ミカエルの函館散策記

美しい夜景と異国情緒溢れる町・函館。
名所・旧跡・食べ処をご紹介していましたが今や万屋。
ご訪問に謝々。

第337号 裏通りを自転車で

2008年11月27日 | 通り、坂道、散策路

私は青春時代に函館の繁華街に住んでいました。
雪が降る前に自転車でその近辺を散策。
景色の変化に驚き。

多分、もう壊されていたと思っていた「映画館・有楽座」。
廃業したのを知っていましたが、この想い出深い建物 がまだ残っていたとは。

 

昭和30年代は映画館の全盛期。
この近くには、「東映、日活、大映」の直営館が次々とオープン。
花形スター(千原しのぶ、東千代之介、里見浩太郎)が多数来函。
その姿を見ようと、入り口に早くから並んでいたのを思い出します。
ここの館主は「ボルボ」に乗っていました。

斜め向かいにあるこの建物は旧中村産婦人科医院。
もともとは中央病院の勤務医。
あまりの評判のよさに開業。
息子はここで誕生させてもらいました。
でも、多忙が原因で急死。惜しい死でした。

 

車では発見できない裏道の姿。
雪が深くなり歩いて回れば、もっと新しい町並みの発見につながるのかも。

       

                     

 


第336号 ようやく資料が回復しました。

2008年11月24日 | 我が家のもろもろ

9月中旬に、6年間使っていたNEC製のパソコンが立ち上がらなくなりました。
それに詳しい方、家電販売の方に相談しましたが結局は買い替えすることに。
メーカーはアメリカの「acer」で、価格はプリンター抜きの88,419円でした。

 

パソコン本体の大きさを示すためにペーパーの箱を並べてみました。
箱二個分の大きさよりありません。
本当にコンパクトで、果たして大丈夫なの?と不安はありますが・・・。

 

毎年、お正月を迎えると、前年の写真や大切な文書の保存(バックデーター)作業をやっていますが、これからは7月にもこの作業をやらなければと思いました。

この故障のために、多くの方にお世話になったりご迷惑をおかけしました。
ようやく失った資料が回復。
有難うございました。

                     



第335号 今年最後の紅葉便り。

2008年11月20日 | 我が家のもろもろ

今朝の函館は大雪。
15センチほど積もり、雪かきに一時間ほどかかりました。
久しぶりの大仕事に汗をかき、腰が病まないかと心配です。

そんな訳で紅葉便りもこれで結びとなります。
庭の人工芝に舞い落ちたもみじを狙ってみました。 

 

我が家では一番遅く紅葉する「ドウダンツツジ」。
外壁の色によく反映し、最も好きな見ごろを迎えています。

 

近くのスーパーへ行く途中で見掛けた「ななかまど」の落ち葉。
深い厚みに思わず足をとられてしまいました。

 

見上げれば真っ赤な実。
これが、小鳥たちの冬の餌。
命をつなぐ大切な一粒です。

 

雪にすっぽりと覆われた我が家の庭です。
葉っぱがすっかり落ちてしまいました。

 

 

                     

 


第334号 庭の花木も冬ごもり

2008年11月17日 | 我が家のもろもろ

4日に初雪を観測し、その後、初氷も張って冬が駆け足でやって来た函館です。
庭の花木も越冬準備。最後まで咲いてくれていたのは下の二種類でした。
ダリアは掘って球根をあげ新聞紙に包んで物置に入れました。

 

バラは枝の選定をして春を待ちます。
今年、目を楽しませてくれた花木に感謝しながら、「来年もまた綺麗に咲いてね!」
の言葉で作業を終えました。

 

庭から花の姿が消えたのは寂しいですが、「ドウダンツツジ」の紅葉はまだ楽しめそうです。
庭が雪で覆われるのは間近。
車のタイヤ交換も終え、冬準備に追われているミカエル家です。


                    

 

 


第333号 美しさに心ドキ!~函館公園の紅葉

2008年11月14日 | 公園

13日の朝刊に、函館公園の紅葉の写真が掲載され、暖かな日でしたので早速出かけました。

新聞報道の影響は大きく、たくさんの方々の姿が見え、「まぁー、綺麗!」の大歓声。
「おばあちゃん、来てよかったね」と、お孫さんらしき女子中学生に車椅子を押してもらっている姿も。
「ありがとうね」の会話が聞こえ、紅葉の美しさがより一層輝いて見えました。

 

ここの紅葉の範囲は狭いのですが、太鼓橋との組み合わせが素晴らしい演出と思います。

 

明治12年、函館にあったイギリス領事館のユースデン領事の呼びかけで、官民一体のボランティアで造られた公園でした。

掃いても掃いても舞い落ちる枯葉。
それを一生懸命に集める公園管理事務所のかた。
「ご苦労さま。有難うね」。「いやっ、どうも」の声。

 

この管理事務の方々のおかげで、美しい紅葉を見ることができるのです。
感謝、感謝です。

函館公園の詳しい情報は、こちらからどうぞ。

       

                     

 

 


第332号 今週のランチは・・・さっぱり味

2008年11月12日 | 美味満足技処、買い物処

ラーメンの「りんさん」といえば、中高年の市民ならば「あっ、あそこにあった店か!」と思うに違いありません。
懐かしい日活映画館の横通りにありました。

私の最初の勤務先は大門地区。
お昼はここで、ラーメンやチャーハンなどでお世話になりました。
創業は昭和23年といいますから60年間の長い間、美味しさを提供してくれています。
現在は湯浜漁火通りで営業中 

 

ここの塩味のさっぱり味が好きです。
欲張って「スタミナ丼 セット」(750円)を注文。
しかし、ラーメンがきっちりの一人前。
丼はほとんど残してしまい、「卑しさはほどほどに」にと感じました。

 

それにしても、美味しいラーメンでしたよ。

                   

 


第331号 帽子一筋122年 今までもこれからも・・・

2008年11月09日 | 美味満足技処、買い物処

本格的な冬を迎えるにあたり、黒系の撥水性帽子が欲しくなって、いつもの「赤帽子屋」さんへ出かけました。
場所は松風町市電通り。
以前はこのお店の前が「松風町電車停留所」でした。

私は、小学6年生から中学卒業まで、近くの映画館・巴座裏に住んでいましたから、学生帽や校章などでお世話になっていました。

 

創業者は旧長岡藩(現・新潟県長岡市に藩庁を置いた)藩士で、明治維新後東京で事業を起こし、その後発展目覚しく将来性あふれる函館に希望を託して移住。

帽子業に目をつけたのは、ハイカラブーム。
明治18年、西部地区の十字街で開業しました。
人口増や洋装化にのって盛業、やがて現在地に移転。
業績をさらに伸ばし、「赤帽子屋」の名はデパートとともにその名を知らない人はいないほどの存在になりました。

 

現店主は4代目の村上幹男氏。
伝統を引き継ぎながらも新しいセンスあふれる商品をいっぱい陳列。
帽子専門店ならでの知識で適切なアドバイスで品選びのお手伝いをしてくれます。

赤帽子屋さんは、大門・松風地区では老舗中の老舗。
地区の衰退は目に余るものがありますが、どうか、灯りを消さないで頑張って欲しいものです。

なお、3代目店主は大のカメラ好き。
白黒写真時代に撮影した市内風景などを数多くお持ちで、これをこちらと・・・・・・・・・こちらで見ることができます。
懐かしい函館の数々の姿をぜひご覧になってください。

今朝の函館は放射冷却現象で冷え込み、7時に近くを自転車で散策していたらあちこちの水溜りが氷に変化。
「ブルブル」感が一層強まりました。


                    

 


第330号 旅の疲れは足湯でどうぞ!

2008年11月06日 | 美味満足技処、買い物処

今年も残り少ない三連休の2日(日曜日)、快晴に恵まれたので自転車に乗って西部地区を散策することにしました。

ここは、朝市と赤レンガ倉庫群の中間に位置する「函館ベイ美食倶楽部」の中庭にある足湯。
多くの観光客で賑わいをみせていました。
私も仲間入り。
「ねー、お昼何にする?」と若いカップル。
「海鮮丼のきくよ食堂、焼肉の羊々亭、まるかつの回転寿司、ラーメンのあじさい。
うーん、迷ってしまうなー」の会話。
「とにかく、お店を覗いて込んでいないところに入ろうか?」で、決まったようです。

 

ここを出たら、明治館前で客待ちの人力車を見かけました。
「景気はどうですか?」
「お客さんの財布の紐がかたくなっているようですね」 
冬でも営業と聞いて、
「寒いでしょう!」
「寒さよりも滑らないように足元に気を配ります。安全第一でお客様をご案内しなければならないのですから」と。
函館観光のためにも、頑張って欲しいものです。
ご苦労様。

 

そして、港を眺めていたら「ボー」という音が。
「これは、旧青函連絡船・摩周丸の汽笛だ。そうか、お昼なんだ!」

十字街のまちセンの軽食喫茶でランチをいただきながら休憩。
帰りは普段通らない裏道を選んで、ペダルを踏んでいたら・・・
市役所近くで懐かしい「根津製餡(あん)所」の建物と再会。

 

土蔵つきの堂々たる切妻屋根にしばらく見とれていました。
裏道にも保存したい文化財クラスの建造物があるのを知った、自転車散策でした。

       
                      
      


第329号 五稜郭にいたカモ、カモメは今・・・

2008年11月03日 | 町の話題

数年前の雪解けのころ、五稜郭の堀の鯉や鮒などが大量死しているのが見つかりました。
これまでもこの時期、このような光景は見掛けることはあったようですが、その多さには驚くほどといいます。
堀の水が浄化されない状態が続いて数十年。
酸欠が原因とも言われていますが・・・。

       

橋を渡る観光客らの靴の音を聞き分けて、多くの魚が橋周辺に浮かんできては口をパクパク。餌のおねだりです。
その餌を狙って周りにいるカモ、カモメとの争奪戦が繰り広げられていました。
しかし、大量死以来魚の姿はなくなり、餌の恩恵にあやかっていた鳥も新天地を求めて飛び去り、風情がなくなりました。

カモは湯の川温泉街を流れる3本の川に住み着いたようです。
中州があっていかにも満足そう。

 

一方のカモメは西部地区の寺院群へ。
特に目立つのが我が家の墓所がある高龍寺。
カラスを追い払い、墓地でお供え物を狙っています。

 

墓石のてっぺんで待機するので、落し物で汚され不衛生かつご先祖様に申し訳がたちません。
「何とかなりませんかね?」とお参りに来られた近くの墓地の方も苦情を。
まったく困ったものです。