特設ステージでのハワイアンダンス。優雅に舞っていました。※拡大

テーマは「花の楽しさ新発見」、ため息が出る庭園を紹介します。

 
写真左③ イノシシ君も登場、趣向を凝らしています。 ※拡大
写真右④ 天然材を使った椅子を配置。 ※拡大

 
写真左⑤ 木を多く配置しています。 ※拡大
写真右⑥ 特設ステージ袖の装飾花       ※拡大

会場には縁日を思わせるような多くの売店が並び、幼児向けの乗り物は大混雑の盛況ぶり。
夕方からは展示していた花が格安で売られ、我が家でも培養鉢の花(50円)を
10鉢求めました。
海からの心地よい潮風が吹きぬける会場で、花と緑が作り出す芸術を堪能、満ち足りたひとときでした。
来年の開催を楽しみに、会場をあとにしました。 

                     ミカエル

 

 

 


第143号 華麗なるバラの競演~旧英国領事館

2007年06月27日 | 在日外国施設(領事館など)

所在地=函館市元町33番14号 現・函館市開港記念館
      旧函館区公会堂、元町公園の下。

 
写真① (拡大する)                 写真② (拡大する)

24日の日曜日、バラの名園「旧イギリス領事館」を訪れた。
大正2(1913)年に建てられたこの領事館は、昭和9年の閉鎖まで日本と英国との文化の架け橋にもなっていた。
その後、向かい側にあった市立函館病院の看護婦寮やカルテ保管庫として利用され、平成4年、市制施行70周年を記念し「開港記念館」として整備、そのときにバラも植樹し開放された。

 
写真③ (拡大する)                  写真④ (拡大する)

イギリス庭園を模した中庭には、15種類、41本の色とりどりの華麗なバラが咲き誇り別世界を作り出している。
市民のほかに観光のお客様の姿も多く見受けられ、うっとりとした表情で花を楽しんでいる。
見ごろは7月上旬まで、皆様もぜひお出かけ下さい。
ユニオンジャックがお待ちしております。

旧イギリス領事館の詳しいご案内はこちらから
http://blog.goo.ne.jp/mikaeru171/e/0a27ce50134087906c74d3666bb793e6

                     ミカエル 

 


第142号 よくぞ咲いてくれました!

2007年06月24日 | 我が家のもろもろ

我が家のバラが咲いてくれました。 

 
       写真① 拡大する。              写真② 拡大する。

昨年秋、ガス会社から連絡があって
「敷地内に埋設している管が古くなったので交換させて下さい」と。
そう言われてみれば、35年が経つ。
各地でガス漏れ事故が多発しているから、考える余裕などなく、即
「お願いします」と頼んだ。

工事前に管の埋設場所を確認したら、バラの真下にあるのが判明。
迂回ルートはなく、丹精込めて育てているバラを、一時的に堀上なければならない。
「枯れてしまったらどうしよう」と心配したものの、10月28日に工事は始まった。

今年の春、なんとなくバラに元気さがなかった。
「やはり、今年は花は望めないのかな?」と思っていたが、ご覧のように見事に開花してくれた。
思いがけないバラからの頑張りプレゼント、ホッと心が和んだ。
花が終わったらたっぷり栄養を与え、心くばりに感謝をしたい。

このバラ、6年前の5月に求めたもの。
品種は「ダマダクエフ」といいます。

                       ミカエル 


第141号 新撰組も上陸した蝦夷・森町鷲ノ木海岸

2007年06月22日 | 旧跡、史跡

所在地=茅部郡森町鷲ノ木町(かやべぐん・もりまち・わしのきちょう)

  
 写真①                                写真② (拡大する。)

函館から国道5号線を札幌方向へ進み、大沼トンネル、道の駅・YOU・遊・もりを越える。二つ目のトンネルの約300m手前の道路標識(写真①)を海側に入る。
地元教育委員会が建立した碑には、「榎本軍鷲ノ木上陸地跡」とある。
写真②は、郷土史家が建立したもので、「旧幕軍榎本武揚・土方歳三之鷲ノ木上陸地」と記されている。

明治元(1868)年の旧暦10月20日、蝦夷地噴火湾中央部のこの地に、榎本武揚(旧徳川幕府海軍副総裁)率いる艦隊が上陸した。
上陸時は積雪30センチ、北西の強風で波は荒れる暴風雪で、そばにそびえる国定公園・大沼駒ケ岳も、厚く雪化粧をしていたという。

榎本艦隊は、旗艦・開陽丸ほか7隻(回天、幡龍、長鯨、神速、鳳凰、回春、大江)
で、このときの人員は、榎本をはじめ松平太郎、大鳥圭介、土方歳三、古屋佐久左
衛門、土方歳三ら約3,000人だった。

  
写真③ (拡大する。)          写真④~道の駅で販売中のお菓子。

当時の鷲ノ木村は、戸数約150、人口約800で茅部街道の要所でもあり、箱館への交通も開けていた。

翌21日、大鳥圭介率いる先発隊が箱館目指して雪の中を進軍、峠下村(現七飯町峠下=大沼トンネル付近)で待ち構えていた官軍(松前藩)と交戦となり勝利。

一方、土方歳三率いる別隊は噴火湾沿いに南下、川汲峠(かっくみ)で官軍と交戦し撃破、女子修道院のある上湯川村(かみゆのかわ)に陣を張った。

この戦況を五稜郭でみていた明治政府の箱館府知事・清水谷公考(しみずだにきんなる)は、自軍の敗北を知り、25日に船で青森へ退却。
(知事は京都の公家、戦は苦手だった。)
こうして、大鳥隊と土方隊は、10月26日に無人となっていた五稜郭に無血入城し、榎本軍は箱館市街と箱館港を手中におさめた。

寒さ厳しい時期に直接国際開港地・箱館に入港しなかったのは、停泊中の外国船とのトラブルを避けるためで、オランダ留学で培った榎本の国際感覚が活かされたのである。
このあとの10月28日、蝦夷地に唯一藩庁を置いていた官軍・松前藩の攻撃に、土方歳三率いる約800名が向かい、箱館戦争は拡大していくのであった。

                      ミカエル

 


第140号 巨大キノコ?いいえ、操車塔です。

2007年06月20日 | 珍話、懐古品、珍品

所在地=函館市末広町十字街交差点

 

街の中に突然出現した巨大キノコのようなこの建物は、「操車塔」と呼ばれている。
市電が交差する地点に設置され、電車が直進、右左折するのをこの塔から手作業で操作していた。
ここのほかに宝来町、駅前、松風町、五稜郭、ガス会社前の計6箇所にあった。

高さ5.4m、直径1.9mあり、一人で操作。
塔に入ってしまえばトイレにも行けないから、事前の念入りな準備が必要だった。
自動化が徐々に進み、最後まで残ったのはこの塔で、平成7年6月に役目を終え、
解体の予定だったが、後世に伝えるべきという要望が強く保存されることに。

小学生の頃、塔の中にどんな仕掛けがあるのか、見たくて見たくて、
「おじさん、中見せてくれませんか?」とお願いしたら、
「駄目なんだ。係員以外は入れないんだよ。どうしても見たかったら、交通局に入りなよ」と。 
でも、その時は外国航路の船乗りに憧れていた(?)らしい。
そんな思い出が残る塔である。

写真は早朝に撮ったもの。
後方にある薄緑のドーム屋根を持つ建物は、
大正時代にオープンした「旧丸井今井百貨店函館支店」。
撮影地点からの眺めは、異国を彷彿させる魅力ある風景に思える。

                       ミカエル

 

 

 

 


第139号 息子からのプレゼント旅(2-2) 

2007年06月17日 | 旅行  

「両親の日の息子からのプレゼント旅」、2日目の朝が明け、5時に起床した。
カーテンを引くと、お日様がまだ差し込まないものの、遠くには青空が広がっていた。
「お早う!いいお天気ね。今日の動物園が楽しみね!」
「本当だね。動物たちはどんな表情で迎えてくれるかな?」こんな朝の会話を交わし、私はホテル近くを散策に、妻は大浴場へ。

 

7時に朝食会場へ向かった。係員は法被姿で迎え気合が入っている。
和洋バイキングの料理がずらり。
昨夜、あれだけ食べたのにまた食欲がどこからともなく湧いてきた。
元来は卑しい体質のようだ。
主食は、ごはん、おかゆ、パンのほかに麺類も用意されていて驚いた。
団体旅行の出発時刻は8時が定番、ゆっくり食事を楽しむ余裕などないが、今回は
8時45分、ゆっくりとコーヒーを3杯、満足の朝食だった。

仲間が次々とバスに乗り込み「お早うございます」「お早うございます」の爽やかな挨拶、ようやく皆が馴染んできたようだ。
バスが動き出した。ホテルの従業員が手を振り頭を下げての見送り、皆も手を振ってそれに応えた。

9時25分、開園5分前に話題の旭山動物園東門に到着。
2年前の冬に来た時は、このゲートはなかった。膨れ上がる入園者対策として最近設けたとのこと。大型観光バスがひっきりなしにお客を運んでくる。
団体専用口に並ぶこと15分、ようやく入園となった。
このゲートは標高約220m、園では最も高い位置にある。
ここから下り斜面に沿って園舎が配置されており、素晴らしい眺望が広がる。

開園間もない時間帯であったが人気園舎は早くも行列、最後尾を知らせるプラカードを持つ係員の姿も。
ペンギンのお散歩行列は、冬季間のみというのは初めて知った。

 
百獣の王だって我が子にはもうメロメロなのさ。「お母さん、遊んでよ!」。
皆さんはキリンの鳴き声聞いたことある?「ビール、ビール」本当だってばさー!

  
アザラシ君が、円形巨大水槽に潜ってきてご挨拶。バイバイして浮上中。手の表情が幽霊みたいだから夏は涼しく見えるラシーよ。
うちらペンギンだよん!
一家勢ぞろいして「セーノーデー、ウエルカムカム!」ってがー。

 
わしゃ、日本熊代表のヒグマ。マルタはアキタダヨー。
私は地球熊代表のホッキョクグマ。色白の肌が自慢よ!カメラを向けるお客さんからダイビングのリクエストがあまりにも多く、疲れちゃった。
お客様に、おヒップを向ける尻礼をお許し下さい。

園内には、微笑みを浮かべた多くのボランティアが配置され、案内にあたっている。
きびきびとした動き、礼儀の正しさには好感が持てた。
その方々は、奉仕することが楽しくて楽しくてしょうがないという表情も見せていた。

過去には、あまりにも入園者が少なく、閉園がささやかれた時もあった。
その時、職員は英知を出し合い「動物を眠らせないでお見せする。生態をもお見せする」という二つの基本理念のもとにスタートを切った。
数々の困難を克服、入園者数日本一の金字塔を築き、運輸、宿泊、飲食、お土産などの観光産業に与えた経済効果は大きく膨らんでいる。
売店には数々のグッズを求めるお客で混雑、レストランもしかり、道北の一大産業としてすっかり定着した。

13時、東門前からバスが出発した。
これからは追われる立場のこの動物園。しかし、限りない前進を可能にできる職員がそろっている。頑張って欲しいと願った。

地元レストランで作られたお弁当が配られ、歩き回ったせいでペコペコになった腹を満たしてくれた。(皆、ガツガツだったなぁー)
食後の満足感とバスの揺れが微妙に作用し、「コックリさん」が目立ってきた。
バスは道央高速道を南下していた。

13時50分、「砂川ハイウェイオアシス」着。
このオアシスは、道内の高速道サービスエリアでは最大規模を誇る。
とにかく、試食をすすめるお店があちこちにある。
目指すお店は、人気急上昇中の「北菓楼(きたかろう)」。
創業地・本社はここ砂川市。道内店舗は札幌市、小樽市、新千歳空港のみだから、
函館では喜ばれるお土産となる。
人気商品の、バウムクーヘン妖精の森、開拓おかき、はまなすの恋を求めた。

 

17時15分、長万部インターで高速道から国道5号線に下りた。
昨日、昼食をとったレストランで「かにめし」を積み込み、ただちに夕食として配られた。
幾度となく通った単調な国道を函館目指して走り出した。

3回目の「両親の日の息子からのプレゼント旅」、お天気に恵まれ、美味しい食事、温泉入浴、動物との触れ合と、楽しく思い出深い旅となった。
これからも健康に気を配り、二人そろって旅に出れるよう心がけたい。
大沼トンネルをくぐった。函館の灯りが見えてきた。
息子からのプレゼント旅は間もなく終わろうとしている。
「息子殿、有難う!」。幼い時の息子の笑顔が車窓に映ったような気がした。

長い文章になりましたが、最後までお読み下さいまして有難うございました。

「旭山動物園」のご案内はこちらから
http://www5.city.asahikawa.hokkaido.jp/asahiyamazoo/

 「北菓楼」のご案内はこちらから
http://www.kitakaro.com/

                      ミカエル 

 

 

 

 


 


第138号 息子からのプレゼント旅(2-1)

2007年06月14日 | 旅行  

 息子がカレンダーにはない「両親の日」を作ってくれてから3年が経った。

「母の日」と「父の日」を同じ日に祝ってあげたいという趣旨から生まれたこの「両親
の日」。合理的でいいわねぇーと妻も諸手をあげて賛成した。
その日の設定は、母の日と父の日の中間日あたりになった。
「両親の日」の息子からのプレゼントは、旅好きな私達を思い、品物ではなく「一泊の温泉地招待旅行」だった。

 

一昨年は、「登別温泉の旅」。見学場所は「登別マリンパーク(水族館)」。
昨年は、来年サミットが開催される洞爺湖そばの「北湯沢温泉の旅」。
「手打ちそば」の体験学習があった。
そして、第3回となる今年は旭川郊外の「天人峡温泉の旅」。
見学場所は今話題の「旭山動物園」。

5月26日、団体旅行の一員となって、貸し切りバスに乗り込んだのは10時。
旅行会社もバス会社もこれまでと同じ。、顔なじみになって親しみがわいてくる。
短い一泊二日の旅ではあるが、息子の心くばりが嬉しくて妻と微笑みながら座席に腰を下ろした。

長万部町(おしゃまんべ)のレストラン・オーシャンロードでバイキング昼食。
これを目当てに朝食はぐっと控え目めにしていた。(お金を残す人は違うね!)
ポンポコポンの満足腹になって、道央高速道にのった。

サラブレッド、ホルスタイン、和牛、綿羊がのんびりと草を食み、刈り取られた牧草がロール状になって、広い採草地に積まれている。
このロール牧草の出現で、北海道の原風景である「サイロ」は使命を終えた。
「キタキツネ」、「エゾシカ」の飛び出し注意看板は、いかにも北海道らしい。
そんな風景を眺めながら旭川北インターでおり、夕方ホテルに入った。

 

ホテル周辺の山肌は柱状節理。
六角形の鉛筆を束ねたような巨岩が垂直になって空に伸びている。
前の川は雪解け水を集め、勢いよく踊りながら流れていて、岸には汚れた雪がしぶとく残っていた。

セミダブルが3台の部屋は、ゆっくりとくつろげる広さだ。
お茶を飲んですぐに大浴場へ向かった。
驚いたのは浴場の内壁。
山肌の柱状節理岩をそのまま取り入れたダイナミックな構造だ。
浴槽は二つ、どちらも温め。湯は有色でナトリウム系。
川のすぐ傍の露天風呂は浮遊物がいっぱいで、どうやら歓迎?をしてくれたらしい。昆虫が目標を誤ったのか、アップアップと溺れていた。
それを両手ですくい上げ、草の上に放した。(39のお礼の言葉はなかった)

             

夕食もバイキングだ。
変り種は、「まぜごはん」、「おしるこ」と好みの材料を選べる「すきやき鍋」。
鍋は各自のテーブルににあるコンロで煮る。
温泉街には、スナックやバーの類はないから、ここで9時半のクローズまでねばる仲間が多くいた。

部屋に戻ってテレビのスイッチをON。
テレビの古さと山間部という条件が重なり、画面は半セピア色。
とても見られたものではない。
BGMがわりにつけておき、明日行く動物園のパンフレットに目を通しているうち、強烈な睡魔が襲ってきた。
育ちの良さでは定評のある私である。
「北海のトド」のような大イビキは、・・・・・かいたらしい。
ゴメンネ!おかあさん。 (次号へ続く)

                       ミカエル

 

 

 

 

 


第137号 自然の中に「ハーベスター・八雲」あり。

2007年06月11日 | 美味満足技処、買い物処

 
① 拡大する。                       ② 拡大する。
 
③ 拡大する。                        ④ 拡大する。

所在地=函館市中心部から車で90分 二見郡八雲町浜松

昨年6月、「道立噴火湾パノラマパーク」がこのレストラン横にオープンした。
広さ約63ヘクタール(後楽園ドームの約12倍)、総事業費約50億円というビッグな公園。
高台にあるから、お天気が良ければそれこそ噴火湾沿いの雄大な景色をパノラマ状に見ることができる。
児童らには魅力的な遊具と広場があって評判が良さそうだし、これからは設備の整ったキャンプ場も賑わいそうだ。

8日、この公園を初見学に妻と出かけた帰り、レストラン・ハーベスター八雲で昼食となった。
レンガ調の外観が周辺の白樺とよくマッチしている。
このレストランのオープンは、19年前。「ケンタッキー」の傘下企業としてスタート。
敷地内の自家農場でとれる新鮮安全な農畜産物を、食材として提供する経営方針が受け、人気が高い。

立ち寄ったのは丁度12時のお昼どき。
平日にもかかわらず込み合っていた。
システムはバイキングに似ているが、自分の好みの料理、飲み物、デザートをトレーに入れ、その分をレジで支払うという流れ。

私は、濃い牛乳、野菜サラダ、甘辛風のエスニックチキン、チキンココットパイ(シチューのパイ包み風)の4点で1,050円也。
このチキンは本当に美味しく妻も絶賛だった。
デッキ席に座ろうとしたが、霧雨と肌寒さで室内の窓際に。
大自然の中での食事は、食事の美味さに空気の美味さが加わり、体は4倍の嬉しい反応を示す。

ここのレストランに来たのは10年ぶり。
次回はデッキに座り、風の音を聞きながらゆっくりナイフとフォークを使いたい。
目の前の牧草から発する匂いは、食後のコーヒーの香りを引き立たせる小道具のようにも思える。

皆様もこの公園とレストランに、ご家族連れでぜひお出かけ下さい。

噴火湾パノラマパークのご案内はこちらから
 http://panorama.town.yakumo.hokkaido.jp/facility/center.html

ハーベスター八雲のご案内はこちらから
 http://r.gnavi.co.jp/h053100/

                       ミカエル 

 

 

 

 


第136号 花看板のお色直し

2007年06月09日 | 公園

所在地=函館市郊外 森町道の駅「YOU・遊・もり」向かい。

 
写真①  拡大する。                   写真②  拡大する。

函館から国道5号線を車で1時間ほど走ると、森町道の駅があります。
写真の花看板は、この駅の向かい、国道5号線の急斜面に設置されています。
道の駅の裏には、「オニウシこうえん(公園)」があり、この公園をPRするための花看板です。

①の写真を撮影したのは、5月26日。
珍しい作業をしていると思い、カメラを構えパチリ。
斜面に梯子をかけて花看板(花壇)の雑草抜き、肥料まきなどの作業をしていました。
②の写真の撮影日は6月8日。
この時にはすっかりお色直し作業を終え、整地された花壇には花が植えられたのがよくお分かり頂けると思います。

この花看板の存在は、運転中はなかなか気づかないものの、道の駅から出てきて駐車場に向かうときに必ず目に飛び込んできます。
植えた花が順調に育って、私たちの目を楽しませ、心を癒してくれるのは間違いありません。
めったにお目にかかれない、花看板のお色直しの舞台裏をお伝えしました。

あっ!忘れてました。
「オニウシ」とはアイヌ語、日本語に変換しますと「樹木の多くある所」となります。

                       ミカエル

 

 

 

 

 


第135号 ウエルカム!「五稜郭ふじ」満開です。

2007年06月06日 | 旧跡、史跡

            
                     ① 拡大する。
 
       ② 拡大する。                  ③ 拡大する。

所在地=函館市五稜郭町        撮影日=平成19年6月4日

江戸徳川幕府の遺産・五稜郭は、季節ごとの鮮やかな色彩を楽しませてくれます。
春の桜、初夏はつつじ、牡丹、そしてこの「ふじ」。

壱の橋、弐の橋を渡ると正面に①の「ふじ棚」が見えてきます。
「ふじ」の花言葉は「歓迎」。
ここを訪れて下さる多くの観光客を、お迎えするのに相応しい演出花です。

「ふじ棚」は、間口が5.2m、奥行きが28m。
お迎えする「ふじ」の樹齢は約百年と伝えられていますから、明治40年頃に植えられたもの。
幹の高さは3.5m、太さは70cmもあり、棚をくぐるとき、「ふじ」独特の魅力的な香りを感じます。
満開の「五稜郭ふじ」、皆さんもぜひお出かけ下さい。

                        ミカエル


 

 

 


第134号 五稜郭ツツジに見とれて・・・。

2007年06月04日 | 旧跡、史跡

 
写真 ① 拡大する                  写真 ② 拡大する
 
写真 ③ 拡大する                  写真 ④ 拡大する

所在地=函館市五稜郭町  撮影日=平成19年6月4日

五稜郭桜が終わって、ツツジの季節がやって来ました。
壱の橋手前の広場から眺める花は、石垣、芝生の緑、堀、青い空、真っ白い五稜郭タワー、花壇と見事に調和し、美しい風景を見せています。

観光客と一緒になって足を止める市民も多く、私もその仲間に加えてもらい見とれました。
「手入れが大変でしょうね?」と観光のお客さま。
「公園管理事務所の方々のおかげですよ!」と散歩をしていたご近所の方。

昔々、ここを造った江戸徳川幕府の目的は、外国の侵略に備えるためでした。
現在はこうして、桜やツツジの名所になって多くの人々の目を楽しませています。
「徳川さん、憩いの場を有難う」、苦笑いをしている顔を思い浮かべながらふじ棚へ足を運びました。

                        ミカエル


第133号 スズランに母の涙

2007年06月02日 | 我が家のもろもろ

           

今年も我が家の庭のスズランが咲き、花瓶に生けた。
五年前に姉からもらった株は、少しずつではあるが確実に増えている。
大切に育てたいと、庭の一番南側に植えたのが良かったのだ。

スズランとの出会いは55年ほど前、小学校の遠足だった。
春には「トラピスチヌ女子修道院」がその目的地。
貸切市電で湯の川終点まで行き、そこからは徒歩。
終点からの道は、サイロのある農家がポツリポツリの程度。
そんな風景を眺めながら、ワイワイガヤガヤと騒々しくしながら小一時間ほど足を運ぶと、ぐるりまわした塀、赤レンガの壁、緑の屋根の修道院に着く。
遠くに見えていた緑のトンガリ屋根の鐘楼は、青空に美しく溶け込みすぐ近くにあった。

あたりは丘になっていて、牛、馬そして羊が放牧され、のどかな風景が広がっていた。
そこには、風に吹かれて白い鈴のような頭を揺らすスズランが群生していた。
その姿が可愛らしいと思った私は、数本を家に持ち帰った。
夕食後の裸電球の下で、新聞紙に包んだスズランを「お母ちゃん、これあげるよ」と母に手渡した。
見る見るうちに母の目は涙であふれ、台所に消えた母の泣き声が聞こえた。

父は私が3歳の時に急病死した。
それ以来、3人の子供を抱えた母の苦労は並大抵なものではなかった。
終戦間もないころであったから、まわりには戦争で父や夫を失くした家庭であふれていた。
それだけに、母は涙を見せることはなかったのだが、私からの花のプレゼントの嬉しさが、苦しみを抑えていた心の防波堤を突き破ってしまったのだった。

そんな思い出もある母の27回忌が明後日にやってくる。
墓に供える花としては相応しくないかもしれないが、スズランを携えて行きたいと思っている。
母は、また涙を流すだろうか?
いや、父と一緒に暮らしてからは苦労などすっかり忘れてしまっているに違いない。そう思いながらも、庭のスズランに目をやった。                      

                      ミカエル